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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

トロイ戦争は起こらない

 アナトール・フランス『舞姫タイス』を読んでいて一気に再発したユマニスム熱に応えるべく手に取ったジロドゥの作品。ジロドゥはまだ『オンディーヌ』しか読んだことがなかったものの、あの一作だけでもすでにこの作家が自分の期待に応えてくれることは明白だった。

ジロドゥ戯曲全集〈3〉テッサ、トロイ戦争は起こらない

ジロドゥ戯曲全集〈3〉テッサ、トロイ戦争は起こらない

 

ジャン・ジロドゥ鈴木力衛・寺川博訳)「トロイ戦争は起こらない」『ジロドゥ戯曲全集第3巻 テッサ/トロイ戦争は起こらない』白水社、2001年。


 戯曲というのは基本的に会話文しかないため、観衆または読者を退屈させないためには小説よりもよほど多くの努力が必要だと思っている。観衆であるぶんにはまだ良い。さまざまな舞台演出や美人女優を眺めているだけで退屈せずにすむ可能性もあり、なんなら眠っているあいだにも幕は自然と下りるからだ。それが小説と同じ本という媒体になった途端、事情は一気に変わってくる。ページをめくるのは読者であり、眠っていたら劇は進んでくれない。退屈な戯曲ほど、本という枠に収めるのにふさわしくないものはない。ちなみに今回のジロドゥについてはどうかというと、彼の作品はどこまでも知性に溢れていて、ページをめくる手が止まらない、むしろ睡眠不足になるような代物である。

 この『トロイ戦争は起こらない』は、その題のとおりトロイ戦争を題材にしたものだが、同じ材を採ったシェイクスピア随一の駄作(失礼)『トロイラスとクレシダ』を読むくらいだったら、こちらを手に取るべきだと断言できる傑作だった。ぜったいに必要なわけではないが、ホメロス『イリアス』『オデュッセイア』、とりわけ『イリアス』を先に読んでいたら、時代背景や登場人物たちの未来がわかって、楽しさは間違いなく倍増することだろう。トロイの王子にして英雄、エクトール(ヘクトル)と妻であるアンドロマックの互いを想いあう様子が、すばらしく魅力的だ。もうこれらの箇所だけでもラシーヌの戯曲『アンドロマック』を読みたくなる。

エクトール 男の子かい? 女の子かい?
 アンドロマック そんなこと言って、どちらがほしかったの?
 エクトール 男の子を千人……女の子を千人……
 アンドロマック なぜ? あなた、千人も女を抱いてるつもりだったの?……がっかりなさるわ……男の子たった一人だけ」(233ページ)

デモコス アンドロマックは浮気をしましたか?
 エキューブ アンドロマックはそっとしといておやり。あの子は女の話とはなんの関係もないんだから。
 アンドロマック エクトールが夫でなかったら、わたし、あのひとと浮気するわ。もしエクトールがびっこでがにまたの漁師だったら、漁師小屋まで追っかけて行くわ。牡蠣の殻や海草のなかに横になって、あのひとの不義の子を生むわ」(259ページ)

 よく知られているとおり、トロイ戦争が起こったそもそもの発端は、英雄エクトールの弟、トロイのもうひとりの王子パリスが、ギリシャのメネラス(メネラオス)王の妻、つまり王妃であるエレーヌ(ヘレネ)を誘拐してきたことである。『トロイ戦争は起こらない』という題から察せられるかどうかは怪しいものだが、じつはこの作品は『イリアス』よりもさらに前、開戦前のトロイを舞台にしており、この誘拐沙汰そのものに焦点が当てられているのだ。

エクトール どんなふうにしてさらって来たんだ? 合意の上でか、それとも無理やりか?
 パリス なにを言うんだ、エクトール! 兄さんだってぼくに負けないくらい、女を知っているだろう。無理やりでなきゃ承知するもんか」(242ページ)

パリス メネラスは裸で砂浜にいたよ、足の指をはさんだ蟹をとるのに大童(おおわらわ)だった。着物を風にさらわれたような顔をして、ぼくの船が遠ざかるのを見ていたよ。
 エクトール ものすごく怒っていただろう?
 パリス 蟹にはさまれた王様がうれしそうな顔をしたためしはないよ」(243~244ページ)

 しかし、戦争の悲惨さを知っているエクトールは、双方無事で済むわけがないギリシアとの大戦争など、絶対に起こしてはならない狂気の沙汰だと考えている。

エクトール 戦争をしているときの優しい気持というのは、無慈悲だから優しくなるんだ。神々の優しさもこんなものにちがいない。敵に向って、ゆっくり、ほとんど放心したように、しかし優しい気持で進んで行く。黄金虫をふみ潰さないようによけて通る。蚊がとまると、たたきつぶさないで追い払う。人間がこれほど生命を尊重したことは一度もない……
 アンドロマック それから、敵がやってくるの?……
 エクトール それから敵がやってくる、泡を吹きながら、ものすごい形相で。見ているとかわいそうになる。泡を吹き、白眼をむいていても、戦争がなきゃ、人間味のある平凡な役人で、平凡な夫であり、婿であり、平凡な従兄であり、酒やオリーヴの好きな平凡な男であるそいつが、なにもできないくせに、一所懸命になっているのがこちらにわかるんだ。するとその男に愛情が湧いてくる。頬っぺたのいぼや、目の中のほしまで好きになる。その男が好きになるんだ……ところが相手はあくまで戦いをいどんでくる……それで殺してしまう。
 アンドロマック それから、神様のように、その哀れな死体を見下ろす。でも神様じゃないんだから、生き返らせることはできないわ。
 エクトール 見下ろしたりするもんか。他の奴が待っている。他の奴が、泡を吹きながら、憎らしげにこちらを睨んでいる。家族や、オリーヴや、平和を一杯しょいこんでいる他の奴が」(236~237ページ)

エクトール 心配することはないよ。戦争をしてきたトロイ人や、戦争のできるトロイ人は、みんな戦争なんかしたくないんだから」(240ページ)

 そこでエクトールが考えたのは、さっさとエレーヌをギリシアの使者に返して、事態を穏便に収めるということだった。ちなみにその使者というのは、あのユリッス(オデュッセウス)である。

エクトール 他に誰も見ていなかったのか?
 パリス ぼくの水夫だけだ。
 エクトール よし!
 パリス なにが「よし」だ? どうするつもりなんだ?
 エクトール 取りかえしのつかないようなことはなにひとつしていないから、「よし」って言ったんだ。要するに、エレーヌは裸だった。だから、着物一枚、持物ひとつ汚されたわけじゃない。汚されたのは身体だけだ。そんなものは問題にならん。ギリシャ人のことだから、王妃が海へ行って、何ヵ月か水に沈んでいたあとで、すずしい顔で静々と上がってきたら、あいつらはそれを自分たちの都合のいいように、神の仕業にしてしまうよ」(244ページ)

ユリッス スキャンダルが世界じゅうにひろまってしまうと、夫は敏感になるもんですよ。パリスがエレーヌに手をふれなかったんでないといかんでしょう。ところがそうじゃないんだから……
 群衆 そうだ! その通りだ!
 誰かの声 ふれなかったとは言い切れない!
 エクトール もしそうでなかったら?
 ユリッス どういうつもりなんです、エクトール?
 エクトール パリスはエレーヌに指一本ふれなかった。二人ともわたしに打ち明けてくれたんです。
 ユリッス なんの話です、それは?
 エクトール 本当の話です、そうだね、エレーヌ?
 エレーヌ なにも不思議なことはないでしょう?
 誰かの声 そんな馬鹿なことがあるもんか! おれたちは侮辱されたんだ!
 エクトール 笑うことはないでしょう、ユリッス。エレーヌが女の道に背いたという証拠でも見つかったんですか?
 ユリッス 探そうとも思いませんよ。女のからだが汚れたって、鴨に水をかけたほどの痕も残らないんだから。
 パリス 王妃に対して、なにを言うんだ。
 ユリッス もちろん、王妃は例外としておきましょう……ところで、パリス、あなたはこの王妃を誘拐したとき、裸のままさらって来たんですね? あなただって水の中で鎧冑をつけていたわけじゃないでしょうが、それでエレーヌに対してちっとも食指が動かなかったんですか? 欲望が起こらなかったんですか?
 パリス 王妃は裸でも気品につつまれている。
 エレーヌ その気品を脱がないでいればいいのよ」(329~331ページ)

 先日の『舞姫タイス』でもエレーヌは「永遠のヘレネ」と讃えられていたが、この『トロイ戦争は起こらない』のなかでの彼女の「永遠ぶり」はすさまじいものがある。以下、ご覧あれ。

エクトール あなたはメネラスが嫌いじゃないんですね?
 エレーヌ 嫌いになるわけはないじゃありませんか。
 エクトール 本当に嫌いになるただひとつの理由がありますよ。あなたはあのひとを見あきたでしょう。
 エレーヌ メネラスを? どういたしまして! メネラスをよく見たことは一度もありませんわ、見たと言えるほどには。正反対よ。
 エクトール あなたのご主人じゃありませんか?
 エレーヌ 物でも人でも、色がついているように見えるものがありますわ。あたし、そういうものならよく見えますし、信じることもできるんです。メネラスがよく見えたことは一度もありませんの。
 エクトール でも、あなたのすぐそばに来たこともあるはずですがね。
 エレーヌ あたし、あのひとをさわったかもしれません。でも見たとは言えませんわ。
 エクトール あなたのそばを離れなかったというじゃありませんか。
 エレーヌ もちろんですわ。知らないうちに、あのひとのなかを突き抜けて通ったことだって、何度もあるはずよ」(269~270ページ)

エクトール てっきりそうだろうと思っていましたよ。あなたはパリスを愛しているんじゃない、エレーヌ。男を愛しているんです!
 エレーヌ 男は嫌いじゃありませんわ。大きな石鹸のように、自分の身体にこすりつけるのは気持のいいものですわ。それですっかりきれいになりますもの……」(272ページ)

エレーヌ こちらへいらっしゃい、トロイリュス!……(トロイリュス近寄る)ああ、やっと来たわね! 名前を呼ぶと言うことを聞くなんて、まだかわいいところがあるのね。ほんとにひどい人。あたしに大声を出させた男は、あんたがはじめてよ。男って、いつでもあたしにくっついているもんだから、あたしはただ唇を動かしさえすれば用が足りるの。かもめや、仔鹿や、山彦は大声で呼んだこともあるけど、男にはこれまで一度もなかったわ」(283~284ページ)

 ところで、パリスが戦争から帰還したばかりのエクトールに対して、姉のカッサンドル(カッサンドラ)をそばに、エレーヌを讃美する場面がある。

エクトール それで? エレーヌの一件は?
 パリス エレーヌはとてもかわいい女だよ。そうだろう、カッサンドル?
 カッサンドル かなりかわいいわね。
 パリス どうして「かなり」なんて言うんだい、今日は? 昨日はとても美しいって言ってたじゃないか。
 カッサンドル とても美しいけど、かわいいって点じゃ、まあまあと言ったところよ。
 パリス 小さなかわいらしいかもしかみたいじゃないか?
 カッサンドル いいえ。
 パリス かもしかみたいだって言ったのは姉さんだぜ!
 カッサンドル わたしの間違いだったの。あれから本物のかもしかを見たのよ」(241ページ)

 ご覧のとおり、なんだか原文が気になってしまう訳文である。こちら、フランス語原文では以下のとおりになっている。

HECTOR Alors? Quelle est cette histoire d'Hélène ?
 PÂRIS Hélène est une très gentille personne. N'est-ce pas, Cassandre ?
 CASSANDRE Assez gentille.
 PÂRIS Pourquoi ces réserves, aujourd'hui ? Hier encore tu disais que tu la trouvais très jolie.
 CASSANDRE Elle est très jolie, mais assez gentille.
 PÂRIS Elle n'a pas l'air d'une gentille petite gazelle ?
 CASSANDRE Non.
 PÂRIS C'est toi-même qui m'as dit qu'elle avait l'air d'une gazelle !
 CASSANDRE Je m'étais trompée. J'ai revu une gazelle depuis.」

 勘所はものすごくありふれた形容詞、「gentil(le)」をどう訳すか、ということなのだが、この単語の訳し方はおおまかに二通りあり、それぞれ「優しい、感じがいい」および「かわいい、心地いい」である。問題はエレーヌに対しても「かもしか(ガゼル)」に対しても同じ「gentille」が与えられていることで、この訳者はすべて「かわいい」で統一しているわけだが、「美しい」の箇所でも「belle」ではなくわざわざ「jolie」と書かれていることだし、以下のようにも訳せるのでは、と思った。

エクトール それで? 今回のエレーヌの件については?
 パリス エレーヌはとってもいいひとだよ。でしょう、カッサンドル?
 カッサンドル まあまあってとこね。
 パリス なにを遠慮しているのさ、今日にかぎって? 昨日はすばらしい美人だと言っていたじゃないか。
 カッサンドル すばらしい美人よ。でも、いいひとって点についてはまあまあ。
 パリス 小さなかわいいガゼルみたいではない、と?
 カッサンドル ぜんぜん。
 パリス ガゼルみたいって言ったのは姉さんだよ!
 カッサンドル 撤回するわ。あれからガゼルを見たから」(私訳)

 と言いつつ、書いているうちにどんどん訳者のほうが正しい、という気になってきた。「かわいい」で統一されていないと、「ガゼル」のくだりが不自然だし。まあ、あまり深く考えずに無視してもらいたい。ここは単純なぶん、じつに翻訳が難しく、どう訳しても日本語としては不自然に響く気がする。

 さて、戯曲には道化がつきものだが、すでにお判りのとおりジロドゥの手にかかるとだれもが道化じみてくる。たとえば以下の幾何学者。こいつ、読み終えたいま思い返してみても、ぜんぜん物語に関わりがなく、ほんとうに頼もしいほどなにもしなかった。

幾何学 そうですよ、わたしは幾何学者ですよ! 幾何学者は女のことに口を出す必要はない、などと思わんでもらいたいですな! 女のきりょうをはかるんだって幾何学者ですよ。あんたがたの腿の皮が厚すぎたり、くびに瘤があったり、そんなことでわれわれ幾何学者がどれだけ頭を悩ましているか、言わないでおきますがね……」(253~254ページ)

 また、トロイ人はギリシア人に比べて悪口が下手くそだ、という議論があり、早速悪口を募集するコンテストを開催しよう、という、じつにくだらない(でもこういうの大好き)くだりがある。

デモコス あなたは自分で見つけられますかね、悪口を? なかなかうまいという評判だが。
 パリス そのつもりだがね。
 デモコス そいつは自惚れというもんです。アブネオスの前でやってごらんなさい。
 パリス なぜアブネオスの前で?
 デモコス 悪口が言い易いようにできていますからな、太鼓腹で、がに股で。
 アブネオス おい、このぺしゃんこ野郎!
 パリス いや、アブネオスの前じゃ、うまいのが出てこない。なんならあんたの前でやってみよう。
 デモコス わたしの前で? よろしい! 即興の悪口がどんなものか、やってみればわかるさ! 十歩数えて……用意はいいぞ……さあ始めて……
 エキューブ あの男をよく見てごらん。いいのを思いつくよ。
 パリス おいぼれの居候! きたねえへぼ詩人!
 デモコス ちょっと待った……間違えないように名前をつけたら……
 パリス なるほど、そうだ……デモコス! 牛の目玉! ふけだらけの丸太ん棒!
 デモコス 文法的には正しいけれど、ちゃちですな。「ふけだらけの丸太ん棒」と言われて、どうしてわたしがカッとなって、人殺しをするような気になるんです? 「ふけだらけの丸太ん棒」は全然効き目がありませんぜ。
 エキューブ 「牛の目玉」とも言ったよ。
 デモコス 「牛の目玉」は幾分ましだが……しかし、パリス、あなたはなにをまごまごしているんです? こちらの痛いところをつくようなのを探しなさい。わたしの欠点はなんです、あなたの考えじゃ?
 パリス おまえは卑怯だ、息は臭いし、ちっとも才能がない。
 デモコス はり倒すぞ、こいつ!」(294~296ページ)

 エクトールはあくまでも戦争回避の立場をとり、ギリシアから悪漢オイアックスが来たときにもその態度を貫きとおす。いま思うと、シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』が途方もない失敗作に思えるのは、こんなふうにホメロスのなかでじつに魅力的だったエクトールのような人物が、喜劇的調子に合わせてなんの魅力もない人物に成り変わってしまっていたからだ。ジロドゥはそんな過ちは犯さない。喜劇的かつ道化じみた雰囲気に身を置いてはいても、このエクトールは『イリアス』のとき同様、どこまでも魅力的で英雄的である。

オイアックス きさま、個人的にも宣戦しないか、おれがきさまは卑怯者だと言ったら?
 エクトール そんなことは平気でうけたまわるね。
 オイアックス こんな鈍いさむらいは見たことがない!……ギリシャ人がみんなトロイをどう思っているか言ってやろうか、トロイは悪そのものだ、愚劣そのものだ……
 エクトール トロイは頑固そのものだ。戦争は起こさない」(322ページ)

アンドロマック この戦いもあなたが勝ったのよ。自信を持ってね。
 エクトール おれはどの戦いにも勝つんだ。だけど勝つたびに賭金のほうは逃がしてしまう」(327ページ)

 われらがオデュッセウス、ここではユリッスも、すばらしく魅力的に描かれている。これぞオデュッセウス! かなり前に読んだミラン・クンデラ『無知』を思い出した。

ユリッス 二つの民族はこうして二人が話しているまわりで黙って離れている。しかしわれわれが避けられないものに勝つことを期待しているんじゃない。かれらはただわれわれに全権を与えたにすぎない。われわれ二人に、破局(カタストロフ)を超越して、敵同士の友情を、よく味わわせようとしているのだ。味わおうじゃないか……贅沢なご馳走だ、じっくり味わうとしよう……しかしそれだけのことだ。権力者の特権は、破局をテラスから眺めることだ」(343ページ)

エクトール 正直に言え。われわれの富がほしいんだろう! 戦争にもっともらしい口実をつけるためにエレーヌを誘拐させたんだ! ギリシャのために恥ずかしく思うよ。ギリシャは永久に責任を負い、恥じなければなるまい。
 ユリッス 責任と恥? どういたしまして! このふたつの言葉はちょっと両立しないね。われわれのほうに、本当に戦争の責任があるとわかっていたら、未来の世代の善意を確保し、良心をやすらかにするために、いまの世代の者が、否定し、嘘をつけばいいんだ。おれたちは嘘をつくよ、犠牲になるよ」(348ページ)

ユリッス エクトール、どうしておれが帰る気になったか、わかるか……
 エクトール わかる。気高い心だ。
 ユリッス そうでもない……アンドロマックのまばたきがペネロープとそっくりだからさ」(350ページ)

 永遠のヘレネ、つまりエレーヌの特殊すぎる立場は、どこまでも想像力を刺激するものだ。フランス語には日本でもよく知られている「femme fatale(ファム・ファタル、魔性の女)」という言葉があるが、エレーヌはそんな女たちのなかでも最上位に君臨している。すこしオンディーヌを思い出させる気まぐれな性格に、運命の女神が振り回されている。

アンドロマック わたしたちの思想や未来が、愛し合っている男と女の物語の上にきずかれる、これはちょっと悪くない。でも運命には、あなたがた二人が、ただ表面上の夫婦にすぎないってことがわからないのよ……表面上の夫婦のために、死んだり、苦しんだり、これからさき幾時代ものあいだ、世の中が栄えるか、不幸になるか、そしてまた今後何世紀にもわたっての人間の考えかたが、愛し合ってもいない二人の色恋沙汰できめられる……考えただけでもゾッとするわ」(315~316ページ)

ユリッス エレーヌの話をしよう。きみたちはエレーヌについて考え違いをしているんだ、パリスときみは。おれは十五年前から知っているし、観察もしているが、疑いの余地はない。あの女は、運命が自分のために地上につかわした珍らしいものの一つなのだ。なんでもないように見える、ただの町や村だったり、王妃や小娘だったりするんだが、手を触れたら危い。人生のむずかしいのはここなんだ。人や物のなかから運命の人質を見わけることだ。きみたちには見分けがつかなかった。ギリシャの大将や王に手出しをしても、べつになんともなかったかもしれない。パリスがスパルタや、テーベで二十人の女を誘惑しても危険はなかったかもしれない。あいにく、一番頭のせまいもの、一番心のかたくななもの、心の狭い女を選んだ……きみたちは運命に見放されたんだ」(347ページ)

エレーヌ 人間は自分をあわれと思う程度にしか、他人をあわれとは思わないものよ」(319ページ)

 戯曲はなにもシェイクスピアだけではない。ジャン・ジロドゥ、いつかすべて読みたいと強く思った。

ジロドゥ戯曲全集〈3〉テッサ、トロイ戦争は起こらない

ジロドゥ戯曲全集〈3〉テッサ、トロイ戦争は起こらない

 


〈読みたくなった本〉
ラシーヌ『アンドロマック』

フェードル アンドロマック (岩波文庫)

フェードル アンドロマック (岩波文庫)

 

Christopher Fry, Tiger At The Gates
→イギリスの劇作家クリストファー・フライによる翻案・英訳。

Tiger at the Gates (Modern Plays)

Tiger at the Gates (Modern Plays)