読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

3冊で広げる世界:意味が意味にならない世界

配架-3冊で広げる世界 テーマ-ノンセンス

f:id:nina313:20141019104614j:plain

 突然だが、わたしはマイラバが好きだ。マイラバというのはもちろん、歌手のMy Little Loverのことである。熱狂的なファンというのではなく、「好きだ」と公言するわりにはシングルになっている曲ぐらいしか知らないのだが、いまでもしょっちゅう聴いている。なかでも「Alice」という曲が大好きだ。そこにこんな歌詞がある。

「そしてアリスのように不思議さを受けとめたら
 だれだって いつだって 森に迷い込めるの」


 アリスはもちろん、あのアリスである。この歌詞はアリスが「不思議さを受けとめた」、という、大切なことを教えてくれるのだ。『不思議の国のアリス』にしろ『鏡の国のアリス』にしろ、彼女は不思議を通り越して異常な連中、たとえばクソみたいな猫に気ちがい呼ばわりまでされるのだが、純粋な少女はそれを受けとめる。不思議さを受けとめて世界をさまようアリスは、読者にとっては心を寄せられる唯一の常識人だ。アリスの存在は物語の不思議さを対象化するための装置だとも言えるだろう。

 さて、世の中にはだれも「不思議さを受けとめない」作品というのがある。不思議さは不思議なまま無視され、それが不思議であることがだれにも言及、告発されない。受け手の存在しない不思議さは宙ぶらりのまま、読者の解釈によってのみ意味を持つことになる。田村隆一が「帰途」のなかで語ったような、まさしく「意味が意味にならない世界」だ(田村隆一『腐敗性物質』講談社文芸文庫、1997年)。今回はそんな世界を読者につきつける、野蛮このうえない3冊を紹介したい。

ルイス・キャロル『スナーク狩り』
ベケット『ゴドーを待ちながら』
イヨネスコ「禿の女歌手」『イヨネスコ戯曲全集第一巻』

スナーク狩り

スナーク狩り

 
ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

 


 これらの3冊を並べるという行為もまた、わたし自身の着想ではない。ミヒャエル・エンデが関連を指摘し、高橋康也というルイス・キャロル作品で知られる翻訳者が、エンデによる『スナーク狩り』の翻案に寄せた解説などで語っていたことなのである。ちなみにそこで挙げられていたのはイヨネスコではなくシェイクスピア『ハムレット』で、今回イヨネスコに差し替えたのは、単純にこちらの作品のほうが世間一般には知られておらず、しかもわたしの目的に合致しているからである。それに『ハムレット』というのは、だれかに薦められて手に取るような本でもないだろう。

 高橋康成は「ノンセンス」(「ナンセンス」ではない)という言葉でこれらの作品を括っていたが、それはつまり「受け手次第でいくらでも解釈が可能」ということだ。そういう意味では『ハムレット』のままでも良かったし、同じシェイクスピア作品でももっとつまらない『トロイラスとクレシダ』を挙げたって問題はないわけだが、わたしは今回、この「意味が意味にならない」感覚を、哲学的な堂々めぐりよりも、笑いによって受けとめられるような作品を紹介したかったのだ。ちょっと長いのだが、『スナーク狩り』から一章を丸々引用してみよう。

―――――――――
第六の発作/歌
バリスターの夢

一同は指ぬきと注意を駆使し
フォークと希望をもって探した
鉄道の株で命をおどし
微笑と石鹸で金縛りにした

さてバリスターは ビーバーのレース編みの不法性を
証明しようとの空しい努力に疲れ果てて
眠りに落ちた そして夢の中でまざまざと見たのだった
長らくその面影を空想してきたかの生きものを

その夢とは――ほの暗い法廷で
スナークが片眼に眼鏡をかけ
ガウン 垂れ襟 鬘のいでたちで
豚小屋脱走の罪に問われた豚を弁護していた

証人たちの証言には錯誤も不備もなかった
すなわち豚小屋は誰もいない状態で発見されたのだ
判事が法律的事態を説明しつづける声は
もの柔らかで 低く響いた

だが起訴の内容が明示されていないので
スナークが語り始めてから三時間もたつのに
豚がいったい何をやったとされているのか
誰にも推測もつかぬさまであった

陪審員はそれぞれ違った意見をすでに固めていた
(それも起訴状がまったく読み上げられないうちに)
それからみな一斉に発言したので だれひとり
ほかの人が言う一言たりとてわからなかった

「ご存じのように――」と判事が言うと スナークが
「くだらん! あの法律はもう古い!
皆さんに申しあげたい 本件はつまるところ
大昔の荘園権にもとづいているのであります

叛逆という点に関して述べるならば 豚は
幇助したと見えるにせよ 煽動はしておりません
支払い不能の咎は 被告の<借財なし>との
申し立てを認めて下さるならば 成り立ちません

脱走の事実については あえて抗弁いたしますまい
ただしその罪状も わたしの信ずるところでは
(この訴訟の費用に関するかぎりにおいて)
立証されたアリバイにより免除されるはずです

哀れな被告の運命は皆さんの票にかかっています」
そう言ってスナークは席に座り
判事に メモを参照して
手短かに訴訟事実を総括するよう要求した

ところが判事は自分には訴訟総括の経験がないと言った
そこでスナークが代わって引き受けた
それはいいのだが その総括ぶりがあまり見事なので
証人の語った分量をはるかに上廻ってしまった

評決が求められると 陪審員たちは拒否した
評決という語の綴りがむずかしいというのだ
彼らは代案として恐る恐る申し出た よろしければ
スナークにこの役目も代わってもらえないか

そこでスナークは 今日はもう疲れ果てたと
言いながらも 評決を下した
「有罪!」の一語がその口から発せられたとき
陪審員たちは呻いた 失神した者もいた

ついでスナークは刑の宣告も引き受けた
判事が興奮して口もきけなくなったからだ
スナークが立ち上がると 夜のごとき沈黙が法廷を支配した
針が一本落ちても聞こえたであろう

「終身追放」――これがその判決だった スナークはつづけて
「しかるのちに四十ポンドの罰金を科す」と言い放った
陪審員たちは揃って歓声をあげたが
判事は 判決文が法的に有効か否か 疑義を呈した

そのとき 陪審員たちの狂喜に急に水を差すように
看守が涙ながらに報告した
このような判決はなんの効力もありますまい
なぜなら豚は数年前に死亡しているのです と

判事は憮然たる表情で退廷したが
スナークは 本件の弁護を依頼された弁護士としては
いささか拍子抜けを隠さなかったが
それでもへこたれることなく声高に怒号しつづけた

――という夢を見ていたバリスターは
怒号の声がだんだん鋭くなるのを感じていたが
ついに狂おしいベルの音に目がさめた
ベルマンが耳元でベルを振り鳴らしていたのだ

(『スナーク狩り』62~68ページ)
―――――――――

 この謎めいた章を読むとき、わたしは頭を抱えて意味を求めたりなどしない。この理解できなさに、こいつは一体なにを言ってやがるんだ、と、単純に笑ってしまうのである。同じことが、ベケットでもイヨネスコでも起こる。私訳で恐縮だが、イヨネスコの『La Cantatrice chauve(邦題:禿の女歌手)』から会話文を引いてみよう。

スミス氏(新聞を読みながら):ごらん、ボビー・ワトソンが亡くなったそうだよ。
 スミス夫人:おや、まあ。かわいそうに。いつ亡くなったの?
 スミス氏:どうしてそんなに驚いてるんだ? 知ってのとおり、彼はもう二年も前に亡くなったじゃないか。覚えているだろう、一年半前に彼の埋葬に立ち会ったじゃないか。
 スミス夫人:もちろん覚えてるわ、すぐに思い出したわ。でも、どうしてあなたが新聞でそれを読んで、そんなに驚いてるのかがわからないの。
 スミス氏:新聞に載っちゃいないよ。もう三年も前に、彼の死について話し合ったじゃないか」(『La Cantatrice chauve suivi de La Leçon』pp.17-18)

 三者のうち、ベケットとイヨネスコには共通項がある。それは彼らが「不条理演劇(théâtre de l'absurde)」の旗手として知られている、ということで、それを口実に無理やり三人揃えようとすれば、ここにアルチュール・アダモフの名前を連ねることも可能だ。だが、『アダモフ戯曲集』の邦訳なんてわたしも実物を見たことのないほどの稀覯本だし、そんなツチノコまがいの幻獣を探させるわけにはいかない。そもそも知ったかぶりできるほど読んでもいない。

 ところで、特にカミュを読んでいるときにも何度も目にする、この「不条理」という日本語の違和感はなんだろう。ご覧のとおりフランス語では「absurde」という言葉が用いられており、これは日常会話でも、たとえば「そんな馬鹿な!(C'est absurde !)」というようなときに用いられる言葉で、日本語の「不条理」という哲学的な専門用語よりも、もっと軽い語感を秘めており、カミュはともかくベケットやイヨネスコにおいては、その軽さを無視してはいけないと強く思うのだ。言ってしまえばベケットを読んでいても、「これこそが不条理である」などという人を煙に巻くような感想よりも、「そんな馬鹿な!」のほうが先に来る。わたしはその「そんな馬鹿な!」という感覚こそ、「意味が意味にならない世界」を楽しむうえで大切な姿勢だと信じて疑わない。

ヴラジーミル:さて、どうしよう?
 エストラゴン:待つのさ。
 ヴラジーミル:うん、だが、そのあいだだよ。
 エストラゴン:首をつってみようか?」(『ゴドーを待ちながら』21~22ページ)

 世の中にはわかりやすいものが溢れていて、哲学書などでも解説の解説であるような本が出回っている時代ではあるが、そんな風潮を嘲笑うかのような荒唐無稽さ、「ノンセンス」を、ぜひとも体感してほしい。

スナーク狩り

スナーク狩り

 
ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)