Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

病牀六尺

先日紹介した宮脇俊三『時刻表2万キロ』に続く、我らが読書会の第二回課題図書。他のメンバーが中々手に取らなさそうな本を持ち回りで紹介し、課題として挙げる会である。

病牀六尺 (岩波文庫)

病牀六尺 (岩波文庫)

 

正岡子規『病牀六尺』岩波文庫、1927年。


先日、メンバーの全員がボルヘスの愛読者であることを記念して、会の名前が決定した。「伝奇集会」である。我ながら素晴らしい名前だ。

さて、今回は正岡子規である。正岡子規ならば前回のような混乱は起きそうもないが、なかなか気安く手に取れるイメージもない。それなりに時間のかかる読書を覚悟して読み始めた。

「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7ページ)

『病牀六尺』は子規の闘病生活最晩年に書かれた、死の二日前まで続く随筆集だ。話題は俳句の作法のことから絵画の審美、能楽から教育論に至るまで、多岐にわたっている。そしてそれが大変読みやすいのだ。旧仮名遣いの本をこれほどスラスラと読んだのは初めてかもしれない。俳句や能楽に全く不案内な私にでも、子規の言わんとすることが伝わってくるのだ。子規独特のユーモアもあって、読む者を飽きさせない。

「床の間に虞美人草を二輪活けてその下に石膏の我小臥像と一つの木彫の猫とが置いてある。この猫は蹲まつて居る形で、実物大に出来て居つて、さうして黄色のやうなペンキで塗つてある。このペンキは夜暗い処で見ると白く光るやうに出来て居るので、普通のペンキとは違つて居る。これは水難救済会で使用するためにわざわざ英国から取り寄せたのであつて、これを高い標柱に塗つて救難所のある処の海岸に立てて置くと、如何なる暗夜でも沖に居る難破船からその柱が見えるので、其処に救難所のあるといふ事が船中の人にわかるやうになつて居る。これを木彫の猫に塗って試に台所の隅に置いてみたところがその夜はいつものやうに鼠が騒がなかつた。しかしただ薄白く光るばかりで勿論猫の形が闇に見えるわけでもないから、翌晩などは例の通りいたづら物は荒れ放題に荒れたほどで敢てこれが鼠除けになるわけではないが、しかし難破船の目標としては多少の効力がある事はいふまでもない」(63~64ページ)

特に興味深かったのは俳句に関する多くの記述である。私は詩も和歌も好きだけれど、俳句の善し悪しだけはよくわからなかった。子規は俳句の中に現れる一つ一つの言葉を取り上げて、何故これはこの単語ではないのか、こうした方が良く聞こえるのではないか、と実に様々な角度から一つの俳句を見つめなおす。「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」という有名な句も、「柿食ふて居れば鐘鳴る法隆寺」では句法が弱いと書かれている。まだまだよく判らないながらも、俳句を楽しむ入口が垣間見えた気がして嬉しい。

「理想の作が必ず悪いといふわけではないが、普通に理想として顕れる作には、悪いのが多いといふのが事実である。理想といふ事は人間の考を表はすのであるから、その人間が非常な奇才でない以上は、到底類似と陳腐を免れぬやうになるのは必然である」(76ページ)

多岐にわたる話題には服飾のことさえ含まれる。現代の若者に読ませてあげたい。

「男子にて修飾を為さんとする者は須く一箇の美的識見を以て修飾すべし。流行を追ふは愚の極なり。美的修飾は贅沢の謂に非ず、破袴弊衣も配合と調和によりては縮緬よりも友禅よりも美なる事あり」(135ページ)

俳句と同じかそれ以上に話題になるのが、絵画である。子規は病床における多くの時間を画帖を眺めながら過ごし、自らも「菓物帖」と「草花帖」を用意し絵を描き続けた。この時子規が見ていた画帖と彼自身の作を併せて画集を作ったら面白いと思う。そういうものはあるのだろうか。

「或る絵具と或る絵具とを合せて草花を画く、それでもまだ思ふやうな色が出ないとまた他の絵具をなすつてみる。同じ赤い色でも少しづつの色の違ひで趣が違つて来る。いろいろに工夫して少しくすんだ赤とか、少し黄色味を帯びた赤とかいふものを出すのが写生の一つの楽しみである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであらうか」(142ページ)

全く知らない分野のものが、これほど気安く読めたのが嬉しい。新聞に掲載された『病牀六尺』と並行して書かれた『仰臥漫録』にも興味を持った。聞いたところに依ると、こちらは『病牀六尺』よりも更に食べ物に関する記述が多いらしい。楽しみである。

病牀六尺 (岩波文庫)

病牀六尺 (岩波文庫)