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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

アフリカの印象

『ロクス・ソルス』と共にレーモン・ルーセルの代表作に数えられる、奇想の一大博覧会。2007年に刊行されたばかりの平凡社ライブラリー版。

アフリカの印象 (平凡社ライブラリー)

アフリカの印象 (平凡社ライブラリー)

 

レーモン・ルーセル(岡谷公二訳)『アフリカの印象』平凡社ライブラリー、2007年。


ロクス・ソルス』を読み、塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』を読んでしまってからというもの、空前のルーセルブームが自分の中で巻き起こっている。『ロクス・ソルス』を読んだことで生まれた最初の衝撃は、『アフリカの印象』に至って揺るぎないものとなった。こんな作家、見たことない。

レーモン・ルーセルは奇想の塊である。とんでもない発想がそれを上回るとんでもない解釈によって説明されるのは『ロクス・ソルス』と同様だが、一冊目に手に取ったのがこの『アフリカの印象』でなくて本当に良かった。第一作目がこの作品だったなら、絶対に読み通すことができなかっただろう。『ロクス・ソルス』によって免疫を付けていなければ、この本の面白さを味わうことは到底できない。面白さに至るまでに投げ出してしまったに違いない。

「最初の彫像は、心臓を武器で刺し貫かれた、瀕死の男をあらわすものだった。両脚は、のけぞった、倒れる寸前の体の重みにたわみ、両手は、本能的に傷を押えようとしていた。像は黒く、一見、一本石から刻まれているように見えた。しかし、よく見るうちに眼は少しずつ、あらゆる方向に走り、しかもあちこちに平行線の束を形作っている線条を発見するのだった。実を言うと、この作品は、肉づけの必要に応じて切ったり曲げたりした、無数のコルセット用の鯨のひげだけで作られていたのである」(12ページ)

この「鯨のひげ」で作られた奴隷の彫像は、仔牛の肺臓で作られたレールの上を滑っていく。水中では花火が鮮やかなイメージを描き出し、大みみずは密度の濃い水の水滴を身体を捻らせることによって下に置かれたチターに向かって落としながら、ハンガリー舞曲を奏でる。この奇想天外なスペクタクルの数々が、何の説明もなされないまま、何と177ページまで続くのだ。

「情熱と自信とにみちたこの個性的な演奏には、機械的なところは少しもなかった。みみずは、解釈が微妙で、議論の種になりがちな曖昧なある一節を、その日の気分次第でいつも違ったように弾いてみせる変幻自在の名人、という印象を与えた」(69ページ)

この大博覧会が如何にして生まれたかが語られるのは、178ページからである。そこにある謎解きを楽しむ為には、第一部と称すべき前半を細かく読んでおかなければならない。しかし178ページからラストまでは、それまでの遅れを取り戻さんばかりの超スピードで読むことができるのだ。そして謎解きが終わった後で第一部をもう一度読むと、鮮明な記憶がそれぞれの場面にようやく整合性をもたらしてくれる。ルーセル自身ですら、彼の著作に慣れていない読者は178ページより先を最初に読むように薦めているほどだ。じゃあこんな構成にするなよ。本当に恐ろしい小説である。

「こだまで有名な四辻まで来ると、このあたりをはじめて訪れたカナーリスは、連れの一人から、散歩する人たちがみな試してみるこの音響上の現象について、ごく型通りの説明を受けた。自分も神秘の声をききたいと思い、英雄は指示された場所に立ち、でたらめに「バラ」という語を叫んだ。こだまは、そっくりその言葉を繰り返した。しかし一同が大いに驚いたことには、得も言われない、強いバラの香りが、同時に大気の中にひろがったのである」(279ページ)

第二部で語られる様々な奇想の説明は、ルーセルのストーリーテリングの巧みさを教えてくれる。おとぎばなしのように語られるそれらの、あまりにも遅くやってきた肉付けは、前半とは比べものにならないスピード感を持っているのだ。

「スカリオフスツキーは、すでにこの塵外の秘境を知っていた。彼は一日、雲母質の岩に砕けてはきらめき流れる澄んだ小川で、水浴びをしようとしたことさえあった。しかし、あきれたことに、水の抵抗に打ち克つことができなかった。水はおどろくほど密度が濃くて、少しも中に入りこめなかったのである。だから両手と両膝をついてさえいれば、水の表面にのったままで、体ひとつぬらさずに、この重い川を四方八方へと渡ることができたのだった」(313~314ページ)

第一部は奇想のコレクションの展示、そして第二部はそれら一つ一つの説明に費やされる。この構成が既に発明の域に達している。『ロクス・ソルス』の場合は、カントレルによる発明品の紹介とその説明が一つの章を成していた。ここではそれらが完全に分断されているのである。推理小説のようなほのめかしもほとんど無い故、自分が一体何を読まされているのか、この膨大な奇想がどこに行き着くのか全くわからないのだ。だから私がここで第二部と仮に呼んでいる178ページ以降に入って急に話の雰囲気が変化するという事実は、『ロクス・ソルス』を事前に読んでいないと想像もできないだろう。

「マルシャル(=ルーセル)は文学上の美についてきわめて興味深い観念を抱いている。作品は、現実のものは何ひとつ、まったく想像から生まれた組合せのほかは、世界と精神についてのいかなる観察も含んではならない、と言うのだ」(解説より、ジャネからの引用、381ページ)

ルーセルは登場人物たちの感情や著者の心理の投影などは一切描かない。無味乾燥とさえ言える書き方で、自らのコレクションを開示していくのだ。そしてこの書き方こそ、巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』の中で描いていたおとぎばなしの定義にぴったりと当てはまるではないか。

「『アフリカの印象』が奇想天外の演芸大会だとすれば、『ロクス・ソルス』は荒唐無稽の博覧会である」(解説より、389ページ)

訳書である岡谷公二は解説の冒頭で、この作品を「奇想の音楽会」とも呼んでいる(377ページ)。音楽的なモチーフの多さは、コンセルヴァトワールのピアノ科に在籍していたルーセルの人生に起因するものに違いない。作品以上に奇想に満ちているように見える、彼の人生についても知りたくなった。

アフリカの印象 (平凡社ライブラリー)

アフリカの印象 (平凡社ライブラリー)

 


<読みたくなった本>
フランソワ・カラデック『レーモン・ルーセルの生涯』
→本格的伝記。ルーセルの家族の内では、彼以上に母親が変人だったそうだ。

レーモン・ルーセルの生涯

レーモン・ルーセルの生涯