お気に召すまま
最近長篇小説ばかり読んでいたため無性に読みたくなったシェイクスピア。タイミング良く、友人がこの本を読みたいと話していたことを思い出した。
シェイクスピア全集 (〔21〕) (白水Uブックス (21))
- 作者: ウィリアム・シェイクスピア,小田島雄志
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1983/01
- メディア: 新書
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ウィリアム・シェイクスピア(小田島雄志訳)『シェイクスピア全集21 お気に召すまま』白水uブックス、1983年。
ちなみにその友人は演劇関係の道を志す女性で、セリフやその調子を学ぶためにシェイクスピアを読みたいと言っていたのだった。無論小田島雄志の訳を薦めたのだが、彼女は自分で『お気に召すまま』を選び出した。女性が演劇の勉強をするためにこの作品を手に取るというのは、素晴らしい慧眼だと思える。
シェイクスピアの悲劇は既にいくつか紹介しているが、『お気に召すまま』は喜劇である。とはいえ幕開けは『ハムレット』や『リア王』を彷彿とさせるもので、自分が読もうとしているものが喜劇だということを思い出せなくなってしまう。以下、備忘録代わりの筋書き略記。
ある公爵が自身の弟であるフレデリックに地位を奪われ追放の身となるが、その公爵の娘ロザリンドはフレデリックの娘シーリアとの友情から領地に留まることが許されていた。同じ領内には元公爵の忠臣サー・ローランド・ド・ボイスの息子たちが住んでおり、その三男オーランドーは父の遺産を譲ろうとしない長男オリヴァーから苛酷な生活を強いられていた。
そんな中、フレデリックの主催によるレスリング大会が開催され、オリヴァーは弟を懲らしめる算段から、現公爵お抱えの力士チャールズにオーランドーを挑戦させる。ところが予想に反してオーランドーはチャールズを打ち破り、その場に居合わせたロザリンドは彼に一目惚れしてしまう。フレデリックは元公爵の忠臣の息子が抱えの力士を打ち倒したことが面白くない。同時に、実の娘シーリアを差し置いて称賛を集めるロザリンドを元公爵同様に追放に処す。ロザリンドが突然の追放を告げられるとシーリアは彼女に同行することを決意し、元公爵が暮らしていると言われるアーデンの森を目指す。実の娘が姿を消したことを知ったフレデリックは彼女らの消息を辿るべく、ロザリンドが頻繁に話題にしていた男オーランドーの家を調査するが、オリヴァーとの仲が修復不可能となった三男もまた家を離れる決意をしていた。
男装したロザリンドはシーリアと道化を伴ってアーデンの森に辿り着く。そこでオーランドーを見つけるものの男装を見破られることはなく、彼のロザリンドに対する愛を見聞きすることとなる。男に扮したロザリンドはオーランドーの恋の稽古役を買って出ることになるが、そんな最中弟を見つけられないことを理由に追放を告げられたオリヴァーが森に迷い込み、ライオンに襲われるところをオーランドーに助けられる。兄は改心し、負傷したオーランドーの代わりに恋の稽古役への伝言を頼まれるが、彼はそこでシーリアに一目惚れしてしまう。アーデンの森に人びとが集まっていることを聞きつけたフレデリックは自ら森へ向かうが、彼もその中で改心し、奪った地位と領地をすべて返上することを決意する。何組もの恋人たちの結婚式が同時に執り行われ、幕切れとなる。
「この世界で私はただ一人分の場所をふさいでいるだけの男です、私がそこをどけばもっとましな人間があとを埋めてくれるでしょう」(26ページ)
「あなたがみごとに倒したのは敵だけではありませんでした」(29ページ)
シェイクスピアを読むときにストーリーは大して重要ではない。他の作品も同様だが『お気に召すまま』のストーリーを略記していると、そのことを強く意識する。上に名前を挙げなかったストーリーと直接関わりのない人物たちがこの作品に彩りを添えているのであって、彼らの役割なしにはこの作品は陳腐なものにさえ映ってしまう。
「ここは人の住む場所ではない、屠殺場です、身の毛もよだつ恐ろしい家です、入ってはいけません」(50~51ページ)
「まったくまことの恋をするものは気ちがいじみたまねをするもんだ。この世にあるものはすべて死すべき運命にあると言うが、このように恋するものもすべて死ぬほどばかなまねをする運命にある」(57ページ)
タッチストーンとジェークイズという二人の道化の登場が、この作品をシェイクスピア色に染めていると言っても言い過ぎではないだろう。タッチストーンは判りやすい道化役でシェイクスピアの他の作品にも通ずる存在だが、憂鬱病のジェークイズはいわゆる「道化」とは一線を画した奇妙な男で、とても必要とは思われない場面で余計なことばかり言っては他の人物たちの興を削いでいる。
「タッチストーン:おい、そこのど阿呆!
ロザリンド:お黙り、阿呆、おまえの親類ではないのよ。
コリン:だれだい?
タッチストーン:おまえよりはましなものだ。
コリン:でなきゃあよっぽどみじめだ」(58ページ)
「ジェークイズ:これ以上あなたと話しあうのはごめんだ、ご機嫌よう、シニョール・恋愛病。
オーランドー:お別れできて嬉しく思います、さようなら、ムッシュー・憂鬱病」(97ページ)
悲劇ばかり読んでいたせいか、ロザリンドとオーランドー、オリヴァーとシーリア、そして田舎のカップル、シルヴィアスとフィービーの恋が次々に成就していくのを見ていると、この後に何かとんでもないことが起こるのではないかと期待してしまう。
「恋は狂気にすぎない、だから狂人と同じように恋するものは暗い部屋に押しこめて鞭をくれてやるのがいちばんいいのです」(101ページ)
「雄弁の大家はことばにつまると唾を吐く、恋する男も話の種がなくなれば――そんなことがあっては困るが――キスするのが最上の策です」(125~126ページ)
この掛け値なしのハッピーエンドを皮肉って去っていくジェークイズの姿には、ときめきを禁じえない。これでこそシェイクスピア。『お気に召すまま』はトマス・ロッジ作の『ロザリンド』という物語に材を採ったものだそうだが、そこにこのジェークイズの姿はなかっただろうと断言できる。彼の存在が『お気に召すまま』を紛れもないシェイクスピアの作品として仕立て上げているのだ。
「どうやら間もなく第二の大洪水があるらしい、番の動物が続々このノアの方舟めがけてくるようでは」(162ページ)
「浮かれ騒ぎはごめんです、ご用があるならあとでうけたまわることにします、ご用ずみのあの洞窟で」(172ページ)
この小田島雄志版の『シェイクスピア全集』が最高の翻訳であることには疑いがないのだが、巻末に付されている「解説」はいつも研究者以外には向かないものだ。だが、上演史の文脈で語られていたロザリンド役の人気具合は興味深いものだった。男に扮した恋する女性は、確かに演じ甲斐のある役どころだろう。友人がこの本を選んだことを慧眼と書いたのはそのためである。ジェークイズ役も人気があっても良さそうなものだが。地味すぎるのか、暗すぎるのか。
気軽な読書をしたい時にシェイクスピアに優るものはない。どんなストーリーでも面白くなるというのは、読者の満足に対する確固たる約束でもある。肩肘貼らずに読んでこそ、ジェークイズのような人物に心を奪われるというものだ。ちなみに私は井の頭公園で寝そべって読んだ。これこそが最高の休日というものである。
シェイクスピア全集 (〔21〕) (白水Uブックス (21))
- 作者: ウィリアム・シェイクスピア,小田島雄志
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- 発売日: 1983/01
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