Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

嵐が丘

「名作中の名作」と呼ばれ、サマセット・モームの『世界十大小説』にも選出された一冊。

嵐が丘(上) (岩波文庫)

嵐が丘(上) (岩波文庫)

 

エミリー・ブロンテ(河島弘美訳)『嵐が丘』上下巻、岩波文庫、2004年。


随分前に購入して、以後ずっと本棚に眠らせていたのを、雑誌『考える人』春号の特集「海外文学ベスト100」で取り上げられていたのを機に、手に取ることにした。

率直に言って、読後の感想は微妙だ。非常に読みやすいし、構成も興味深い上に、レトリックも面白い。だが、どうしてもストーリーが好きになれない。訳者はこれを「狂気とそれを観察、叙述する平凡な常識との間に保たれた、見事なバランス」と評しているが、どうしてこれほど人を嫌な気持ちにさせる物語を書く気になったのだろうかと、頭を捻らずにはいられない。

確かに登場人物の個性や二重の語りの技法などは、芸術的に価値のあるものなのかもしれない。だが、それは批評家にとっての価値であって、肝心の内容に愛着が持てないのでは、読者にとってこれはただの嫌な話の本に終始するのではないだろうか。

「地下牢で見るクモのほうが、家で見るクモより値打ちがある」(上巻、124ページ)

間違いなく読みやすいし、文学的な価値は疑いようがないのだろうが、例えば『トム・ソーヤーの冒険』『蠅の王』のように、好きにはなれない物語だった。皮肉なことに上述した二作の内容は「ちょっといいな」と思った程度の本よりは、余程はっきりと覚えているのだが。『嵐が丘』もひょっとしたらそんな一冊になるのかもしれない。 

嵐が丘(上) (岩波文庫)

嵐が丘(上) (岩波文庫)

 
嵐が丘〈下〉 (岩波文庫)

嵐が丘〈下〉 (岩波文庫)