複製技術時代の芸術
なんて難しい本だったことだろう。いま自分がこの本を読み終えた、いや、まがりなりにも読み終えたことにしようとしているのが、ちょっと信じられないくらいだ。何度も何度も題名を目にした経験から、ようやく手にとった一冊。ページを最後まで繰りはしたが、ここに書かれていることをすべて理解できたとはとても思えない。
ヴァルター・ベンヤミン(佐々木基一編)『複製技術時代の芸術』晶文社、1999年。
翻訳が良くない気もするし、注のつけ方などの編集にいたってははっきりひどいと言えるものだが、なによりもまず、ベンヤミンの書き方が難解きわまりない。ここにはなにかとんでもなくおもしろいことが書かれている、という予感は常にあるのだが、読者に理解させようという目配せはなく、章の立て方すら謎めいていて、読後のいまになっても、読み終えたという気がぜんぜんしないのだ。言ってしまえば、こちらがどんなに仲良くなりたいと思っていても、ベンヤミンは友情の素振りを返してはくれない。ロラン・バルトだって、ここまで手厳しくはなかった。読者(=わたし)が想定されていないという、この「置いてけぼり感」はいつまでもついてまわり、気づけば未発表のメモを著者の承諾なく勝手に読み、勝手に「理解できない」と言っているような気分にさえなってくるのである。
「芸術作品は、原理的には、つねに複製可能であった。人間が制作したものは、たえず人間によって模造されえたのである。このような模造を、弟子たちは技能を習練するために、巨匠は作品を流布させるために、また商人はそれでひと儲けをするために、おこなってきた。これにたいして、複製技術による芸術作品の再生産は、ぜんぜん異質のことがらである」(「複製技術の時代における芸術作品」より、10ページ)
「どれほど精巧につくられた複製のばあいでも、それが「いま」「ここに」しかないという芸術作品特有の一回性は、完全に失われてしまっている。しかし、芸術作品が存在するかぎりまぬがれえない作品の歴史は、まさしくこの存在の場と結びついた一回性においてのみかたちづくられてきたのである」(「複製技術の時代における芸術作品」より、12〜13ページ)
ベンヤミンはこの本のなかで、「複製技術は芸術作品からある種の価値を奪い去った」と語っている。それは題名からも類推できる、言わば本を手にとる前からわかっていたことだ。では、どういうことなのか、と、腕まくりをして本書にあたってみると、ベンヤミンはこの「ある種の価値」を一回性と結びつけ、それを「アウラ」と名づけている。アウラの定義は「どんなに近くにあっても遠い遙けさを思わせる一回かぎりの現象」である。Once and Only、「いま」「ここに」しかない、という性格自体に付随する価値である。
「ひとつの芸術作品が「ほんもの」であるということには、実質的な古さをはじめとして歴史的な証言力にいたるまで、作品の起源からひとびとに伝承しうる一切の意味が含まれている。ところが歴史的な証言力は実質的な古さを基礎としており、したがって、実質的な古さが人間にとって無意味なものとなってしまう複製においては、ひとつの作品のもつ歴史的証言力などはぐらつかざるをえない。もちろんここでぐらつくのは、歴史的証言力だけであるとはいえ、それにつれて作品のもつ権威そのものがゆらぎはじめるのである」(「複製技術の時代における芸術作品」より、14ページ)
「中世の聖母像は、それが完成された当時は、まだ「ほんもの」ではなかった。それは、その後の数世紀を経るあいだに「ほんもの」になったのである」(「複製技術の時代における芸術作品」原注より、137ページ)
「「ほんもの」という観念は、厳正な鑑定書の作成という観念をたえずのりこえようとする傾向をもっているのである(このことは、つねにある程度のっ呪物崇拝的性格をそなえた蒐集家の態度に、とくにはっきりあらわれている。蒐集家は、芸術作品の所有をとおして、作品そのものの礼拝的価値の造出にあずかっているのである)」(「複製技術の時代における芸術作品」原注より、138ページ)
これら「ほんもの」の芸術作品には、常に礼拝的側面・役割があったが、複製によって実質的な古さを失ってみると、それに基づいていた歴史的な証言力さえも揺さぶられ、やがてはそれを芸術作品であらしめている根拠さえも揺さぶるようになった。複製技術が「ほんもの」の芸術作品からアウラを消滅させることで、芸術作品はその役割自体を変貌させられるのである。
「アウラの消滅は、現今の社会生活において大衆の役割が増大しつつあることと切りはなしえないふたつの事情に基づいている。すなわち一方では、事物を空間的にも人間的にも近くへ引きよせようとする現代の大衆の切実な要望があり、他方また、大衆がすべて既存の物の複製をうけいれることによってその一回かぎりの性格を克服する傾向が存在する。手近にある物を描き、模写し、複製して所有しようという要求は、日常生活において避けることができない」(「複製技術の時代における芸術作品」より、17ページ)
「事物をおおっているヴェールを剥ぎとり、アウラを崩壊させることこそ、現代の知覚の特徴であり、現代の世界では、「平等にたいする感覚」が非常に発達していて、ひとびとは一回かぎりのものからでさえ、複製によって同質のものを引きだそうとする」(「複製技術の時代における芸術作品」より、17ページ)
「芸術作品の技術的複製の可能性が芸術作品を世界史上はじめて儀式への寄生から解放する」(「複製技術の時代における芸術作品」より、19ページ)
思えば、なぜわれわれは美術館の展覧会を訪れるたび、そこで展示されていた絵画のポストカード(=複製)を記念に購入するのか。この所有の欲求はベンヤミンが言うところの、アウラという一回性を克服しようとする傾向にほかならない。そしてこのポストカードにはすでにアウラはなく、あるのはその芸術作品の展示的価値ばかりである。
「人間が写真から姿を消したとき、そのときはじめて展示的価値が礼拝的価値を凌駕することになった」(「複製技術の時代における芸術作品」より、22ページ)
複製技術時代の新しい芸術として登場してきた写真と映画こそが、アウラなき芸術作品の特徴を教えてくれる。だが、写真もその黎明期には、まだアウラを保っていたというおもしろい指摘があった。いまは亡き、もしくは遠く離れて暮らす家族などを写した肖像写真というのは、まだ礼拝的価値を持っていたというのだ。この本には「複製技術の時代における芸術作品」のほか、3つの論文が収められているのだが、そのうちの「写真小史」にはこんな記述があった。
「写真の犠牲となったものはしかし、ほんらい、風景画ではなくて、細密肖像画であった。事態の発展は急速で、1840年にはすでに、無数の細密画家たちのうちの大部分が、職業写真家に転じていた。最初は写真はたんに副業だったが、すぐに専業となった。そのさい、元の職業の経験が、かれらの役にたった。芸術家ではなく職人としての素養が、かれらの写真作品を高い水準に立たせたのだ」(「写真小史」より、69ページ)
画家たちが写真家になっていったという歴史はおもしろい。細密描写の衰退は、なにも印象派などの流行が一面的に促したことではなく、複製技術の発展によっても運命づけられていたのだ。先日読んだばかりのミリマノフ、『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』にあったとおり、画家たちにとっての関心はいまやなにが描かれているかではなく、そこに描かれたものが観衆にもたらす作用のほうなのである。
写真というかカメラについては多くのことが語られていて、読みながら何度もバルトの『明るい部屋』を思い出した。とくに以下の箇所は映画とも関連して、「複製技術の時代における芸術作品」と「写真小史」の両方に、ほとんど同じ文章で登場している。
「こうしてカメラに向かって語りかける自然は、肉眼に向かって語りかける自然とは、別のものだ、ということがあきらかになる。意識に浸透された空間のかわりに無意識に浸透された空間があらわれることによって、自然の相が異なってくるのである」(「複製技術の時代における芸術作品」より、40ページ)
「カメラに語りかける自然は、眼に語りかける自然とは違う。その違いは、とりわけ、人間の意識に浸透された空間の代わりに、無意識に浸透された空間が現出するところにある」(「写真小史」より、64ページ)
初期の写真から人びとを追放した革命家のひとりが、ウジェーヌ・アジェである。この本の表紙もアジェが撮ったパリの風景となっていて、興味がわいた。
「アジェは役者だったが、その商売にいやけがさして化粧をおとし、そしてそのあと、現実からも化粧をこそげおとす仕事にとりかかった」(「写真小史」より、73ページ)
さて、複製技術との関連では、写真がわれわれの芸術作品の見かたに変化を生じさせたことが、ここでは高らかに証明されている。それは上にも書いたとおり、芸術作品の役割そのものが変化した証拠だとも言えるだろう。
「誰にしろ観察できたはずのことだが、絵画や彫刻、ことに彫刻作品は――建築はいわずもがな――現実に眺めるよりも、写真にうつして見るほうが、ずっと容易に理解できる。このことをひとは、もっぱら現代人の芸術感覚の衰弱のせいに、無能力のせいにしてしまいたいだろうが、しかしそうするには、つぎの認識がじゃまになる。複製技術の形成とほぼ時を同じくして、偉大な作品についての見かたが変化しはじめた。ひとびとはそれを、もはや個人の産物とは見なせない。それは集団によって創造されるもの、しかもそれを摂取するには、それを縮小しなければならないほどに大きなものとなった。メカニックな複製方法というものは、究極の効果からいえば、ひとつの縮小技術なのであって、ひとが作品を使いこなすのに必要不可欠な程度の作品支配力を、ひとにもたせてくれるものなのである」(「写真小史」より、79~80ページ)
また、新聞の普及は写真の活躍する舞台を準備し、そこで写真は解説を伴う史料となっていった。アジェの写真に礼拝的価値はなく、あるのはもっぱら展示的価値のほうである。
「絵入り新聞のなかではじめて写真につけられる解説が不可欠となったのである。それが絵画作品につけられる題名などとはぜんぜん別の性格のものであることは、明らかであろう。写真の解説によって絵入り新聞の読者は、その受けとりかたを一定の方向に規定されてしまうのである。この傾向は、やがてまもなく映画のなかでさらに厳密で強制的なものとなる。映画のばあい、個々の影像のとらえかたは、その影像に先行する一種のシークェンスによってすでに決定されているように思われる」(「複製技術の時代における芸術作品」より、23ページ)
新聞が出てきたので書いておくと、文学は新聞の普及とともに読者と執筆者との垣根を取り払っていった。これはショーペンハウアーが『読書について』で紙幅を割いて語っていたことだが、ここから「毎年無数に孵化するハエのような、毎日出版される凡人の駄作」が発生してくるのである(『読者について』147ページ)。
「幾世紀ものあいだ文学の世界では、少数の執筆者が何千倍もの数の読者を相手にする状態がつづいていた。しかし前世紀のおわりごろ、ひとつの変化が生じた。それは、新聞の急速な普及である。そして新聞がたえず新しい政治的・宗教的・学術的・職業的・地域的読者組織を掌握するにつれて、ますます多くの読者が――はじめはごく散発的であったが――執筆者のがわへ移っていった。同時に日刊新聞も〈読者欄〉を一般に開放しはじめ、こんにちでは、働いているひとびとで原則としてどこかでその労働経験、苦情、ルポルタージュ等を発表するチャンスを見いだしえないようなひとは、ヨーロッパにはほとんどいないという状況である」(「複製技術の時代における芸術作品」より、32ページ)
アウラの破壊を目指した芸術運動としては、ダダが紹介されている。「ガジベリビンバ」というやつだ。彼らの活動は塚原史の『ダダ・シュルレアリスムの時代』に書かれていたとおりだが、文学作品におけるアウラとはなにか、ということを考えるための一端が、ここに示されているように思う。そういえば塚原史の本にも、ベンヤミンのこの論文が紹介されていたのだった。
「根本的に新しい需要の造出は、つねにその本来の目標をとびこえてしまう。ダダイズムは、映画にはきわめて特有の市場価値を、より重要な意図(その意図はもちろんここで述べるようなかたちでは自覚されていないのであるが)のために犠牲にするところまでいってしまった。ダダイストにとっては、芸術作品の商品としての利用価値よりも、瞑想的な沈潜の対象物としての無用性のほうがはるかに重要であった。しかもダダイストは、主として芸術作品の素材を原則的に無価値化することによって、作品の無用性を獲得しようとしたのである。ダダイストの詩は「ことばのごちゃまぜサラダ」ともいうべきもので、数々の猥雑ないいまわし、およそ想像しかできないようなことばの飛躍をふくんでいる。ボタンや切符を貼りつけたかれらの絵画も例外ではない。かれらがこのような材料でねらっているのは、作品の生みだすアウラを容赦なく破壊することであり、制作の材料そのものによって複製としての烙印をはじめから作品に押しつけることであった」(「複製技術の時代における芸術作品」より、41~42ページ)
「ダダイズム宣言は結局、芸術作品をスキャンダルの中心点とすることによって、激烈な逸脱を保証した。芸術作品は、なによりもまず、公衆の怒りをかきたてようとする要求をみたさねばならなかったのである」(「複製技術の時代における芸術作品」より、42ページ)
さて、ようやく映画について語ることができる。ベンヤミンによれば映画こそが、芸術作品からのアウラの追放――ダダがそれとは意識せずに目指していたこと――をやってのけた張本人であるという。
「人間が――これこそほかならぬ映画のはたらきである――ここではじめて、もちろん生身のからだ全部をつかってであるが、そのアウラを完全に放棄して動作をしなければならぬ状況にとびこんだのである。アウラは、俳優が「いま」「ここに」いるという一回性と結びついていた。アウラの模造はありえない。舞台のうえのマクベスをつつんでいるアウラは、生身の観客にとって、このマクベスを演じる俳優がもつアウラから切りはなすことができない。スタジオでの撮影がもつ独自性は、しかし、観客の位置に器械装置が据えつけられるという点にある。こうして俳優をつつむアウラは、必然的に消滅し、それと同時に俳優が演じる劇中の人物をつつむアウラも消滅する」(「複製技術の時代における芸術作品」より、28ページ)
「映画界は、アウラの消滅に対抗するために、スタジオのそとで人為的に〈パーソナリティ〉をつくりあげ、映画資本を動員してスター崇拝をおしすすめる。こうして温存されるパーソナリティという魔術は、いまではすでに腐敗しきったその商品的性格の魔術でしかなくなっているのである」(「複製技術の時代における芸術作品」より、31ページ)
総合芸術なんていうと、ワグナーの楽劇(音楽と文学と演劇の融合)が思い出されるが、たしかに映画はこのすべての芸術を(部分的にとはいえ)動員しているものだ。フランスではよく、映画のことを「7番目の芸術」という。建築、彫刻、絵画、舞踏、音楽、詩につづく7つ目が、映画であるというのだ(ちなみに最近ではテレビドラマや漫画・バンド=デシネ、ゲームをそこに並べようとする議論があり、物議を醸している)。
「大衆運動のもっとも強力な担い手である映画の社会的重要性は、それがもっとも現実的なかたちであらわれるばあいでも、いや、このばあいにはとくに、その破壊的なカタルシス作用をぬきにして考えることができない、文化遺産の伝統の完全な総決算である。この現象は、偉大な歴史的映画をみれば明白である。それは、たえずひろがる広大な分野を自己の世界にまきこんでいく。1927年、アベル・ガンスは「シェイクスピアもレンブラントもベートーヴェンも映画になるだろう。……すべての伝説、すべての神話、すべての英雄ものがたり、すべての宗祖、いや、すべての宗教が……光の芸術によるよみがえりを待ち望んでいるのだ。そして英雄たちは、すでに入口に殺到している」と熱狂的に叫んだ。このとき、ガンスは、おそらく自分ではそれと気づかず、全面的な総決算への呼びかけをおこなっていたのである」(「複製技術の時代における芸術作品」より、15〜16ページ)
まだ産声をあげたばかりの映画について語った、1930年のデュアメルの辛辣な意見を読むと、口元が歪んでしまう。デュアメルのこの批評にはかつて邦訳もあった(『未来生活情景』)ようなので、ぜひとも探してみたいと思った。
「映画のスクリーンと絵画のカンヴァスを比較してみよう。後者は観るものを瞑想へとさそい、連想作用に没頭させる。映画のばあい、それは不可能である。ひとつの画面を眼にとらえたかと思うと、すでに画面は変わっている。定着させることができないのだ。デュアメルは、映画の意義を認めず、映画をきらっていたが、映画の構造についてはかなりの理解をもっており、それを覚書にしるしている。「わたしは、自分が思考したいことをもはや思考することができない。たえず動いている光景がわたしの思考の場を奪ってしまう」」(「複製技術の時代における芸術作品」より、42~43ページ)
「デュアメルは、映画を「奴隷のためのひまつぶし」とよんでいる。「はたらきつかれ、日々の心労に蝕まれている悲惨な無教養な人びとのための散漫な気ばらし……いかなる種類の精神の集中をも必要とせず、なんらの思考力をも前提としないみせもの……それは、こころに灯をともすことがない。ただ、いつかロサンゼルスに出て〈スター〉になりたい、というわらうべき夢のほか、いかなる希望をもよび起こさない」」(「複製技術の時代における芸術作品」より、44ページ)
ベンヤミンが注目するのは映画の科学的応用、すなわち対象の標本化である。標本化という言葉は、アウラとはどこまでも無縁な響きを帯びているではないか。
「ここにカメラが、パン・アップ、パン・ダウン、カット・バック、フラッシュ・バック、高速度撮影と微速度撮影、アップとロングなど、さまざまな手段をつかって活動する舞台がある。われわれは、心理分析によってはじめて無意識的な衝動の世界を知ることができるように、映画によってはじめて無意識的な視覚の世界を知ることになるのである」(「複製技術の時代における芸術作品」より、40ページ)
興味深いのは、このような映画の機能が、ルネサンス期の絵画にも求められていたということだ。ヴァレリーの言葉が原注に引用されている。「認識の最高の目標」としての道具が、複製技術の登場によって変化したのである。
「ルネッサンスの絵画は、解剖学・遠近法・数学・気象学・色彩論等を必要とした。「レオナルドのような人物のふしぎな要求ほどわれわれに縁どおいものはないだろう」とヴァレリーは書いている。「レオナルドにとって絵画は認識の最高の目標であり、至上の例証であった。絵画は、かれの確信にしたがえば、総合科学を要求していたし、かれ自身いかなる理論的分析もおそれていなかった。こんにちのわれわれならば、このような分析にたいして、その深さと厳密さのゆえに、呆然と立ちつくすほかはない」」(「複製技術の時代における芸術作品」原注より、144ページ)
わたしにとって問題なのは、この論文を読み終えたことが、なにかを学んだという感覚に繋がっていないことである。どんなくだらない論文を読んでも、著者が言わんとする結論くらいは持ち帰るはずなのに、ここにはそれがない。そのくせ、書かれていることにくだらなさは微塵もないのである。ベンヤミンは死の前年まで、何度も何度もこの論文を書きなおしていたという。未定稿、というわたしが最初に抱いた感覚は、だれよりもベンヤミンにとって強いものであったはずである。何度読めば、ベンヤミンが伝えようとしたことを十全に把握できるのか、想像もつかない。この永遠とも思えた50ページと、何度も向き合いたいと思った。
ところで、上にも書いたとおり、この本は「複製技術の時代における芸術作品」以外に、3つの論文を収めている。上に引用した「写真小史」のほか、「ロシア映画芸術の現状」および「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」である。前者は10ページにも満たない短いもので、後者は表題作の「複製技術の時代における芸術作品」よりも長い。いったいなんなんだこの構成は、と言いたくなるが、その内容はもちろん表題作とも無縁ではない。「エードゥアルト・フックス」にも、おもしろい箇所がいくつもあった。
「エンゲルスは二つの傾向に対して反対している。すなわち一方では歴史において新しい教義を古い教義の発展として、新しい文学の流派を過去の文学の反作用として、新しい様式を古い様式の克服として記述する習慣に対して反対している。しかし彼は明らかに同時に、このような新しい形成物を、それが人間に対して、また人間の精神的および経済的な生産過程に対して及ぼす影響から切り離されたものとして記述する慣習に対しても暗に反対しているのである」(「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」より、89ページ)
「史的弁証法論者としてこれらの作品にかかわりを持つ者にとって、これらの作品はその前史と後史を補うことによって完全なものとなる。その後史に応じてその前史も絶えず変化するものとして把握してこそ認識可能になる」(「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」より、90ページ)
史的弁証法論者、あるいは史的唯物論者と呼ばれる人びとは、歴史をひとつの流れとして捉えることに反対している。彼らにとって重要なのは、ある作品がその同時代の人びとにどのように受けいれられたか、なのである。
「古典的名画を引きあいに出して、あれこれのヴィーナス、またはあれこれの愛欲の場面を見て色欲を催すような豚はどこにいるか、という宿命的問いを発する手合いは決して後を断たぬものだが、このような豚はいても、ここにいますと届け出たためしはない。もしこれらの絵を見て何とも感じないという人がいたとしても、それは積極的ななにかの証明にはならない。それはせいぜい半分のことを証明するだけ、つまりこの作品は今日では見る者に色欲を催させない、といっているに過ぎない。この作品の成立の当時も見るものに何も感じさせなかった、ということの証明にならない。だがこのことこそが唯一無二の肝心なことである」(フックス『エロチック美術史』の引用、「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」訳注より、176~177ページ)
「芸術的視覚の変化の原因を美の理想の移り変わりに帰せしめることよりもむしろ基本的な過程に帰せしめることに関心を抱くのが外ならぬ史的唯物論者である。そのより基本的な過程とは、じつは生産における経済的および技術的変化によって生ずるものである。与えられた事例に関する限り、ルネッサンスが住居にどのような経済的に規定された変化をもたらしたか、またルネッサンスの絵画が新しい建築の絵入り案内書やその建物によって可能になった行動の図解として、いったいどのような役割を演じたか、という問題に掛かり合おうとする者は、無意味な結果を得ることはまずありえないだろう」(「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」より、106ページ)
「グロテスクは官能的・空想的なものの最高の極みである。……この意味においてグロテスクな作品は同時に時代のはち切れんばかりの健康さの表現である。……たしかにグロテスクの衝動力という点に関して著しい対極も存在することは、論ずるまでもないことである。デカダンスの時代や病的な頭脳もまたグロテスクな形象物をつくる傾向がある。このような場合グロテスクは、当の時代や個人にとって世界や人間存在の問題が解きえないものに見えているという事実の、ショッキングな反映である」(フックス『唐代の彫刻』の引用、「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」より、109ページ)
ここで史的弁証法論者を代表しているフックスという人物は、カリカチュアの収集家である。大衆芸術というのは複製技術があってはじめて成立するものであるため、その密接な関係はベンヤミンの関心をかきたててやまない。
「大衆芸術の研究は必然的に芸術の複製技術の問題に通ずる。「それぞれの時代に相応して特定の複製技術が存在する。それらの複製技術はそれぞれの〔時代の〕技術的発展の可能性を代表しており、……当該の時代の必要の帰結である。このような理由からして、従来支配してきた階級とは別の階級を……支配の座に……つかせるところの、すべての大きな革命の結果、絵画の複製技術の変化もまた規則的に生じるということは、少しも驚くべき現象ではない。この事実にはとくにはっきりと注意を喚起しなければならない」」(「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」より、134ページ)
「「いく千もの素朴な陶工が技術的ならびに芸術的に同じように大胆な作品を文字通り手首から形づくる〔何の苦もなくやる〕ことができた」ことが、フックスには古代中国の芸術の真価を示す具体的な証拠と思えるのは正当なことである」(「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」より、134ページ)
「カリカチュアは大衆芸術である。その作品が大衆的に普及しないカリカチュアは存在しない。大衆的な普及はすなわち安価を意味する。ところが、「古代には……貨幣以外に安価な複製形態はなかった。」貨幣の表面はカリカチュアに場を与えるには、あまりにも小さい。従って古代にはカリカチュアはなかった、と」(「エードゥアルト・フックス――収集家と歴史家」より、135ページ)
ほかにもおもしろい箇所はいくつもあったのだが、文脈から切り離してみたらどの文章もわけがわからなくなってしまったので、割愛する。
できることなら時間をつくって、ひとつひとつの論文を集中して一気に読みたい本だ。片手間で読めるようなものではない。幸いひとつひとつの論文は(膨大な原注および訳注を考慮しなければ)長くはないので、編集次第ではもっと気軽に読むこともできるかもしれない。ちくま文庫の「ベンヤミン・コレクション」など、版はいくつもあるので、機を見て再挑戦したいと思った。
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