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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

Charlotte's Web

配架-アメリカ文学 評価-★★★★☆(大満足) いわゆる-児童文学 言語-英語の本 動物園-豚 動物園-クモ

 このところ、英語で本を読むのがとても楽しい。と言っても、どんな本でも読めるというわけではない。語彙ももちろんそうだが、微妙な語感であったり、まだそういうものに十分に敏感であるとはぜんぜん言えないのだ。大人向けに書かれた本は、まだ手に負えないものがほとんどで、『Aristotle and Dante Discover the Secrets of the Universe』『The Perks of Being a Wallflower』を読んで思ったが、ヤングアダルトに分類されるような本は、その長さのわりには表現が陳腐だったりして、なかなか満足させてはくれない。というわけでいまわたしは、古典に分類されるような児童文学を貪るように読んでいる。平易な英語で書かれていて、しかも内容が豊か、読み継がれる理由を持った名作ばかりだ。日本では岩波少年文庫が得意とするところだが、せっかくなので岩波少年文庫には入っていないものを中心に読んでおり、最初に手にとったのがこの本だった。

Charlotte's Web (full color)

Charlotte's Web (full color)

 

E. B. White, Charlotte's Web, HarperCollins, 2001.


 翻訳もあり、あすなろ書房から刊行されている。さくまゆみこ氏の邦題は『シャーロットのおくりもの』である。読んでみるまで、表紙の女の子がシャーロットなのだと思っていたのだが、ちがった。彼女の名前はファーンであり、シャーロットというのは表紙で少女が見つめている先の、小さな小さなクモの名前である。

「“Please don’t kill it!” she sobbed. “It’s unfair.”
 Mr. Arable stopped walking.
 “Fern,” he said gently, “you will have to learn to control yourself.”
 “Control myself?” yelled Fern. “This is a matter of life and death, and you talk about controlling myself.”」(p.2)
「「おねがい、殺さないで!」彼女はすすり泣いた。「こんなのおかしいわ」
 アラブル氏は歩みを止めた。
 「ファーン」彼は優しく言った。「自制心ってものを持たなくちゃいけないよ」
 「自制心ですって?」ファーンはわめいた。「生きるか死ぬかの問題だってのに、「自制心」の話だなんて」」

「Carrying a bottle of milk, Fern sat down under the apple tree inside the yard. Wilbur ran to her and she held the bottle for him while he sucked. When he had finished the last drop, he grunted and walked sleepily into the box. Fern peered through the door. Wilbur was poking the straw with his snout. In a short time he had dug a tunnel in the straw. He crawled into the tunnel and disappeared from sight, completely covered with straw.」(p.9)
「ミルクの入った瓶を持って、ファーンは庭の林檎の樹のしたに腰かけた。ウィルバーはファーンに駆け寄り、ウィルバーがちゅうちゅう吸っているあいだじゅう、ファーンは瓶を持っていてやった。最後の一滴を飲み終えると、ウィルバーはぶうぶう鳴いて、自分の箱へと眠たげに足を運んだ。ファーンは戸口から覗いてみた。ウィルバーは鼻で藁の山をつついており、そこにはあっというまに穴が掘られた。ウィルバーがその穴に這っていくと、藁にすっかり覆われ、見えなくなった」

 ファーンという少女はブタのウィルバーの命を最初に救った人物であり、そのため彼女が中心的な役割を果たす話だと思いがちだが、じつはぜんぜんちがって、彼女はウィルバーがもう手に負えないほど育ったとき、おじさんのズッカーマン氏に6ドルで売り払うのである。なんという無情。ここから、ウィルバー自身が語りはじめる。

「“One day just like another,” he groaned. “I’m very young, I have no real friend here in the barn, it’s going to rain all morning and all afternoon, and Fern won’t come in such bad weather. Oh, honestly!” And Wilbur was crying again, for the second time in two days.」(p.27)
「「毎日が似たり寄ったり」ウィルバーはうめいた。「ぼくはこんなに若いのに、この小屋にはほんとうの友だちなんて一人もいない。朝じゅう、夜じゅう雨が降りそうだし、こんな天気じゃファーンは来てくれない。ああ、まったくもう!」ウィルバーはまたしても泣いていた。二日間で二度目のことだった」

「Wilbur next tried one of the lambs.
 “Will you please play with me?” he asked.
 “Certainly not,” said the lamb. “In the first place, I cannot get into your pen, as I am not old enough to jump over the fence. In the second place, I am not interested in pigs. Pigs mean less than nothing to me.”
 “What do you mean, less than nothing?” replied Wilbur. “I don’t think there is any such thing as less than nothing. Nothing is absolutely the limit of nothingness. It’s the lowest you can go. It’s the end of the line. How can something be less than nothing? If there were something that was less than nothing, then nothing would not be nothing, it would be something – even though it’s just a very little bit of something. But if nothing is nothing, then nothing has nothing that is less than it is.”
 “Oh, be quiet!” said the lamb. “Go play by yourself! I don’t play with pigs.”」(p.28)
「ウィルバーは次に一匹の子羊にあたってみた。
 「ねえねえ、遊ぼうよ」彼は尋ねる。
 「冗談じゃない」子羊が答えた。「第一、きみの囲いのなかには入れっこない。柵を飛び越えられるほどには、まだ成長していないからね。第二に、ブタには興味がないんだ。ぼくにしてみれば、ブタなんて無よりも価値がない」
 「『無』よりもないって、どういうこと?」ウィルバーが応えた。「無よりもさらにないものなんて、ないと思うな。無ってのはぜったい、ないものの限界でしょう。無よりもない、ってことはないはずだよ。限界なんだから。いったいどうしたら、無以下になれるっていうのさ? もし無以下のなにかがあるんだとしたら、それじゃあ無は無じゃないってことになって、なにかだってことになる――たとえほんのちょびっとの、なにかだとしても。でも、もし無が『無』なんだとしたら、無はそれより以下のものなんて持てないはずだよ」
 「ああ、うるせえ!」子羊が言った。「独りで遊んでろ! ブタとは遊ばないったら!」」

 ズッカーマン氏の家畜小屋で不遇をかこつウィルバーだったが、そんな彼にもついに友人ができる。それがクモのシャーロットなのである。シャーロットは教養あるクモで、ウィルバーの知らない言葉をたくさん知っている。

「“Salutations!” said the voice.
 Wilbur jumped to his feet. “Salu–what?” he cried.
 “Salutations!” repeated the voice.
 “What are they, and where are you?” screamed Wilbur. “Please, please, tell me where you are. And what are salutations?”
 “Salutations are greetings,” said the voice. “When I say ‘salutations,’ it’s just my fancy way of saying hello or good morning. Actually, it’s a silly expression, and I’m surprised that I used it at all.”」(pp.35-36)
「「ごきげんよう!」声が言った。
 ウィルバーは跳ね起きた。「ごき――なんだって?」彼は叫んだ。
 「ごきげんよう!」声は繰り返した。
 「それ、なに? きみ、どこ?」ウィルバーは大声で言った。「おねがい、おねがいだから、どこにいるのか教えて。それから、『ごきげんよう』ってなに?」
 「『ごきげんよう』は挨拶の言葉」声が言った。「わたしが『ごきげんよう』って言うのは、『やあ』とか『おはよう』とか言うときの、わたしなりの風変わりなやりかたなの。じっさい馬鹿げた表現だから、使ってることに驚いてるくらいだけどね」

 しかし、ブタのウィルバーとはちがって、クモであるシャーロットには、毎日エサを運んでくれるひとなどいない。彼女はみずからの巣にかかる虫たちを捕食しているのである。ここから、この物語の重要な話題のひとつ、生死の問題が関わってくる。

「“You mean you eat flies?” gasped Wilbur.
 “Certainly. Flies, bugs, grasshoppers, choice beetles, moths, butterflies, tasty cockroaches, gnat, midges, daddy longlegs, centipedes, mosquitoes, cricket – anything that is careless enough to get caught in my web. I have to live, don’t I?”
 “Why, yes, of course,” said Wilbur. “Do they taste good?”
 “Delicious. Of course, I don’t really eat them. I drink them – drink their blood. I love blood,” said Charlotte, and her pleasant, thin voice grew even thinner and more pleasant.
 “Don’t say that!” groaned Wilbur. “Please don’t say things like that!”」(p.39)
「「それってつまり、ハエを食べるってこと?」ウィルバーはあえいだ。
 「もちろん。アブ、ハエ、バッタ、ある種のハチも、蛾、チョウチョ、おいしいゴキブリも、ブヨ、ガガンボ、ムカデ、蚊、コオロギも――わたしの巣にかかる散漫な連中は、なんだって。わたしだって、生きなくちゃならないでしょ?」
 「うん、いやまあ、そりゃそうだけど」とウィルバー。「おいしいの?」
 「美味よ。もちろん、文字どおり食べるってわけじゃないわ。飲むのよ――連中の血を飲むの。わたし血って大好き」シャーロットは言い、彼女のか細く好ましい声は、ますますか細く好ましくなった。
 「言わないで!」ウィルバーはうめいた。「おねがいだから、そんなこと言わないで!」」

「He was sad because his new friend was so bloodthirsty.」(p.39)
「ウィルバーは新しい友人がいかにも血に飢えているのを知り、悲しくなった」

 そもそもウィルバーが家畜小屋で生活しているのは、いつか屠殺され、人びとの食料となるためなのだった。クリスマスには食べごろになっているだろう。意地悪な老ヒツジにその事実を伝えられ、ブタはパニックに陥る。

「“I don’t want to die!” screamed Wilbur, throwing himself to the ground.
 “You shall not die,” said Charlotte, briskly.
 “What? Really?” cried Wilbur. “Who’s going to save me?”
 “I am,” said Charlotte.」(p.51)
「「死にたくない!」ウィルバーは地面に身を投げつつ叫んだ。
 「あなたは死なないわ」シャーロットは快活に言った。
 「え? ほんとう?」ウィルバーは声を立てた。「だれが助けてくれるっていうのさ?」
 「わたしが」シャーロットが言った」

 シャーロットは友人のブタを助けるために、策を講じる。それが彼女の巣、つまり「Charlotte's Web」なのである。「Web」はどう訳したって「おくりもの」にはならないが、タイトルが「シャーロットの巣」ではなにがなんだかわからないので、まあ妥当な訳題ではあるだろう。「おくりもの」のほうも、なにがなんだかわからないものの、それがなんであるかを読む前から知っている必要はないはずだ。

「“You needn’t feel too badly, Wilbur,” she said. “Not many creatures can spin webs. Even men aren’t as good at it as spiders, although they think they’re pretty good, and they’ll try anything. Did you ever hear of the Queensborough Bridge?”
 Wilbur shook his head. “Is it a web?”
 “Sort of,” replied Charlotte. “But do you know how long it took men to build it? Eight whole years. My goodness, I would have starved to death waiting that long. I can make a web in a single evening.”
 “What do people catch in the Queensborough Bridge – bugs?” asked Wilbur.
 “No,” said Charlotte. “They don’t catch anything. They just keep trotting back and forth across the bridge thinking there is something better on the other side. If they’d hang head-down at the top of the thing and wait quietly, maybe something good would come along. But no – with men it’s rush, rush, rush, every minute. I’m glad I’m a sedentary spider.”
 “What does sedentary mean?” asked Wilbur.」(pp.60-61)
「「そんなに落ち込むことないわ、ウィルバー」と彼女が言う。「巣を張れる動物なんて、そう多くはないもの。人間にしたって、クモほどうまくはやれないわ。彼らはうまくやってると思いこんでるし、そのためにはどんなことだって試しはするだろうけれど。クイーンズボロー橋のこと、聞いたことある?」
 ウィルバーは首を横に振った。「それって、巣なの?」
 「ある意味ではね」とシャーロットの答え。「でも、人間がこれをつくるのに、どれほど時間がかかったか知ってる? 丸八年もかかったのよ。まったく、そんなに長いこと待たされたんじゃ飢え死にしちゃうわ。巣をつくるのなんて、わたしなら一晩あれば十分」
 「人間はそのクイーンズボロー橋でなにを捕まえるの? 虫?」ウィルバーが尋ねた。
 「いいえ」とシャーロット。「彼らはなにも捕まえやしないの。反対側になにかましなものがあることを夢見て、ただ橋のうえを急ぎ足で行ったり来たりするだけ。橋のうえで頭を垂れて、静かに待ちさえすれば、ちょっとはましなものに巡り会えるでしょうけれど。でも、そんなことはしないの。人間ってのはいつだって駆け足で、急いでいて、足を止めないものなのよ。固着性のクモで良かったわ」
 「固着性ってなに?」ウィルバーは尋ねた」

「“What is that nifty little thing? Did you make it?”
 “I did indeed,” replied Charlotte in a weak voice.
 “Is it a plaything?”
 “Plaything? I should say not. It is my egg sac, my magnum opus.”
 “I don’t know what a magnum opus is,” said Wilbur.
 “That’s Latin,” explained Charlotte. “It means ‘great work.’ This egg sac is my great work – the finest thing I have ever made.”」(pp.144-145)
「「あのちっちゃな、すてきなものはなあに? きみがつくったの?」
 「ええ、わたしがつくったのよ」シャーロットは弱々しい声で答えた。
 「あれって、おもちゃ?」
 「おもちゃ? ちがうわね。あれはわたしの卵入れ、わたしの『マグナム・オープス』よ」
 「『マグナム・オープス』がなんなのか、知らないや」とウィルバー。
 「ラテン語よ」とシャーロットが説明した。「『最高傑作』って意味。あの卵入れはわたしの最高傑作、これまでつくったなかでも、最高の出来なの」」

 知的なクモであるシャーロットは、ウィルバーの運命を変えるために知恵を絞りつづける。

「“Oh, I’ll work it out alone,” said Charlotte. “I can think better if I think alone.”
 “All right,” said Wilbur. “But don’t fail to let me know if there’s anything I can do to help, no matter how slight.”」(p.64)
「「ううん、独りでやってみせるわ」シャーロットが言った。「独りのときのほうが、じっくり考えられるの」
 「わかったよ」とウィルバー。「でも、なにか手伝えることがあったら、ぜったい教えてね。どんな些細なことでも」」

「“If I can fool a bug,” thought Charlotte, “I can surely fool a man. People are not as smart as bugs.”」(p.67)
「「虫たちを騙せるのなら」シャーロットは考えた。「人間を騙せないわけがないわ。人間は虫たちほど賢くないもの」」

 やがて彼女が思いついたのは、自分のクモの巣で文字を書き、人びとにウィルバーの価値を伝えることだった。これはもちろん、功を奏する。

「On foggy mornings, Charlotte’s web was truly a thing of beauty. This morning each thin strand was decorated with dozens of tiny beads of water. The web glistened in the light and made a pattern of loveliness and mystery, like a delicate veil.」(p.77)
「霧深い朝には、シャーロットの巣はまったくもって美の結晶である。この朝、細い糸の一本一本が細かな露に飾られ、巣は光を受けて輝き、繊細な覆いのように魅力と神秘の柄を成していた」

「“You know,” he said, in an important voice, “I’ve thought all along that that pig of ours was an extra good one. He’s a solid pig. That pig is as solid as they come. You notice how solid he is around the shoulders, Lurvy?”
 “Sure. Sure I do,” said Lurvy. “I’ve always noticed that pig. He’s quite a pig.”
 “He’s long, and he’s smooth,” said Zuckerman.
 “That’s right,” agreed Lurvy. “He’s as smooth as they come. He’s some pig.”」(pp.81-82)
「「じっさいのところ」彼は重大なことを告げるように言った。「うちのブタはただものじゃないと、常々思っていたんだ。がっちりしたやつじゃないか。このうえなくがっちりしてる。ほら、あの肩まわり、わかるだろ、ラーヴィ?」
 「もちろん、もちろんですとも」とラーヴィ。「あのブタには驚嘆しきりです。まったくたいしたブタです」
 「あの体躯、そしてあのお肌のすべすべ感」とズッカーマン氏。
 「まったくです」とラーヴィが同意した。「あんなすべすべは、そうそうお目にかかれるもんじゃあない。たいしたブタです」」

 ズッカーマン氏の牧場にいる人びとが「He’s quite a pig」だの「He's some pig」だの繰り返すのが大変楽しい。シャーロットの思惑はうまくいったのである。彼女は語彙の豊富なクモではあるが、かといって綴りまで知っているわけではないので、嫌味なドブネズミ、テンプルトンなどの助けを借り、雑誌の紙片などから書くべき単語の綴りを見出したりする。以下は文字を決めるための会議の場面で、これもまた大変楽しい。

「“I shall begin by calling the roll. Wilbur?”
 “Here!” said the pig.
 “Gander?”
 “Here, here, here!” said the gander.
 “You sound like three ganders,” muttered Charlotte. “Why can’t you just say ‘here’? Why do you have to repeat everything?”
 “It’s my idio-idio-idiosyncrasy,” replied the gander.
 “Goose?” said Charlotte.
 “Here, here, here!” said the goose. Charlotte glared at her.
 “Goslings, one through seven?”
 “Bee-bee-bee!” “Bee-bee-bee!” “Bee-bee-bee!” “Bee-bee-bee!” “Bee-bee-bee!” “Bee-bee-bee!” “Bee-bee-bee!” said the goslings.」(p.86)
「「それじゃあまず、点呼をとります。ウィルバー?」
 「ここに!」ブタが言った。
 「ガチョウの旦那は?」
 「ここ、ここ、ここ!」ガチョウの旦那が言った。
 「三羽いるみたいに聞こえるわね」とシャーロットが毒づいた。「どうして一回だけ『ここ』と言えないの? なんだってなんでも繰り返すのよ?」
 「そいつはおいらの、とく、とく、特異性ってやつです」ガチョウの旦那が答えた。
 「奥さんのほうは?」
 「ここ、ここ、ここ!」ガチョウの奥さんが言った。シャーロットは奥さんをにらみつけた。
 「それじゃあガチョウの子どもたち、一から七羽目まで?」
 「ビー、ビー、ビー!」「ビー、ビー、ビー!」「ビー、ビー、ビー!」「ビー、ビー、ビー!」「ビー、ビー、ビー!」「ビー、ビー、ビー!」「ビー、ビー、ビー!」ガチョウの子どもたちが言った」

「“How about ‘Pig Supreme’?” asked one of the lambs.
 “No good,” said Charlotte. “It sounds like a rich dessert.”
 “How about ‘Terrific, terrific, terrific’?” asked the goose.
 “Cut that down to one ‘terrific’ and it will do very nicely,” said Charlotte.」(pp.87-89)
「「『ピッグ・シュプリーム』ってのはどうだろう?」子羊の一匹が提案した。
 「だめね」とシャーロット。「高級なデザートみたいに聞こえるわ」
 「それじゃあ、『ものすごい、ものすごい、ものすごい』っていうのは?」とガチョウの奥さん。
 「三つじゃなくてひとつの『ものすごい』だったら、もってこいだわね」とシャーロットが言った」

 採用される「terrific」という単語、ここでは「ものすごい」と訳したが、語義に「terror」などを含んでいることから、「おそるべき」と訳してもいい言葉である。だが、日本語の「おそるべき」はちょっと否定的なニュアンスを含んでいるので、「ものすごい」で満足することにした。「すばらしい」でもいいが、これだと原語が「terrific」である必要性を感じさせない。刊行されている翻訳がどうなっているのか気になるところである。

 ちなみにこの本にはガース・ウィリアムズによるたくさんの挿絵が付されており、それがどれも大変すばらしい。以下は「terrific」を冠したウィルバー。この満足げな顔!

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 最初にまるで主人公のように登場した少女ファーンは、ズッカーマン氏の牧場に毎日姿を見せ、そのあまりの頻度に両親のアラブル夫妻をやきもきさせるが、次第に動物たちから興味を失い、物語から自然にフェードアウトしていく。このあたりの移り気なところも、人間の残酷さを示している。以下はアラブル夫人が医者のドリアン氏に相談する場面で、ドリアン氏の人柄がいちいちすばらしい。

「Mrs. Arable fidgeted. “Fern says the animals talk to each other. Dr. Dorian, do you believe animals talk?”
 “I never heard one say anything,” he replied. “But that proves nothing. It is quite possible that an animal has spoken civilly to me and that I didn’t catch the remark because I wasn’t paying attention. Children pay better attention than grownups. If Fern says that the animals in Zuckerman’s barn talk, I’m quite ready to believe her. Perhaps if people talked less, animals would talk more. People are incessant talkers – I can give you my word on that.”」(p.110)
「アラブル夫人はそわそわ言った。「ファーンは動物たちが互いにおしゃべりしているなんて言うんです。ドリアン先生、動物がしゃべるだなんて信じられます?」
 「そんな話、聞いたこともないですな」と彼。「でも、それがなにかの証拠になるってわけじゃあない。動物たちが礼儀正しく話しかけてきていたのに、わたしが気を配っていなかったがために気づかなかったというのは、いかにもありそうなことです。子どもたちは大人よりも注意深いですからな。ズッカーマンさんのところの小屋の動物たちがおしゃべりしているとファーンが言うのなら、わたしとしては信じるにやぶさかではありません。人びとがこれほどおしゃべりでなかったら、動物たちはもっと話してくれるのかもしれないでしょう。誓ってもいいですが、人間ほどおしゃべり好きな動物はいませんからな」」

「“How’s Avery?” he asked, opening his eyes wide.
 “Oh, Avery,” chuckled Mrs. Arable. “Avery is always fine. Of course, he gets into poison ivy and gets stung by wasps and bees and brings frogs and snakes home and breaks everything he lays his hands on. He’s fine.”
 “Good!” said the doctor.」(pp.111-112)
「「アヴェリーくんの調子はどうです?」先生は目を見開きながら尋ねた。
 「ああ、アヴェリーですか」アラブル夫人はほくそ笑んだ。「いつもどおり元気ですよ。もちろん、毒の草むらに飛び込むわ、あらゆる種類のハチに刺されるわ、ヘビだのカエルだのを家に連れ帰るわ、手に触れるものぜんぶ壊して回ったりしていますけれど。まあ元気です」
 「大変けっこう!」医者は言った」

 生死というややこしい事柄が、大人びた欺瞞なしに率直に語られている作品で、日本でももっと多くの人びとに読まれるべきだと思う。なにせ、ハエを罠にかけて血を吸うクモが、人びとのクリスマスの食卓に友人であるブタが並ぶのを阻止しようとしているのだ。こんな話ってない。

「No pig ever had truer friends, and he realized that friendship is one of the most satisfying thing in the world.」(p.115)
「これほど信頼の置ける友人を持つブタなど、どこにもいやしない。そして彼は、友情ほどすばらしいものなど世の中にはありはしないということに気がついたのだった」

「“Why did you do all this for me?” he asked. “I don’t deserve it. I’ve never done anything for you.”
 “You have been my friend,” replied Charlotte. “That in itself is a tremendous thing. I wove my webs for you because I liked you. After all, what’s life, anyway? We’re born, we live a little while, we die. A spider’s life can’t help being something of a mess, with all this trapping and eating flies. By helping you, perhaps I was trying to lift up my life a trifle. Heaven knows anyone’s life can stand a little of that.”」(p.164)
「「どうしてここまでしてくれるの?」彼は尋ねた。「ぼくにはそんな価値ないよ、きみになにひとつしてあげなかった」
 「友だちになってくれたじゃない」とシャーロットが答えた。「それってそれ自体、ものすごいことなのよ。わたしがあなたのために巣をはったのは、あなたのことが好きだったから。結局、一生ってなんなのかしら? 生まれて、ちょっとのあいだ生きて、そして死んでゆく。クモの一生なんて、罠を仕掛けてハエを食べるような、汚らわしいものでしかないもの。あなたを助けることで、きっとわたしは自分の一生に、ちょっとでも意味を与えようとしていたんだわ。どんな一生だって、そういうちょっとした意味を求めるものなのよ」」

 ちょっと訳文について書くと、上に挙げた箇所の最後の一文、「Heaven knows anyone’s life can stand a little of that」は、訳しづらいところだった。最初の「Heaven knows」は強調、「can stand a little of」は「すこしの~を必要としている」、そして最後の「that」は直前の文章「to lift up my life a trifle」を表している。読んでいるときにはなんとなく意味がわかっても、いざ訳すとなるとちょっとややこしい箇所である。

「Life is always a rich and steady time when you are waiting for something to happen or to hatch.」(p.176)
「なにかが起きたり生じたりするのを待っているとき、人生はいつも豊かで安定したものになる」

 この物語がどんなふうに終わるのか、それを書くことはしないので、ここまで読んだ方にはぜひとも自分の目で確かめてみてもらいたい。百年後にもけっして古びてはいないと断言できる、ちょっと忘れがたい一冊である。

Charlotte's Web (full color)

Charlotte's Web (full color)

 

 ちなみに翻訳は以下。

シャーロットのおくりもの

シャーロットのおくりもの