Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ディフェンス

大学三年生の時、毎日のようにチェスを指していた。相手をしてくれていた友人がフランスに発ってからは、この素晴らしい習慣は失われてしまっていたが、チェスに対する興味は未だに尽きていない。

ディフェンス

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ウラジーミル・ナボコフ(若島正訳)『ディフェンス』河出書房新社、2008年改版(1999年初版)。


チェス小説と書かれた帯につられて、読んでしまった。主人公は天才チェス・プレイヤー、ルージン。タイトルの「ディフェンス」とはチェスの序盤戦法の用語であり、原題は元々「ルージン・ディフェンス」である。運命という相手に対して敷かれるルージンの防御陣形の構築、様々なコンビネーションを用いてそれを崩しにかかる運命、そして最期の投了。ナボコフは全てを「まえがき」に書いている。そして結末を知らせた上で、この小説をあたかもチェス・プロブレムの解説のように進めていくのである。

「この小説を今読み返してみて、筋書きの一手一手を再現してみると、私はまるで不運で潔いキゼリツキーに対してルークを二つとも捨てたのを懐かしく思い起こすアンデルセンのような気分になる――かわいそうにもキゼリツキーは数限りない入門書で何度も何度もその捨て駒を喰い、記念碑として疑問符を付される宿命なのだ。この物語は創作が困難だったが、私が大いに楽しんだのは、あれこれのイメージや場面を利用してルージンの人生に運命のパターンを導入し、庭や、旅や、取るに足らない一連の出来事を、チェスという技のゲームに似せて描き、さらに、とりわけ終わりの数章では、まさしくチェスの猛攻に似て、哀れな主人公の正気を支える最奥の部分をずたずたにしたところだった」(「まえがき」より、6ページ)

言及されているキゼリツキーとアンデルセンの対局は、「訳者あとがき」に棋譜が付されている。ちょうどチェスの指南書を読むときのように、自分で再現することができて嬉しい。二つのルークがどれほど鮮やかに捨てられたか、それを追いながら小説を思い返すと、ルージンの妻が演じた役割は、まるで無防備になったルークを奪うためにh8からa8へと翻弄させられたクイーンのようだ。

チェスを知らない人が読んでも楽しめはしないだろう。読んでいると無性にチェスがしたくなる。携帯電話のチェスゲームをダウンロードしてやってみたが、コンピューターの指し手はいつも同じで、決まって同じところでクイーンを譲り渡してくる。つまらん。久しぶりに友人とチェスを指したくなった。

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<読みたくなった本>
ナボコフ『ロリータ』
→実はまだ読んでいない。

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

 

ツルゲーネフ『ルージン』
→主人公の名前が同じ。

ルーヂン (岩波文庫 赤 608-3)

ルーヂン (岩波文庫 赤 608-3)

 

プーシキン『オネーギン』
プーシキンロシア文学の中に決まって登場する。イギリスのシェイクスピアのようなものなのかもしれない。

オネーギン (岩波文庫 赤604-1)

オネーギン (岩波文庫 赤604-1)