Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ロクス・ソルス

『モレルの発明』と並んで、ブラザーズ・クエイが『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』を作成する際に参照したもう一つの小説。ずっと前から耳にしていたけれども、なかなか手に取るきっかけのなかった一冊とようやく向き合った。

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

 

レーモン・ルーセル(岡谷公二訳)『ロクス・ソルス平凡社ライブラリー、2004年。


最近「評判は聞いているけれど読んだことがない」という本をなるべく減らしたいと思うようになった。それ以来、きっかけを見つけては読み、何故もっと早く手に取らなかったのか、と後悔している。星で付けている評価のインフレが起きているのはそのためである。

ブルトンが激賞している理由がよくわかった。『シュルレアリスム宣言』の中で彼は「狂人たちの打明け話、これをさそいだすためなら、一生をついやしてもいいくらいだ」と言っていたのである。ルーセルの『ロクス・ソルス』は、まさにその「狂人の打ち明け話」だ。とんでもない奇想が、更にとんでもない奇想によって説明される。ルネ・マグリットの絵画に見られるような、オブジェとオブジェの唐突な組み合わせ方は、シュルレアリストたちを大いに熱狂させたことだろう。

訳注によると「ロクス・ソルス」とはラテン語で「人里離れた場所」の意である。パリ郊外のモンモランシーにあるとされるこの屋敷において、天才科学者カントレルの発明品の数々が、次々に披露されていく。

「先生は、天気予報術を、その可能の限界ぎりぎりまで押し進めていた。感度が抜群で、正確な沢山の器具による調査のおかげで、彼は、一定の場所におけるすべての風の向きも強さも、どんな小さな雲の発生も、大きさも、厚さも、凝縮の可能性も、十日前に知ることができた。彼は、その予測がいかに完璧であるかを誇示するため、太陽と風の働きを組み合わせるだけで美的作品を創造することのできる装置を考案した」(45~46ページ)

一つの発明品が披露され、カントレルがその仕組みや背後に隠された来歴を説明する。それをひたすら繰り返すことで一冊の本が構成されているのである。例えば上に揚げた天気予報の確実さを実証する装置は、様々な色形をした膨大な量の人間の歯を正確無比な位置に置くことによって絵画を描く。そのモチーフは地下室に閉じ込められた傭兵が夢が見ている情景である。発想の奇抜さもさることながら、おとぎばなしのように語られるこの情景の説明が何とも面白いのだ。それは心理的な描写をほとんど排除した、巖谷國士が「メルヘン」と呼ぶ類の「おとぎばなし」である。機械の描写はカフカ『流刑地にて』に描かれる処刑機械を思わせるほど精緻なもので、その具体化されたイメージが見事なストーリーによって説明される。そういうことだったのか、と気付く時には、カントレルは次の発明品の前に立っているのだ。

「水の中に広がりきった、そのブロンドのすばらしい髪は、彼女の頭上はるかに浮き上がろうとしていたが、水面まではとどかなかった。髪の一本一本は、水の鞘のようなものに包まれていて、少しでも動くと、流れる水とこすれあって振動した。こうして絃と化した髪は、その長さに従い、高低さまざまな音を発するのだった。この現象が、ダイヤモンドに近づくにつれ聞こえていた素敵な音楽の種明かしをしていた。この器用な女性は、首を振る時の力強さや速さにさまざまな変化をつけることで、クレッシェンドやディミヌエンドを巧みに調節しながら、音楽を意図してつくり出していたのである」(73ページ)

シュルレアリストたちの絶賛がこの本の復活に一役買っていることに間違いはないのだが、ルーセルの描くストーリーはシュルレアリストたちの描くものよりもずっとわかりやすい。ブルトン、レリス、フーコーの三人が絶賛した、と言われれば、身構えない方がおかしいように思えるが、実際には全く身構えずとも手に取れる作品なのである。文学ばかり読んでいると岡谷公二の名を聞き慣れない人も多いと思うが、その翻訳も文句なしに素晴らしいものだ。ただ、奇想に対する免疫だけは必要かもしれないが。

「カントレルはすぐに、私たちのグループにまじっていた女流のオペラ歌手マルヴィナに対し、ひとふし歌って、狂人の気まぐれを満足させてやってくれと頼んだ。聖書に材をとった近作オペラ『アビメレク』で腹心の役を演じたマルヴィナは、ほとんど最高の音域で、「おお、レベッカ……」と歌い出した」(272ページ)

最初に揚げた『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』の話をすると、ブラザーズ・クエイが『ロクス・ソルス』から取り上げたものは『モレルの発明』の時と全く同様にエッセンスに過ぎない。特にルーセルの場合は、映画を観た後に読んでも何の影響もないと断言できる。簡単に種明かしが済まされてしまうような微少な情報量ではないのだ。ただ個人的に気になったのは、『モレルの発明』と『ロクス・ソルス』に共通して現れる女性の名称である「フォスティーヌ」を用いず、なぜブラザーズ・クエイは「マルヴィナ」を採用したのか、ということだ。二作を立て続けに読んだ今、もう一度映画を観たいと思った。

今思えば『ロクス・ソルス』はちょうどカルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』のように、短篇のように読むことのできる長篇小説だった。エピソードの面白さは何度でも読み返したいほどである。現在でも容易に手に入るもう一冊の著作、『アフリカの印象』が気になって仕方ない。

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

 


<読みたくなった本>
ルーセル『アフリカの印象』

アフリカの印象 (平凡社ライブラリー)

アフリカの印象 (平凡社ライブラリー)

 

安達正勝『死刑執行人サンソン』
→大学で歴史を学んでいた頃に手にした一冊。『ロクス・ソルス』の第三章に、このサンソンが登場している。

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)