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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

マクベス

『オセロー』『リア王』『ハムレット』と並んで、四大悲劇の一つに数えられる、スコットランドを舞台としたシェイクスピアの悲劇。半年以上読んでいなかった、久しぶりのシェイクスピアである。

ウィリアム・シェイクスピア(小田島雄志訳)『マクベス』白水uブックス、1983年。


マクベス』は大変わかりやすい悲劇で、『ハムレット』のような読者を混乱させる要素はほとんどない。ストーリーは単純明快で、何より物語が大変短い。おそらくシェイクスピアの戯曲の中で、最も短いものはこの『マクベス』だ。かといってシェイクスピア入門として薦められるか、と問われると、残念ながら首を横に振らざるをえない。その理由は後述として、まずは恒例のストーリーの略記から。知りたくない方は戻るボタンをすみやかに押すべし。

スコットランド王に仕える勇将マクベスはある戦場で三人の魔女に出会い、自身の三つの運命を預言されることになる。一つ目の運命はグラームズの領主になるというもの。二つ目の運命はコーダーの領主にもなるというもの。そして三つ目の運命は、スコットランド国王になるというものだった。マクベスは父亡きあとにグラームズの領主職を継いでいたので、一つ目の預言は既に達成されていたものだった。そしてこの預言を聞いた直後、先ほどまでの戦争は現コーダーの領主の内通に端を発するものだったことが発覚する。コーダーの領主は裏切り者として処刑され、その領地は王命により、軍勢を打ち破った勇将マクベスに与えられることとなった。こうして二つ目までの預言が現実となったのである。
こうなると三つ目の預言の行方が気になって仕方なくなってしまったマクベスは、妻に見聞きした出来事を打ち明ける。その話に王妃となる望みを見出だしたマクベス夫人は、夫に自らを信頼してやまない王ダンカンの暗殺を薦め、自ら計画を練り、ついにマクベスはダンカンを暗殺することに成功する。
こうしてマクベススコットランド王となり、魔女の預言は全て達成された。ところが策謀によって王座についたことに後ろめたさを覚えるマクベスは、自らの不安を取り除くために、今度は魔女の預言を共に受けた戦友バンクォーの暗殺を謀る。バンクォーに与えられた預言は「国王にはならないが国王を生みだす」というものだったのである。マクベスはバンクォーの下に暗殺者の一味を送り込み、彼の息子フリーアンスもろとも亡き者にするよう命ずる。こうしてバンクォーは暗殺されたものの、息子のフリーアンスは逃げのびることに成功する。
評判も地に落ち、暴君として民衆の上に立ったマクベスは、日増しする不安を癒すために再び魔女たちを訪ね、今度も三つの助言を得る。一つ目はイングランドへと亡命したマクダフに気をつけろ、というもの。二つ目は女が生んだものにはマクベスを倒せない、というもの。そして三つ目は自らの城を取り囲むバーナムの森が彼に向かってくるまでは安心していて良い、というものだった。預言に気を良くしたマクベスはマクダフの家族を反逆者として殺害し、圧政を続ける。その頃イングランドには先王ダンカンの長男マルカムが潜伏し祖国奪還の準備をしており、そこにマクダフが合流し、ついにスコットランドマクベスの下へと進軍することとなる。
進軍したマルカムたちは軍勢を悟られぬよう、バーナムの森の枝を身にまとい城を包囲する。それに気付かず敵軍の入城を許したマクベスは、怒り狂うマクダフと一騎打ちをやり合うこととなる。このマクダフは母親の体を割いて生まれた男で、彼こそが唯一マクベスを倒すことの出来る人物だったのだ。マクベスの首を切り落としたマクダフは戦争の勝利を叫び、マルカムが王座につくことでようやくスコットランドに安泰が取り戻された。

「晴れやかな顔つきでみんなを欺くのだ、偽りの心をかくすのは偽りの顔しかないのだ」(45ページ)

「殺されるもののほうがまだしも気楽だわ、殺して手に入れた喜びに疑惑があれば」(84ページ)

最も肝心な点が語られていないことにお気づきになられただろうか。そう、結局王位についたのは先王の息子マルカムであって、バンクォーの子孫たち、例えばフリーアンスではないのだ。一体この辺りの齟齬はどのように回収されるのか想像もつかないが、とにかくマルカムの即位によって物語は文字通り幕切れとなっているのである。

「どんなにすばやい計画も、実行がともなわなければ追い越されてしまう。よし、もうこれからは、心が生み出すものは、生まれ落ちると同時に手にも生み出させてやるぞ。たったいまから、思考を行為で飾るべく、思い付いたらやるぞ」(120~121ページ)

この結末からも容易に見て取れるように、マクベスのストーリーは相当杜撰である。マクダフが母親の腹を割いて生まれた、というのも最後の最後、決闘中に明らかになることで興醒めを覚えるし、悪の限りを尽くしたマクベス夫人が唐突に夢遊病にかかって唐突に亡くなったりと、どうにも腑に落ちない点が多すぎる。そもそもマクベス夫人、こいつがいなければ始めから何も起こらなかったのではないか。妻選びは慎重に、という教訓が秘められているのだろうか。納得がいかない。

しかし前にも書いた通り、シェイクスピアにあってはストーリーを追うことは大して重要ではないのだ。ここではストーリーではなく、それに沿って発せられる登場人物たちの声に耳を傾けることのみが求められている。彼らがどんなことを言ったかが重要なのであり、どんな状況で言ったかは二の次とするべきだ。一つ一つのセリフを楽しむようになると、シェイクスピアは一気に面白くなる。

「お二人のおほねおりは心の手帳に書きとどめ、毎日そのページに目を向けるつもりだ」(26ページ)

「ハンカチをたっぷり用意しときな、この地獄じゃたっぷり汗をかかされるからな」(58ページ)

「夜が勢いをえたのか、昼が恥じらっているのか、いのちをもたらす光が口づけすべき大地の顔を暗闇が埋葬してしまった」(69ページ)

杜撰で短い物語ではあるが、言い回しは間違いなくシェイクスピアのものである。シェイクスピア小田島雄志の最高タッグは、この点でこそ本領を発揮するのだ。確かにストーリーは稚拙かもしれないが、小田島雄志にその責任はない。悪いのは全てシェイクスピアである。適当な仕事しやがって、と思う。

「私がどう思おうとあなたはあなただ、天使の長が地獄に落ちようと天使たちは天に輝く、悪徳美徳の顔つきをまねようと、美徳の顔はそのままのはずだ」(129ページ)

「悲しいときは存分に泣くがいい。涙を封じると悲しみがうちにあふれ、ついには胸も張り裂けよう」(143ページ)

だがマクベスの話を全否定するわけにもいかない。野心とそれを煽る者に操られたマクベスが不安を抱き、その不安を解消することができずにさらなる不安に襲われていく。この一連の意識の流れが人の心性を見事に捉えたものであることに疑いはない。最初はダンカンの忠臣であったマクベスが妻の薦めに従って裏切ることになる、という下りは大変スリリングである。だからこそ、もう少し時間をかけてその変遷を追ってもらいたかった、という気持ちが強まる。シェイクスピアにそれが出来ないわけがないのだから。裏切りを決心するまでに、もう一段階欲しかった。妻に言われてすぐに実行するのでは、いかなる勇将と言えども尻に敷かれた草食系男子である。これだから肉食系女子は鬱陶しい。

「明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、つかの間の燈火! 人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる物語だ、わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない」(161~162ページ)

以上のような理由から、『マクベス』を入門として薦めることはできない。言い回しが素晴らしいものであることは間違いないが、『ハムレット』の出来映えには比べるまでもない。何だって四大悲劇などという名前を付けて『マクベス』と『ハムレット』を並べてしまったのだろう。『ハムレット』が図抜けていることを確認させるようなものだ。

「ああ、スコットランド、おまえは!」(135ページ)

でも、久しぶりにシェイクスピアを読んで楽しかった。運命(と妻)に振り回されるマクベスを見ながら、ギャグマンガのように読むと後悔せずに済む。評価は低いけれど、これはシェイクスピア作品だから。他の作家が書いたものだったらもう少し甘くもなるだろうが、『ハムレット』を知って彼の才気を知ってしまった以上、妥協することはできない。

そうそう、書き忘れていたのだが、この本の「解説」は最悪だった。上演史や推測される制作年をだらだらと並べた、まさしく研究者による研究書のための文章。そんなことは他所でやってくれ。でも『マクベス』の解説なんてそんなものなのかもしれない、と思えるところもちょっと面白い。良い意味でも悪い意味でも、読書体験を人と語り合いたくなる本である。


<読みたくなった本>
シェイクスピア『オセロー』
→四大悲劇で掲載していないのは、これだけ。

ホリンシェッド『年代記』
→何だかんだ「解説」より。イギリス史を編纂した16世紀の書物で、シェイクスピアが頻繁に作品の題材を採っていたという。学問的な興味。

Chronicles of England Scotland and Ireland

Chronicles of England Scotland and Ireland

 

柄谷行人『意味という病』
「キリキリソテーにうってつけの日」さんの『マクベス』に紹介されていた本。このブログに掲載されるとどんな本でも大変面白そうに思えて凄い。『マクベス』そのものより面白いかも。

意味という病 (講談社文芸文庫)

意味という病 (講談社文芸文庫)