Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

走れメロス

太宰の代表作と目される、「走れメロス」を含む短編集。 

走れメロス (新潮文庫)

走れメロス (新潮文庫)

 

太宰治走れメロス新潮文庫、1967年。


表題作があまりに有名で、持ち歩くのが気恥ずかしいほどだった。だが読み進めるに従って、この本の良さを本当に噛み締めている人は少ないのではないか、と思うようになった。

以下、収録作品。
「ダス・ゲマイネ」
「満願」
「富岳百景」
「女生徒」
「駆込み訴え」
走れメロス
「東京八景」
「帰去来」
「故郷」

「ダス・ゲマイネ」以外は全て中期の作品だ。太宰は『人間失格』や『斜陽』のように、最晩年に書かれた長編が愛されることが多いが、彼の本領は中期の短編にあったのだと感じた。

走れメロス」は美しい友情物語として教科書にまで掲載されているが、太宰が本当に描きたかったのが、その美しさであったのか、甚だ疑わしい。特にこの短編集に収められていると、そう思う。所謂教科書のような、そんな読み方をすると、この一作だけ、ひどく迎合的なものになってしまう。違うのではないか。「走れメロス」は美談などではない。「駆込み訴え」を読んでから、その流れのまま読んでみると、まるで違った印象を受け、非常に良い。

「駆込み訴え」は凄まじい作品だ。これさえ読んでいれば、聖書を読む必要がない。キリスト教国では絶対に書けない、作家の技巧が凝縮された作品。ユダの行動が、究極の愛の結果として描かれている。話を聞いている感覚に陥るのが、心底凄い。イスカリオテのユダを、評価できなくなる。

「ダス・ゲマイネ」では初期の、まだ方法論を模索している太宰に出会える。「満願」は非常に短い、美しい短編であり、「帰去来」と「故郷」は連作だ。「帰去来」も「故郷」も、読んでいる最中に泣いた。「泣かせどころ」があるのではなく、太宰の「泣きどころ」がひしひしと伝わってきて、こちらまで悲しくなってしまうのだ。

「死ぬことだけは、待って呉れないか。僕のために。君が自殺をしたなら、僕は、ああ僕へのいやがらせだな、とひそかに自惚れる。それでよかったら、死にたまえ」(「ダス・ゲマイネ」より、18ページ)

「富岳百景」の素晴らしさは、語らなければなるまい。これは凄い。この一作だけで、この本を買う価値がある。

「富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆であった。完全に、無意志であった。あの夜のことを、いま思い出しても、へんに、だるい」(「富岳百景」より、58ページ)

文章の美しさがもの凄い。あんまりだ。ラストも完璧だ。短編小説として完璧な水準に達している。太宰の小説で、どれが一番好きかと聞かれたら、これを選ぶだろう。太宰らしくて、切なくて、美しい。太宰らしさとは悲劇性ではない。「東京八景」を読むと、それがよくわかる。

「私は、ひとりよがりの謂わば詩的な夢想家と思われるのが、何よりいやだった」(「東京八景」より、171ページ)

周りを見回した時、「太宰を好きだ」と主体的に唱える人々は、みんな詩的な夢想家だ。彼らは『人間失格』と『斜陽』だけを読み、自分をその悲劇の渦中に置いてしまったのだろう。センチメンタルと悲愴を、美しいものとして捉えている。太宰はまだ、理解されていない気がする。

「私はその日までHを、謂わば掌中の玉のように大事にして、誇っていたのだということに気附いた。こいつの為に生きていたのだ。私は女を、無垢のままで救ったとばかり思っていたのである」(「東京八景」より、167ページ)

「ここは東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、此の武蔵野の夕陽を東京八景の中に加入させたって、差支え無い。あと七景を決定しようと、私は自分の、胸の中のアルバムを繰ってみた。併しこの場合、芸術になるのは、東京の風景ではなかった。風景の中の私であった。芸術が私を欺いたのか。私が芸術を欺いたのか。結論。芸術は、私である」(「東京八景」より、183ページ)

「女生徒」も、凄い。何でこんなものが書けるのか、さっぱり理解できない。女性からの共感を多く得ているらしい。さっぱり理解できない。

「だんだん大きくなるにつれて、私は、おっかなびっくりになってしまった。洋服いちまい作るのにも、人々の思惑を考えるようになってしまった。自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ」(「女生徒」より、87ページ)

「なぜ私たちは、自分だけで満足し、自分だけを一生愛して行けないのだろう。本能が、私のいままでの感情、理性を喰ってゆくのを見るのは、情ない。ちょっとでも自分を忘れることがあった後は、ただ、がっかりしてしまう」(「女生徒」より、89ページ)

その癖、こんなことも平気で書いている。

「キン子さんは、全く無性格みたいで、それゆえ、女らしさで一ぱいだ」(「女生徒」より、93ページ)

太宰は底が知れない。自伝調の作品が、やはり彼の本分なのだろうが、時としてもの凄い小説を書いている。「駆込み訴え」「右大臣実朝」、そして「女生徒」が挙げられるだろう。

「自分のぶんを、はっきり知ってあきらめたときに、はじめて、平静な新しい自分が生れて来るのかも知れない」(「女生徒」より、114ページ)

太宰は底が知れない。ただのセンチメンタリストじゃないことだけは確かだ。この短編集は凄い。「富岳百景」、「女生徒」、「東京八景」、「駆込み訴え」だけでも読んで欲しい。そして「走れメロス」を読み、悩んで欲しい。最後は「帰去来」「故郷」で泣いて欲しい。太宰は、凄く良い。

走れメロス (新潮文庫)

走れメロス (新潮文庫)