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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

出版業界の危機と社会構造

書店に勤める女性から「衝撃的な本」と言われ手に取った一冊。

出版業界の危機と社会構造

出版業界の危機と社会構造

 

小田光雄『出版業界の危機と社会構造』論創社、2007年。


本当に、色々な意味で「衝撃的な本」だった。これは出版及び書店業界の行く末を追ったもので、この業界に属する者としては未来を憂えずにはいられなくなるような代物だ。

著者が伝えようとすることは間違っていないだろうし、また広く語られるべき問題でもあるだろう。だけど、それを実践するにはあまりにも誤植が多い。書物の未来を嘆くのならば、校正くらい時間をかけてじっくりと行ってもらいたいものだ。

しかし、本当に誤植が多くて驚かされた。ひょっとしたら逆に、出版業界の危機を唱えるために敢えて誤植を用意したのかと思ってしまうほどだ。例えば「残念でならない」と書くところを「残年でならない」と、小学生でも判別できるような誤字で表している。誤植の数は全体で百を数えるのではないか。

それともう一つ、衒学的な態度が気になった。何かある度に「自分が最初に書いた」だの「歴史軸を導入しなければわからない」だのと、一々著作自体を卑しめるようなことを繰り返している。しかし、著者の言う「歴史軸」も蘊蓄の枠を出ないものだし、それを明かすことで得られる情報は現状の批評にしか活かされていないことからも、これは批評本の枠組みを越えるものではない。


そもそも歴史軸を導入するというのなら、アメリカから押しつけられる様々な規制緩和政策がレーガン・中曽根体制以降のネオリベラリズム政策に起因するものであり、それらに抗する手段が未だ用意されておらず、現政権がそれを用意するつもりなどサラサラないことにも触れるべきだったろう。そしてアンダーソンの出版資本主義の理論はヨーロッパにおける宗教改革以降のラテン語没落に起因するものだったはずであり、国民同士の空間の共有のみを語ったものではなく、それを指したいのならば「新聞が礼拝の代わりとなった」と述べたヘーゲルや、『ミメーシス』において「均質で空虚な時間の共有」を唱えたエーリッヒ・アウエルバッハを引き合いに出すべきだっただろう。それをアンダーソンで済ましてしまっている時点で、この本は著者が否定的に描いている「昨今の新書」と何も変わらず、学問と呼べるものではなくなってしまっている。こういった状況の常態化自体が彼が憂うべき「教養主義の没落」であることは間違いないだろう。少なくとも彼の衒学的態度はそれを体現してしまっている。カルチュラル・スタディーズの大家たる吉見俊哉の名がわざわざ挙げられているのも、著作に実際以上の価値を与えようとしているようにしか見えない。テーマ自体は語られるべき問題であり、確かに他の本では語られないような核心にも触れているように思えるが、この誤植の数と衒学的態度のおかげで他人に手放しに勧めることができなくなってしまっている。まったく「残年」でならない。

結局、この本は現在の出版業界の惨状を語りながらもその回復の手段には沈黙を守ってしまっており、その点において批評本の枠を出ないものである。批評は学問ではない。著者のやっていることはまるで、通りかかった火事の現場で来るはずもない消防車を呼んで逃げ去っていくのと同じことである。それとこれは個人的な見解だが、様々な経営努力を数字だけで判断され「こんなに赤字が出てる。出版不況だ」と言われてはたまらない。中途半端な「学問」を気取り、経営学的な意見を述べない言い訳を用意するくらいなら、それだけの赤字にとどめるための努力や方策にこそ目を向けるべきだったのではないだろうか。現状に関する省察が大変優れているため、その分勿体ないの一言に尽きる。

友人の女性がこれを「衝撃的」と評した理由もよくわかった。簡単に人に勧められない本を、敢えて勧めてくれた彼女に敬意と感謝を表したい。

出版業界の危機と社会構造

出版業界の危機と社会構造