Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

東京日記

いまから五年くらい前のこと。ぞっこん惚れこんでいるのに、なにひとつ感想めいたことを書けない、という奇妙な作家と出会った。リチャード・ブローティガンである。『アメリカの鱒釣り』、『芝生の復讐』、『愛のゆくえ』などを読んで、もうとんでもなく好…

もしも、詩があったら

先月は信じられない頻度で更新をしていたので、ちょっと控える(さぼる)ことにしていた。何度でも眺めて楽しむことのできる宝石のような詩、それがたくさん集められた、まさしく宝石箱たる詩集に、次から次へと手を伸ばすというのは、あんまりいい趣味とは…

こころ

谷川俊太郎がいなかったら、現代詩、いや、もっと広義に詩そのものが、われわれにとってこれほど身近なものでなかったことは疑いない。そんなことを考えたのは、たまたま手に入ったこの本が、谷川俊太郎にとっていったい何冊目の詩集なのかを調べようとして…

このごろ、「この詩人がいい、あの詩人もいい」、と、立てつづけに詩集の紹介ばかりしてきたが、いま、そのことをちょっとだけ後悔している。詩というのは、書かれていることの即効性が重視される散文とは大きく異なり、あとになってから響いてくるものも、…

わたしを束ねないで

先日まとめ買いした童話屋詩文庫は三冊、山之口貘の『桃の花が咲いていた』、岸田衿子の『いそがなくてもいいんだよ』、それからこの本、新川和江の『わたしを束ねないで』だった。前者二人は思潮社の現代詩文庫などには入っていないので、ちょっと「発掘」…

イタリアの詩人たち

このごろの更新傾向を見ていただくとすぐにわかるとおり、いま、詩を読むのがとても楽しい。いや、詩はもともと好きなのだが、日本語でよく「現代詩」と呼称される、一見ルールもなにもないように見える言葉たちの自由さに、最近ひたすら驚かされているのだ…

いそがなくてもいいんだよ

しばらくぶりの更新。といってもたかだか四日ぶりで、ふだんのわたしの更新頻度を知るひとは、こいつ気でも狂ったか、と思っていることだろう。ちょっと事情を説明すると、断食月中は、あらゆる会社の勤務時間を短くするように、と、当地の労働法で定められ…

私人

国内にいるあいだに入手した、ブロツキーによるノーベル文学賞受賞講演。荻窪にある馴染みの古本屋さん、ささま書店で購入し、帰りのバスのなか、酔うかもしれないという不安を抱えながら読みはじめ、最後のほうはバスではなく、ブロツキーに酔っていた。こ…

桃の花が咲いていた

もう詩以外のどんなものも読みたくない、というときには、目に入るすべての文字が詩に見えてくる。「ぼくが欲しいのは毒だけだ、詩を飲むに飲むこと」(マヤコフスキー『背骨のフルート』より)。今日は仕事をさっさと切りあげ、日没まで家で煙草を吸ってか…

すみれの花の砂糖づけ

中東に住んでいるひとならだれでも知っているとおり、イスラム教国では先日より断食月(ラマダン)に入っている。お日さまが出ているあいだは飲食禁止、という、あれである。日中はレストランなども閉まってしまうので、わたしのような非イスラム教徒にとっ…

コルカタ

小池昌代という詩人の存在が、わたしのなかで大きくなりつづけている。友人に教えてもらった『通勤電車でよむ詩集』および『恋愛詩集』があまりにすばらしかったので、日本を出るほんとうに直前、そのとき立ち寄ることのできた書店の詩の棚から、彼女の著作…

恋愛詩集

わたしが書店で働くようになったのは18歳のときのこと、その後いろいろと店や担当分野を遍歴し、ついに書店を去ったのは昨年、つまり29歳のときだったが、十年以上もブックカバーをかける側の人間でありつづけたこともあってか、わたしはもう自分の本にはカ…

通勤電車でよむ詩集

先日国内にいたとき、仕事の予定が思ったよりも早く済んだおかげで、次の予定まで、ふいに二時間ほどの空き時間ができた。ふだんのわたしだったら喫茶店に直行、鞄のなかの本を貪るように読むところなのだが、この日鞄に入っていた本たちはどれも内容が重た…

きみを嫌いな奴はクズだよ

刊行されていることは知りつつも、手に取ろうか迷っていた一冊。信頼する友人の「このひと、うまくなってるよ」という一言に後押しされて、結局購入した。書店を出てすぐの喫茶店にて二時間ほどで読み終え、その後、日本から中東に戻る飛行機のなかでもう一…

村に火をつけ、白痴になれ

じつは先日より、久しぶりに日本にいる。出張での帰国というか、いつもどおり仕事の予定が多いので、会いたいひとたちにもろくに連絡をしていない滞在なのだが(みんなごめん)、仕事には都内の実家から電車に乗ってあらゆる場所へ行くため、移動時間が長く…

詩という仕事について

ボルヘスというひとをもっとよく知りたいとき、ぜったいに読んでおくべきだと思う本が個人的に二冊あって、一冊は先日紹介した『The Last Interview』に収められたリチャード・バーギンとの対談(邦訳なら柳瀬尚紀訳の『ボルヘスとの対話』)、そしてもう一…

春原さんのリコーダー

今日はボルヘスではなく、短歌。読み終えているのに記事にしていないボルヘス関連書はまだたくさんあるのだが、今日はどうしても短歌が読みたい気分だったのだ。休日であるのをいいことに、この本を片手に喫茶店に入ったら、あまりの楽しさに瞬く間に時間が…

汚辱の世界史

またしてもボルヘス。『伝奇集』と『不死の人』に続いて手にとったのは、1935年刊行の、ボルヘス最初の短篇集だった。かつて『悪党列伝』という邦題で刊行されていた本の文庫版で、旧題のほうが内容を正確に言い表していると思いながらも、この新題が持つ詩…

不死の人

わたしはいま、空前のボルヘスブームの最中にいる。火付け役が英書の『Jorge Luis Borges: The Last Interview』であったことは先日書いたとおりだが、これまで『伝奇集』や『創造者』くらいしか読んだことのなかったわたしにとって、この本は未知のボルヘス…

Jorge Luis Borges: The Last Interview

先日『伝奇集』について書いた折、「記事にできるまで数週間かかるかも……」なんて言っていたボルヘスの対談集。まさか本当にこれほど時間がかかるとは思っていなかったのだが、いまわたしに起こっている空前のボルヘスブームは、じつはこの本が火付け役だっ…

伝奇集(再読)

今月やけに静かなのには理由があって、じつは二、三週間前に読み終えた本の感想をいまだに書き終えられずにいるのだ。それは英語で刊行されたボルヘスの対談集で、読み終えてからというもの、まさしく取り憑かれたようにボルヘスばかり読んでいる。つまり、…

The Machine Stops

またしてもすこし時間が空いてしまった。英語で本を読むとき、読むのにかかる時間は日本語の本よりもほんの少し長いくらいなのだけれど、それを記事にしようとすると、なんだか拙い訳文を付けずにはいられなくなって、結果的に読むのの倍以上の時間がかかっ…

Decline of the English Murder

気づけば早くも三冊目のオーウェル評論集。いつからそんなにオーウェルが好きになったんだよ、と、自分でもちょっと笑ってしまうが、この作家の読みやすさは圧倒的で、英語で本を読んでみたい、というようなひとは、もうみんなオーウェルの評論からはじめれ…

チェスの話

最近また、チェスを指すのが楽しい。新しく入社してきたプログラマー男子がチェス好きと判明してからというもの、仕事をほったらかしにして、毎日のように相手をしてもらっているのだ。チェスは対人戦にかぎる。といっても、わたしは言うほど強くないので、…

Some Thoughts on the Common Toad

一冊の本の記事を書くのに、これほど時間をかけたのは久しぶりだ。なにもそんなにマジにならなくても、とは自分でも思ったのだが、せっかく英語の本をわざわざ紹介するのだから、気に入った箇所くらいはぜんぶ自分で訳してみなくては、と思ってしまったのだ…

Books v. Cigarettes

突然だが、どうもわたしはヘビースモーカーらしい。らしい、なんて言うのは、わたしのように煙草を吸うことに後ろめたさなどぜんぜん感じない喫煙者は、一日に何本吸ったかなど、わざわざ数えることはしないと思うのだ。かばんには常に最低でも二箱は携帯し…

ヴァレリー・セレクション 上巻

朝起きてすぐ、顔を洗ってコーヒーを湧かしたら、出勤前の時間をヴァレリーとともに過ごす、という生活を送っていた。過ごせる時間はもちろん早起きの度合いによりけりで、一時間のときもあれば三十分に満たない日もあった。そんなふうだから読書は遅々とし…

天の穴

先日穂村弘の『ぼくの短歌ノート』を読んだ際に、ぜひとも読みたいと思った歌人、沖ななもの第六歌集。じつは永田和宏の『現代秀歌』を読んだときからとても気になっていたので、すこし前に日本からまとめて本を送ってもらった際に含めてもらっていたのだ。…

雑記:マングェルの理想の読者

わたしが好んで引用する言葉に、アルベルト・マングェルの理想の読者像がある。「理想の読者は、すべての文学作品を匿名作家のものとして読む」、というのがそれで、じつはこれはインターネットをうろちょろしていたときに、英語でもスペイン語でもなく、フ…

ぼくの短歌ノート

穂村弘が昨年刊行した短歌評論集。ページを開いたが最後、読み終えるまであっという間だった。じつを言うと、そうなることがこれまでの読書体験から簡単に予想できたからこそ、なんというか、もったいなくって読みはじめられずにいたのだ。現在も『群像』誌…