Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

創造者

今月謎の文庫化を遂げた奇跡の一冊。友人たちと予想していた装幀が見事に的中して、我々を喜ばせてくれた。

創造者 (岩波文庫)

創造者 (岩波文庫)

 

ホルヘ・ルイス・ボルヘス(鼓直訳)『創造者』岩波文庫、2009年。


ボルヘスの詩文集である。詩というものはそもそも読み終わることがない。そして、ボルヘスの文章もまた読み終わることがない。しっかりと捉えるためには、一つの作品を立て続けに二回読むといい。

「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」(「ある会話についての会話」より、23ページ)

短い長篇小説を次々に読んでいるような感覚に陥る。一篇ごとに息継ぎをしないと、先に進めない。息継ぎなしに進んでも、何も頭に入ってこないのだ。だから、自分のリズムのためにも、二回読むといい。

「さよならを口にするのは、別離を否定すること、すなわち「今日は別れる振りをしても、どうせ、明日また会うのだ」と言うことだ。人間が別れのことばを思いついたのは、偶然に授かった、はかない命と思いつつも、やはり何らかの意味で、自分は不死の存在だと知っているからなのだ」(「デリア・エレーナ・サン・マルコ」より、39~40ページ)

この上なく本質的なことを書いているはずなのに、なかなか捉えられない。この作家を理解できるようになりたい、と感じる。ただ解りづらい文章を書いている作家だったら、こんなことは思わないだろう。広漠な宇宙の中で、僕は具体的な言葉に感動する。全体が理解できなくても、部分だけで恐ろしい説得力があるのだ。「畏怖」という言葉ほど、僕のボルヘスに対する感情を言い当てたものもないだろう。

「わたしが死んだら、果して何が、わたしとともに死んでいくのだろうか? はかなく哀れなものの何を、世界は失うのだろうか?」(「証人」より、59ページ)

「文学の始まりには神話があり、同様に、終わりにもそれがあるのだ」(「セルバンテスドン・キホーテの寓話」より、67ページ)

「(仮にわたしが何者かであるとしての話だが)わたしはわたし自身ではなく、ボルヘスとして生き残るのだろう。しかし、わたしは彼の書物のなかよりもむしろ、他の多くの書物や懸命なギターの音のなかに、わたし自身の姿を認める」(「ボルヘスとわたし」より、91ページ)

一冊の本として腰を据えて読むよりも、時々パラパラと開いた時にこそ真価を発揮する類いの本だ。自分の本棚の中でも、実は最も手垢にまみれている類いの本である。

「神が指し手を、指し手が駒を動かす。
 神の背後にいかなる神がいて、塵と時間、
 夢と苦悶のからくりを編みだしたのだろう?」(「象棋」より、104~105ページ)

「目覚めとは夢みていないと夢みる
 別の夢であり、わたしたちの肉が
 怖れる死は、夢と人が呼んでいる、
 あの夜毎の死だと感じる」(「詩法」より、177ページ)

『創造者』を時々読み返すことのできる人とそうでない人の間には、歴然たる差がある。人生が変わってくる、とさえ思う。2009年は『創造者』が文庫化された記念すべき年となった。しかも来月は『続審問』が出る。どうした岩波。ポケットの中にボルヘスを。歴史に残る年である。

創造者 (岩波文庫)

創造者 (岩波文庫)