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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

リヒテンベルク先生の控え帖

 二ヶ月ほどかけてショーペンハウアー『読書について』を何度も読んでいたら、彼が頻繁に引用する作家たちの名前をリストアップできるようになっていた。ホラティウスアリストテレスセネカ、そしてリヒテンベルクである。最初の三人はギリシア・ローマの古典としてすぐに思い浮かぶし、ショーペンハウアーがちょうどモンテーニュエラスムスのようなユマニスト的側面を持っていてもなんの不思議もないのだが、最後の一人が問題だ。ていうか、リヒテンベルクってだれ? 調べてみたところ、こんな訳書が見つかった。

リヒテンベルク先生の控え帖 (平凡社ライブラリー)

リヒテンベルク先生の控え帖 (平凡社ライブラリー)

 

ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク(池内紀編訳)『リヒテンベルク先生の控え帖』平凡社ライブラリー、1996年。


 リヒテンベルクは1742年生まれ1799年没の物理学者で、著作と呼べるものは没後出版された15冊のノートだけである。小説を書いたわけでもなく、生前に物理学以外の分野で名を知られていたわけでもなかった。しかしこれらのノートは、「全部を訳したりしようものなら、二千頁をこえる」ほどの分量であり、リヒテンベルクはこれを35年もの歳月にわたって、ひっそりと書きつづけていたのだ。

 わたしは「名言集」や「格言集」といったものにはまるで興味がないが、ノートとなると話は別である。第三者によって著作を抜き書きされた「名言集」なる本はおしなべて紙クズだが、ノートというのはふとした思いつきや考えたことを、他人に見せることを前提とせずに書きとめたものだからだ。自分のノートがみずからの死後だれかの目にとまることを知っていたら、リヒテンベルクは同じ書き方はしなかったにちがいない。似たようなことを、彼自身も書いている。

「有名人の著書の場合、書きとめられたことよりも消し去られたものを読みたい」(42ページ)

 ところで、長年にわたってひそかに書き貯められたノート、というと、だれか思い出さないだろうか。そう、もちろんヴァレリーである。ヴァレリーの『カイエ(cahier、フランス語でノートの意)』も、発表することを意図せずに書かれた膨大な思索の痕跡だった。量はヴァレリーのほうが圧倒的に多いものの(およそ二万六千ページ!)、基本的な性格は同じだといえるだろう。また、匿名性という点では、ペソア「断章」も思い出す。これらの文章は、書いている当人以外の読者は想定されておらず、そのため文学的野心のようなものとは無縁で、伝達を目的としているわけではないので余計な説明で飾りたてられているわけでもない。言うなれば思考のもっともまっさらかつ濃密な箇所だけを抽出したエスプレッソのようなものであり、それが何ショットも集められたのがこれらのノート、「カイエ」であり「断章」であり「控え帖」なのだ。おもしろくないわけがない。

「商人は「控え帖(ウェイスト・ブック)」をもっている(ドイツ語では「ズーデルブーフ」とか「クリッターブーフ」というはずだ)。彼らはそこに毎日、売買のすべてを、即座に、秩序づけずに書き入れる。そののち、その日の台帳に書き写し、最後にイタリア式簿記で整理する。貸方に借方、複式簿記の方法である。学者もまたこれに倣っていいのではあるまいか。まずノートだ、そこに見たもの、思ったことのすべてを書き入れる。そののちに分類して秩序づけ書き写せばいい。思考の簿記であって、そうすれば物事の関連性と、そこから生じる解明とが、きちんとした表現を見るだろう」(38ページ)

「ノートには、ふとした思いつきが委細をつくして記されたりする。事柄が目新しいと、通常、人が陥るところであって、それに親しむに従い、不要なものに気がついて簡明に記しだす。私の場合にも同じことがいえる。かつては論文であったものが、ただ一つの表現で足りる」(94~95ページ)

 エスプレッソと書いたものの、上の言葉を借りれば、わたしが読みたいのは「ただ一つの表現」に圧縮される以前の「論文」なのかもしれない。

 ところで、その二千頁超のノートを編纂したのは池内紀である。編訳者が彼でなければ、よく知りもしない作家の本をこれほど早く手に取ることはなかっただろう。ここではすでにゲーテカフカをはじめ、シャミッソーやホフマンなども紹介しているが、池内紀が訳した本がつまらなかったことなどないのだ。手放しに全幅の信頼をおける数少ない翻訳者である。

 刊行された(されてしまった、というべきか)ノートや日記といった書物の常で、内容に一貫性などはもちろんない。こういった書物を読むときには、時間をかけてゆっくり味わう心構えが肝心であるが、この本の場合は編纂者が最強なので、これらの書物が陥りがちな冗長さとは無縁である。池内紀は訳出した文章で短い章を構成し(ちなみに選択に「さして意味はない」とのこと。さすがである)、それぞれの章のあいだにリヒテンベルクにまつわるエピソードを挟み込んでいるのだ。リヒテンベルクが書いていること自体も、基本的に短いうえ機知に富んでいるので、ちょっと驚くほどスムーズにページが進んでいく。

「私は目覚めているときよりも夢の中のほうが、はるかに人にやさしい」(28ページ)

「目の見えない人が足の不自由な人にたずねた。
 「ちかごろ、どうかね?」
 「見てのとおりさ」」(62ページ)

「墓場ではじめて同じベッドにつくのを悲恋という」(65ページ)

「小生は留守であると、このたびは使いをやって申し伝えさせました。しかし、いただいたお手紙より思いまするに、次回お越しくださる節は、玄関で小生直々にお迎えしてお伝えいたす所存――」(112ページ)

「「水を飲むのが罪でないのは残念だ」と、あるイタリア人がいった。「もしそうだと、ずっと甘い味がするだろうに」」(143ページ)

「あるカナダの原住民がパリに来た。花のパリを見物し終わって、何がいちばん気に入ったかと問われて、彼は答えた。
 「肉屋」」(149ページ)

 ネタ帳かよっ! という突っ込みが相応しいだろう。ちょっと『尾崎放哉句集』を読んでいるときのような感覚である。また、リヒテンベルクは女好きで、良く言えば女性讃美をしている文章も多い。「女好き」なんて書いてしまうと下品な印象を与えるが、彼はあくまでも紳士的に、あからさまな男女差別をするのだ。ここまで扱いがちがうと、見ていて気持ちがいい。

「(某嬢宛)
 いとしい方、もしあなたが
 金と男をお望みならば
 金は神さまにおねだりなさい
 男は私が引き受けましょう」(56ページ)

「外国の女性がわれわれのことばを話し、美しい唇でいいまちがうのを目にするのは、こころうれしいものである。男の場合は、そうではない」(92ページ)

「神だか何だか知らないが、人類の存続に共寝のたのしみをもってしたことは、カントの道徳原理の場合にも考慮されてしかるべきであろう」(148ページ)

 さて、「神」という言葉が出たので、ちょっと自然科学者と無神論の関係について書いてみたい。沈黙期間、わたしはやけに科学がらみの本を多く読んでおり、そのうちのいくつかはいつかこのブログでも紹介したいと思っているのだが、それらの書物から学んだことのひとつとして、自然科学を研究する者は神を信じなくなる、というのがあった。もちろん例外はあるのだが、ルクレティウス『物の本質について』を書いたとき、あれが人類史上最初の物理学書であって且つ神意に対する初めての「ノン」であったことを思い出そう。考えれば考えるほど、無神論者でない自然科学者というのはちぐはぐな、なにか間違った存在に思えてくるのだ。ところで先述のとおり、リヒテンベルクは物理学者である。無神論の告白も彼らしく、非常にユーモラスだ。

カトリックの頭をのせることができなかったので、せめてもと思って、人々は彼のプロテスタントの頭を剥ぎ落とした」(87ページ)

「人間にとって天国ほど手のかからない発明品はなかっただろう」(172ページ)

「神さまはカトリックだと、彼らは信じているのだろうか?」(198ページ)

「私は確信しているのだが、神がもし、哲学の諸先生方が思い描くような人間を創造するなら、第一日目にして精神病院へ送られるにちがいない」(117ページ)

「魂の世話をするのは司祭と哲学者だけである。しかも両者は、しばしば互いに角突き合う。肉体のほうは、医者や薬剤師のほかにも、どっさり世話方がいる。農夫、粉碾き、パン屋、ビール醸造主、肉屋、ブランデー製造方。外見だけでも、織工、仕立て屋、靴屋、帽子屋、皮なめし工。さらにちっぽけな住居ひとつに、大工、レンガ工、指物師、錠前屋などが大わらわになる。これとつり合う魂には司祭ひとり。むろん、ここに学問の入りこむ余地はない」(147ページ)

 ショーペンハウアーのみならず、リヒテンベルクはニーチェのお気に入りでもあった。推して知るべし、という感がある。

 ところで、リヒテンベルクの断章を覗いていると、彼はいつか小説を書こうと思っていたのではないか、という気がしてならない。上の「魂の世話をするのは~」という文章もそうなのだが、描写に非常な、執拗といっていいほどのこだわりを感じるのだ。そういう文章はじつは、枚挙に暇がない。

「1792年春、あるここちよい夕方、庭に面した窓辺にいた。市中から隔たること約二千歩、そこで寝そべり、耳をそばだて、麗しの町ゲッティンゲンの発する声を聞きとった。以下、列挙する。
 (1)大水車小屋近辺の水音。
 (2)馬車、または辻馬車数台。
 (3)かん高い子供の叫び。おそらくは草むらでこがね虫を追っかけているガキどもだろう。
 (4)あちこちの犬。吠えるときの声もちがえば吠え方もちがう。
 (5)郊外か、あるいは市中に棲息する小夜鳥三、四羽。
 (6)蛙多数。
 (7)九柱戯のピンを投げた音。
 (8)見上げると、いびつな半月。ちなみに、こいつがいちばん不快だった」(23~24ページ)

「ひどい雨だった。豚はきれいになり、人間は泥まみれになった」(38ページ)

「彼は一日中、あたたかい想像のなかで日光浴ができる」(41ページ)

「そのスープときたら、ひどい味のしろものだった。将軍か国王だったら、とっさに毒殺を恐れただろう」(185ページ)

「まるで一連隊全部が突然くしゃみをしたような奇妙な騒音」(197ページ)

「ある自殺者が自殺の直前に行なった演説
 友よ! ぼくはいま死の覆いの前にいて、それを開こうとしている。覆いの向こうで、こちらと同じように平静でいられるかどうか、たしかめてみたい。絶望などによる発作的な行為ではないのだ。自分がこれまで生きてきた日常から、この世の生がいかなるものかよく知っている。これ以上は、もう御免だ。ここで終わりにしたい。今夜かぎりとしたい。ぼくの肉体を受け取って元素にもどし、そこから再び藪なり雲なり、何なりとつくるがいい。人間であってもいいが、この同じぼくをつくるのはやめてくれ。思考を乱しにくる信心ぶった道化なしでいられるとは、わが哲学に感謝しよう。さて、時が来た。恐れるものは何もない。いざ、死の覆いを引き下ろしてくれようぞ!」(153ページ)

 どうだろうか。いつか小説でも書こうと思っていなかったら、書き留めそうもない文章ばかりではないか。だが肝心なのは、リヒテンベルクは書かなかったということだ。それは野心の欠如なのかもしれないが、むしろその逆なのかもしれない。彼の野心が、自分にとって最高と思えないのなら小説を刊行することはできない、と告げていたのかもしれない、ということだ。現代的には、この傾向には呼び名がある。「バートルビー症候群」である。これら失書症に陥った作家、まるで頭を指しながら「作品はここにある」と言った作曲前のモーツァルトのように、まだ一冊も作品を著していない作家たち、わたしたちがほんとうに読みたいのはこういった人びとの作品なのだ。そして、それを可能にするのがノートなのである。人間観察や人びとの習慣について書かれたものにも、おもしろいものが多い。

「「人間通」とよばれているものは、たいていのところ、当の自分の弱点を他人に見てとっただけのことだ」(70ページ)

「彼は自分の目くばりの及ばないところでは、ことのほか規則的だった。たとえば、きちんきちんと三週間に一ポンドの嗅ぎタバコを消費したが、それと決めていたわけではないのである。これをまじめに規則立てようとしたら、ひどいタバコ呑みになるにちがいない」(46~47ページ)

「私は健康であるかぎり、朝の太陽よりもひと足早く起きるのを原則にした。いたって簡単なことだった。というのは私は、破るのがほとんど不可能とわかったことのみを自分に課すことにしていたからだ」(47ページ)

無党派とはナンセンスである。人間はいつも党派的であって、それ以外にありえない。無党派ですら党派的であって、無党派の党をなしている」(140ページ)

「いつも暇のない人は、何もしない」(163ページ)

「才気走った人が死ぬのを見るのは辛い。この世の中は天国以上に、その種の人間を必要としている」(181ページ)

「ルソーの『エミール』で読んだのだと思うが、ある男が毎日、日の出とともに起き、日の入りとともに床につく生活をして百歳をこえるまで生きた。必ずしも早寝早起のせいではあるまい。もしそのような習慣をもつとしたら、ほかにもいくつか自分なりの秩序をもっており、そちらがむしろ長寿の秘訣だったかもしれない」(215ページ)

 さて、またしても話は変わるが、自然科学が専門家の仕事となったのはつい最近のことである。数学や物理学、生物学という分野が、それぞれの研究の進歩から専門性を増し、ひとが一生涯かけて探求しなければなにも見つけられない次元にまで難解になったことがその理由であるが、ではそれ以前、たとえばリヒテンベルクの生きた18世紀に、分野間の乖離がそこまで進行していたかというと、きっとそうではないだろう。古代ギリシアの哲学者たちが「自然哲学者」と呼ばれていたように、自然科学は哲学の一分野であった。物理学者が哲学者であることは、じつは不思議でもなんでもないのだ。

「前代の自然科学者は今日よりもずっと無知であって、すでに自然のおおかたを究めたと思っていた。その後の学問的進歩の結果、私たちは本来の目標からはるかにへだたっていることをよく知っている。まっとうな人間は、知識がふえればふえるほど、おのれの無知を思い知る」(114ページ)

「思考においては、過去よりも未来のほうが、よりたやすく見通せるのではあるまいか。昆虫の生態を見ると、経験よりも予感に導かれて行動していると思わせるものが少なくない。動物が未来の予感と同じほど過去の記憶をそなえているならば、昆虫の多くは人間よりもすぐれている。だが予感の強さはつねに過去の記憶と逆比例しているようだ」(124ページ)

ディオゲネスはいつものおそろしく粗末ないでたちでプラトンを訪れ、部屋ごとにある豪華な敷物の上を歩んでいった。「いま自分は」と彼はいった。「プラトンの驕りを両足で踏みつけている」。「なるほど」とプラトンはいった。「ただ別のかたちの驕りでね」」(75ページ)

「何かをなお信じることと、それを再び信じることとは、大きな相違がある。月が植物に影響を与えるといったことを、いまなお信じているのは、愚かな迷信そのものだが、それをあらためて信じるのは、哲学と思考性のあらわれである」(145ページ)

「想像は、いま一つの人生であり、いま一つの世界である」(218ページ)

 しかし哲学とはいっても、リヒテンベルクのそれはどこまでも軽妙である。

「意見さえもたなければ、心はすこぶる平安だ」(178ページ)

「この世をたのしく、軽妙に過ごすために必要なのは、ただ一つ、すべてをうわべだけ見ることだ。思案しだすと、重々しくなる」(180ページ)

「ほかに何ができたか、あれこれ思案するのは、いまできるうちの最悪のことだ」(198ページ)

「私はしばしば犯したまちがいのために非難された。相手には犯すだけの勇気と洒落っけがなかっただけだというのに」(203ページ)

 さきほども書いたとおり、リヒテンベルクの熱烈な信奉者として知られる二人、ショーペンハウアーニーチェは言うまでもなくどちらも哲学者である。そして、ショーペンハウアーがこの作家からどれほどの影響を受けているか、わたしたちはじつにたくさんの箇所から読みとることができるのだ。言うなれば、リヒテンベルクを読みながらショーペンハウアーの影を見る、という感覚だ。『読書について』は、彼との出会いなくしてはけっして書かれなかっただろう。

「たいていの読書家は、考えずにすむように、そのためせっせと読書に励む」(59ページ)

「あまりに本を読みすぎると、単語の意味が摩滅する。思想というものは、そんなふうにして表現されているからだ。表現は思想とゆるやかに同居している。ちがうかね?」(66ページ)

「どうして読んだものをほとんど保持していられないのか。それだけほとんど自分で考えないせいである。他人が述べたところをきちんと反復できる人は、通常、自分でよく考える。その頭は文字の貯蔵庫だけではない。記憶力で注目をあびる人も、その種の頭の持ち主である」(66~67ページ)

「おどろくほどよく読書する人が、しばしば、いたって思考がお粗末なのは、頭脳の特性にもよるのだろう。あることを労なくして学びとるのと、自分のシステムのなかでようやくそれにたどりつくのとは同じではない。後者には、すべてが根っこである。前者は、ただ貼りついただけ」(89~90ページ)

「人間の理性が、ごく近年にやってのけた最大の発見は、私見によると、一行も読まずに、その本の判定法を見つけたことである」(99ページ)

「彼は八巻の書物を著した。八本の木を育てるか、八人の子供をつくるほうが、むろん、ずっとよかった」(100ページ)

「書評は、生まれたての本が多かれ少なかれ体験する幼児病の一種である。この病いによって健康児が死んだケースもあれば、虚弱児が生きのびたりもする。まるで患わない子も多い。序文や献辞のお守りで予防したり、みずからの判断を示して予防接種をする人もいるが、必ずしも効能があるとはかぎらない」(168ページ)

 以上がすべてリヒテンベルクの文章であるというのは、信じがたいほどだ。これらの文章が長い時間をかけてショーペンハウアーの頭のなかに沈殿していき、そこから彼自身の発想が育まれて『読書について』が書かれたのだろうと思うと、とても微笑ましい。というのも、これこそまさしくショーペンハウアーの描いた「思索家」の方式なのである。『読書について』はその報告であると同時に、実践でもあったのだ。

「英知にとっての最初の一歩。すべてに非を鳴らす。
 最後の一歩。すべてをあきらめる」(100ページ)

「ある事柄を上っすべりに学ぶよりも全然学ばないほうがむろんいい。何かを判断するとき、健全な人間理性はナマ半可な知識よりも正確である」(111ページ)

「若い人に読ませたければ、直接すすめてはならない。それとなくその本を誉める。すると彼らは自分でさがし出す。私はそうした」(142ページ)

 とはいえ、ユーモアという観点でいうとショーペンハウアーはリヒテンベルクには遠く及ばない。リヒテンベルクはショーペンハウアーが「紙クズ」と呼ぶ本たちの、たいへん有効な使い道を教えてくれているのだ。

「提案――寒い冬には本を燃やそう」(41ページ)

「人は単に読むために本を書くのだろうか? それとも家計の足しにするのか。読み通される一冊に対して、多くはパラパラとめくられるだけ。あるいは立てかけてあるのみ。鼠の穴ふさぎになるのもあれば、走り出た鼠に向かって投げつけられるのもある」(69ページ)

 書かない作家たち、バートルビーたちの著作は非常に見つけづらい。というか、ほかの本に言及でもなければ、とても見つけられないだろう。しかし見つけたときのこの喜びが、探索の労すべてに報いてくれている。ショーペンハウアーが教えてくれた、ひっそりとした怪しい作家、わたしにとっての大きな喜びである。

「精神の病院にはシェイクスピアさながらに話す人がいるにちがいない」(144ページ)

「変わればもっとよくなるとは、むろんいえない。しかし、よくなるためには変わらなくてはならない、ということはいえる」(171ページ)

「ズボンを二本もっている者は、一つを金に換えて、この本を手に入れるべし」(183ページ)

 全訳の「二千頁」でも大歓迎する内容だった。

リヒテンベルク先生の控え帖 (平凡社ライブラリー)

リヒテンベルク先生の控え帖 (平凡社ライブラリー)

 


〈読みたくなった本〉
池内紀『ぼくのドイツ文学講義』岩波新書

ぼくのドイツ文学講義 (岩波新書)

ぼくのドイツ文学講義 (岩波新書)