シルヴェストル・ボナールの罪
すでにずいぶん前のことのように思えるが、じつはほんの二ヶ月前、わたしはフランスにいた。現在住んでいる国に引っ越す前の最後のバカンス、という名目で、友人たちを訪ねまわっていたのだ。これは、そのときに携帯していた本である。読み終えたのは、パリからナントへ向かうTGVの車中であった。幸福なため息とともに顔を上げた瞬間、車窓から見えたロワール河沿いのおびただしい緑、それからプルーストを彷彿せずにはいられない、木々の先端から飛び出した遠くの教会の尖塔が、今でも目に焼きついている。
- 作者: アナトールフランス,Anatole France,伊吹武彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1975/07/16
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アナトール・フランス(伊吹武彦訳)『シルヴェストル・ボナールの罪』岩波文庫、1975年。
アナトール・フランスである。『神々は渇く』の衝撃から早くも半年以上が経過しているが、わたしは片時もこの作家のことを忘れはしなかった。だが、一般的に見れば、アナトール・フランスは確実に忘れられつつある。この本を含め絶版も多いとはいえ、日本の出版状況は、じつは稀有なほど恵まれたものなのだ。本国フランスでは、『神々は渇く』を含むごくごくわずかなペーパーバック版を除いて、もはや全集を買う以外に、この作家の業績に触れる術はないのである。ペトラルカの言葉を借りれば、「私には大きな悲しみであり、現代にとっては大きな恥辱、後世にたいしては大きな不正」である(『ルネサンス書簡集』153ページ)。以前、だれか翻訳者のエッセイかなにかだったと思うが、「アナトール・フランスの全集まで訳出されているような国は日本を除いてほかにない」というような文章を目にした記憶がある。そのころはまだこの作家の魅力に触れていなかったので、ただ日本の翻訳の充実ぶりを喜んだだけであった。いまとなっては、喜ぶどころでは済まない。
アナトール・フランスの経歴についていまさらくだくだと解説するつもりはないが、彼は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した作家である。そして、この時代の作家たちは、一般に文学史と呼ばれる恣意的きわまりない人名リストから姿を消しつつある。20世紀は、プルーストやジョイス、カミュやサルトルやベケット、さらにはシュルレアリスムからヌーヴォー・ロマン、ウリポに至るまで、これまでの小説を否定する文学を量産した時代であった。もちろん、わたしはなにも新奇なことを言ってやろうと息巻いているわけではない。こんなことは、たとえばバルトの『零度のエクリチュール』でも読めば、いくらでも語られている。ただ単に、20世紀の文学が新しいものを目指すという傾向を共有していた、というだけのことである。20世紀以前の小説はすでにフロベールによって完成されたと見なされ、もはやそれを焼き直す必要はない、と考えられるようになっていたのだ。そして作家たちは新しいものを目指すようになった。
前置きが長くなったが、アナトール・フランスの作品からは、この、新しいものを求める志向性、というものを感じないのだ。フロベールとプルーストのあいだにいる、というのは、なにも生没年にかぎったことではない。フロベールの焼き直しを避けなければならない、という20世紀的な暗黙の了解が、この作家に関しては共有されていないように感じられるのである。じっさい、『神々は渇く』を読みながら、わたしは何度『感情教育』に想いを馳せたことだろう。もっと古い例も含めれば、『赤と黒』と『感情教育』と『神々は渇く』は、点ではなく線で結ばれているように思えるのだ。線を断ち切って点であろうとするのが20世紀の文学なら、アナトール・フランスは、フロベールによって提示された「小説」のモデルを、真っ向から引き継ぐかたちで尊重・遵守しているように思えるのである(蛇足ながら付け加えると、ロジェ・グルニエが「沈黙」のなかで、「この私が書きたいのは、むしろ新しい『感情教育』なのである」と書いていたことは、20世紀後半という時代にフロベールになろうとすることの不可能性を端的に示しているように思える)。
どれだけ戯言を書き連ねればわたしの気は済むのだろう。わたしが言いたいのはただ、アナトール・フランスの作品には現代文学にはない気安さ、心地良さがある、というだけのことなのだ。すでに読んだことのあるような気がする物語が、すでに読んだことのあるような気がする文体で語られている。そして、それはわたしにとって、悪いことではぜんぜんないのである。ペソアの言葉を思いだす(今日のわたしは、じつにいろいろなことを思いだす)。「私は読書がきらいだ。見知らぬページは読む前から私を退屈させる。私は自分がすでに知っているものしか読むことができない」(『不穏の書、断章』37ページ)。アナトール・フランスを読むということには、すでに知っているものを読む喜びが含まれているのだ。
なんという長い前置きだろう。しかし、これでようやく『シルヴェストル・ボナールの罪』について書くことができる。まず書いておかなければならないのは、これはいわゆる長篇小説ではないということだ。短篇連作、というのともちがって、言うなれば「中篇連作」である。これは「薪」と「ジャンヌ・アレクサンドル」というまったく別の物語が、シルヴェストル・ボナールという同じ主人公の視点で描かれた作品なのだ。
第一部の「薪」は愛書家小説としても有名で、じっさい紀田順一郎編纂のアンソロジー『書物愛 海外編』でも、フロベールの「愛書狂」などと並んで収録されている。シルヴェストル・ボナールは学士院会員にして愛書家なのだ。そしてそのことが、この本がこのうえなく心愉しいものにしている。
「とうてい手にはいらず、見ることもできないものならば、私はなぜこの珍本の存在を知ったのであろう。もしあるとさえわかっていたら、焼けつくアフリカの奥地までも、極地の氷のなかまでも探しに行こうが、その行方は杳としてわからない。因業な蔵書狂が三重の錠前をかけ、鉄の戸棚にしまっているものやら、また無知蒙昧の徒の納屋のなかでいたずらにかびているものやら。もしや引きやぶられたその紙が、どこかの女房の作ったキュウリ漬の蓋になっているのではあるまいか、そう思うと身ぶるいがする」(18ページ)
「枝葉の茂ったぶどう棚にもたれ、星を仰ぎながら氷菓子を食っているあの男を見るがよい。私が苦労を重ねて探し求めているあの古い写本が落ちていても、あの男は身をかがめて拾おうともしないであろう。実際、人間というものは古文を調べるよりは、むしろ氷菓子を食うようにできているのである」(44~45ページ)
ストーリーについてはなにも語らないが、これは単純明快で、余計な脱線もほとんどない。脱線は個人的には大好きなのだが、アナトール・フランスがそれをしないからといって悲しむ理由はどこにもない。というのも、この作家の場合、余計な脱線かと思って読んでいたことが、あとになってさりげなくストーリーに回収されていくのである。「薪」は80ページほどしかない作品ではあるが、そういう意味ではきわめて長篇小説的な書かれ方をしている、と言えるのかもしれない。
「幾枚かの古い羊皮紙のために心の平静を失ったのは不思議なことのようであるが、しかも事これより真実なるはない。無欲な貧者は最大の宝を持っている。すなわち己れみずからを所有している。何物かを渇望してやまない富者は悲惨な奴隷にすぎぬ。私はその奴隷なのである」(23ページ)
「欲望というものは、いかに邪心のない欲望でも、われわれを他人の手にゆだね、屈従的地位に立たせるという短所を持っている。そう考えることはたまらない。がその考えはトゥームイエ法師の作を手に入れたいという望みを取り去ってはくれなかった」(72ページ)
主人公シルヴェストル・ボナールは、「薪」の冒頭では54歳である。そしてこれを書いた当時、アナトール・フランスは37歳であった。ボナールは結婚しておらず、老学究として書物に埋もれる日々を送っている。日常生活に関わるのは「婆や」のテレーズと猫のハミルカルのみ。アナトール・フランスは、未来における自身のあるべき姿を、この小説のなかで的確に予言していたのである。
「私は賢者の教えに従い、イン・アンゲルロ・クム・リベルロ(片隅に一書をたずさえて)冬を過ごした。そしていま古巣へ帰ったマラケー河岸のつばめどもは、去ったときとほとんど変らぬ私の姿を見出したのである。実人生に生きること少ないものは変ることもまた少ない。古い文書を読み暮らすことは、実人生を生きるとはほとんどいい得ないのである」(22~23ページ)
「私どもは永遠の子供です。私どもは絶えず新しいおもちゃを追っかけているのです」(30ページ)
猫のハミルカルの描かれ方は、最高、の一言に尽きる。以前、「雑記:クノーがつくる理想の叢書」のなかで、伊吹武彦の訳文は読みづらいのでおすすめしない、という趣旨のことを書いたが、いまではまったくちがう意見を持っている。謝罪しつつ撤回したい。この古くさい訳文でなければ、ハミルカルがここまで魅力を持つことはなかっただろう。この猫の姿は、まるで漱石が『吾輩は猫である』で描いたところの「吾輩」である。もう、最高。
「「ハミルカル!」と、私は足をのばしながらいったのである。「ハミルカル、本の都の眠りの王子、夜の守りよ。この老学究が僅かな蓄えを費して、せっせと集めた写本や刊本を、お前は卑しい鼠どもから防いでくれる。お前の武威に守られたこのしずかな書庫のなかで、ハミルカルよ、サルタンの妃のように蕩然と眠るがよい。お前は韃靼戦士のすさまじさと東の邦の女のけだるそうな風情をその身一つに備えている。雄々しく淫逸なハミルカルよ、眠るがよい。ボラン派碩学の『聖人伝』の前で鼠どもが月に浮かれ出す頃おいまで」
話の切り出しはハミルカルの御意にかなったと見え、湯沸しのたぎるような喉音を合の手に入れてくれたが、私の声が大きくなると、ハミルカルは耳をたれ、額の斑に皺をよせて、演説口調はおだやかならぬと私を戒めて、さて思うよう、
「この本の虫、ろくなことはいいおらぬ。それにひきかえうちの婆やどのは、飯ができたよとか、ぶんなぐるよとか、意味のある、含蓄のあることしかけっしていわぬ。婆やどののいうことは訳がわかるが、じいさんときては意味もない音を集めるだけだわい」」(5~6ページ)
「私といえども人なみに美を感じたことはある。私といえども不可解な自然があまねく生けるものの上に与えた神秘な魅力を感得したことはある。恋人をつくり詩人をつくるかのおののきを、生ある土偶が私に与えたことはある。しかも私は愛し得ず歌い得なかった。古文、古証文のがらくたが一杯つまった私の心のなかに、私はちょうど納屋のなかに美しい密画を見出すように、青い目の明るい面影を見出すのである……おいボナール、年がいもないぞ。それよりは、けさフィレンツェの本屋が送ってよこしたこの目録を読むがよい。これは写本目録だ。イタリアやシチリアの好事家たちが所蔵する何か大ものが載っていそうだ。これこそお前にふさわしい、顔に似合いの仕事なのだ!
私は一読してあっと叫んだ。年とともにこわいほど落ち着いてきたハミルカルは、とがめるように私をにらみ、自分同様、老境にある主人公のそばにいて、閑寂の気を養い得ないとあらば、閑寂果たして世にありや、と私に詰問するかのようである」(35ページ)
また、「婆や」ことテレーズの人格も、プルーストが描いた女中フランソワーズとすこしばかり重なって見える。アナトール・フランスとプルーストの距離を考えると、アナトール・フランスがなんらかのかたちで影響を与えていたことはまちがいない。
「「旦那様、旦那様、血相変えてどこへお出かけでございます」びっくりしたテレーズが私の帽子をひっさげ、あとを追って、階段を飛ぶように降りながら叫んでいる。
「郵便を出しに行くのだよ、テレーズ」
「途方もない! そんな、帽子もかぶらずに、気違いのように飛び出す法がございましょうか」
「テレーズ、わしは気違いだよ。気違いでないものが世の中にあるか。早く帽子を渡してくれ」
「それから手袋! こうもり傘!」
階段の下まで来てもまだテレーズのわめく嘆きの声が聞こえていた」(37ページ)
アナトール・フランスを読んでいると、ストーリーが小説作品の魅力を左右するわけではない、という、言わば当たり前のことに思いあたる。シェイクスピアやウッドハウス、はたまたレイモンド・チャンドラーについて語るときによく言っていることだが、ストーリーはもうほんとうになんだっていいのだ。これらの作家たちに、言葉を発する機会を与えてくれさえすればいい。たったそれだけのことでわたしの喜びは確約される。彼らの才覚が最大限に発揮されるかぎりは、言ってしまえば、小説である必要すらないのだ。
「みすみす不仕合わせな子を生むのは、なるほど道理にそむいている。しかしテレーズ、そんなことは毎日行なわれているのだ。世界中の哲学者が集まっても、この愚かな習わしを矯め直すわけにいくまい。ココズのおかみは、その習わしに従った。そして歌をうたっている。それでよいではないか」(14ページ)
「私の見た美しいものは、はっきり頭に残っているのであるから、わざわざ描写することは徒労であると考える。ノートばかりとって、せっかくの旅情を台なしにする要がどこにあろう。ほんとうに愛しあっている恋人は身の幸福を筆にはしない」(49~50ページ)
だが、それでもわたしは、アナトール・フランスが小説家であったことを喜ばしく思わずにはいられない。「薪」のストーリーはとてもシンプルだが、それでいてひどく美しいのだ。
「あの二人は金持だ。金持が退屈を世界中ひきずり回しているのだ。金持は憐れむべきものだ。財宝はそのまわりを取り巻くばかりでしみ込んではこない。金持は心の内側では貧しく物にとぼしい。金持の貧しさは痛ましい」(47ページ)
「トレポフ夫人はごく単純な、原始状態に近い佳人である。夫人の考えは猫の思案程度である。夫人には思索人の心を揺り動かす高尚な好奇心はみじんも見つからない。しかも夫人は夫人なりに一つの深刻な思想をいい表わしたのである。《人間屈託があれば屈託しない》。したがって夫人はこの世では不安懊悩が最も確実な気晴らしであることを知っているのだ。偉大な真理は苦しまず労せずしては発見することができない。トレポフ公夫人はそもそもどんな苦しみによってあの真理を獲得したのであろう」(58ページ)
わたしが愛書家小説のアンソロジーを編むとしても、やはりこの作品を外すわけにはいかないと考えるだろう。
さて、第二部の「ジャンヌ・アレクサンドル」に入ると、シルヴェストル・ボナールは67歳になっている。物語は新たな幕を上げているが、彼自身はなにも変わっていない。
「古本屋が手すりの上に古本の箱をおく。上っ張りを風になびかせ、いつも家のそとに暮らしているこの善良な精神のあきんどたちは、雨露風雪にきたえられて、ついには大寺院の古い石像そっくりになってしまう。これはみんな私の知合いである。私はこの人たちの箱の前を通るごとに、ないとは夢にも知らなかったのにしかも今まで蔵書にはなかった古本をたいてい何かしら抜いてくる」(161ページ)
「家へ帰ると婆やが怒鳴りだす。ポケットというポケットを破ってしまい、鼠を引きよせるような反故紙を家じゅう一杯にするといっては怒るのである。この点テレーズの考えは賢明である。賢明であるからこそ私は聞かないのだ。悠々たる顔をしてはいるが、私は昔から無関心の賢明さよりはむしろ熱情の狂気を選んできた。しかし私の熱情は、爆発し焼尽し殺戮するような種類のものではないから、俗人の目には見えないのである。ところが情熱はやはり私を悩ましている。世に忘られた一僧侶の筆になる数ページ、ペーター・シェーファーの名もない徒弟が刷りあげた数ページのために眠られぬ夜が幾夜かあった。もしこのうるわしい熱情が私のなかに消えて行けば、それは私自身が次第に消えて行くことになる。われわれの情熱はわれわれ自身である。私の本は私である。私は古本のように老いしなびている」(161~162ページ)
主人公がまるで変わっていないので、第二部に入っても、これは相変わらず愛書家小説である。わずかばかりの金銭をつくろうと、自宅の蔵書を整理するシーンではげらげら笑った。
「三十年来あれほど役立ってくれたこの大きな本に対しては、忠僕に対する当然の心づかいも払わずに別れることができようか。また健全な教えによって私を力づけてくれたこの本には、恩師に向かってするように、最後の敬意を払うべきではなかろうか。しかし私を誤謬に陥らせた本、年代の間違いや書き落としや嘘など考古学者を毒する疫病をもって私を悩ました本に出会うごとに、私は辛辣な喜びをもっていってやる。――行け、欺瞞者よ、裏切者よ、偽証者よ、去れ、ヴァーデ・レトロ(サタンよ、退け)、まんまとせしめた名声や美しいモロッコ革の装いの功徳によって、不当にも身に錦繍をまとい、本好きな株屋の本棚にでもはいるがよい。しかし私をまどわせたようなぐあいには、その人をまどわすことはできぬ。その人はけっしてお前を読みはしないのだ」(259ページ)
ついでに言うとシルヴェストル・ボナールは、売るためにまとめた書物群を眺めながら、やはりこれを手放すわけにはいかない、と、一冊また一冊と書棚に戻していくのである。わかる、わかるよ! と大声で叫ばずにはいられない。
「私はただ茫然としている。古文三十巻を翻刻し、二十六年間『学界新報』に寄稿した老翁であれば、茫然とするくらいのことは許されるであろう。私は力のかぎりおのれの職務を果たし、天与の凡才を十二分に働かせたことを満足に思っている」(114~115ページ)
「「たくさんのご本でございますね。ボナール先生、先生はこれをみんなお読みになったのでございますか」
「悲しいことにみんな読みました。だからこそ何にも知らないのです。何しろどの本もほかの本と矛盾しないものは一冊もない、したがってみんなを知ればどう考えてよいかわからなくなる。私はそんな状態にいるのです」」(185ページ)
だが、第一部と異なる点もある。われらの愛すべきハミルカルは姿を消しているのである。第一部から5年が経っているから、鬼籍に入っていると考えるべきなのだろうが、それにしても彼の死についてはなにも語られていないのだ。というか、彼が姿を消しているということさえ、物語の終盤になって初めて知らされる事実なのである。
「ではジャンヌ、もしよかったら、お前の大事な猫をハンニバルと呼ぶことにしよう。この名前が打ってつけだということは、すぐにはわかるまい。しかしこれの前に本の都にいたアンゴラ猫は、賢い、つつしみ深いやつだったので、私はいつもそれを相手に打明け話をしたものだが、そのアンゴラがハミルカルという名前だった。そこで、この名からいまの名が生まれ、ハンニバルがハミルカルの跡をつぐのは当然だろう」(249~250ページ)
言うまでもなく、カルタゴの将軍ハンニバルはハミルカルの息子である。フロベールの『サランボー』が読みたくなる一節だ。
印象的な文章はいくらでもある。老境に至り、シルヴェストル・ボナールが自然への感動を深めていることは興味深い。
「コーヒーは築山の上で飲んだ。そこの手すりの小さな柱は頑丈なつたにからまれ、石の欄干からもぎ取られて、まるで人さらいの馬人(ケンタウロス)に抱かれたテッサリアの女のようにしどけない姿でみだらな草に巻き取られている」(91~92ページ)
「この様を見ると、隣室におさめてあるオノレ・ド・ガブリー氏の豊富な蔵書がこんなに長いあいだ雨露にさらされてきたのだと考えて心もとなくなった。しかし客間に生えたこの栗の若木を眺めると、すばらしい自然の力、あらゆる萌芽を生育させる不可抗力に感嘆せざるを得なかった。それにひきかえ、われわれ学者が死物を保存するために払う懸命の努力が苦しい徒労であることに思い至っては憮然たるものがある。生きることを終わったあらゆるものは新生命の欠くべからざる糧である。パルミーラ殿堂の大理石で小屋を営むアラビア人はロンドンやパリやミュンヘンの博物館長よりも悟っているのだ」(92ページ)
ここで思いだしたのは、ゲーテの言葉だ。「無限に豊富なのは自然だけだ。自然だけが大芸術家を作り上げるんだ」(『若きウェルテルの悩み』18ページ)。アナトール・フランスは、別の箇所でゲーテの名前も挙げている。
「ゲーテの思想に従ってついに死を肯んじた高齢の一同僚を、この日マルヌ墓地まで送って行った。じっさい大ゲーテは生命力が世の常ならず旺盛な人で、人間は死のうと思ったときでなければ死なない、すなわち最後の崩壊に抵抗するエネルギー、全体が生命そのものを形成しているすべてのエネルギーが潰滅されたときでなければ死ぬものでないと信じていた。言葉をかえていえば、人間はこれ以上生きられなくなったとき初めて死ぬのだとゲーテは考えていたのである。正にしかり、わかれば実に何でもない。かの壮麗なゲーテの思想も、煎じつめれば結局はラパリスの歌もどきに、《あいつは死ぬまで生きていた》ということになるのである」(158ページ)
「「さようなら」と花や蜂にいった。「さようなら。何とかして、お前たちの調和の秘密が探れるまで生き長らえていたいものだ。私は疲れ切っている。しかし人間というものは一つの仕事の疲れをまた別の仕事でしか癒せないようにできているのだ。もし神様のおぼしめしによって、文献学や古文書学研究の疲れを休めてくれるものがあるとしたらそれは花と昆虫だ。アンタイオスの神話は実に意味が深い。私は大地に触れて生まれ変ったのだ。齢六十八に達したいま、古い柳の木のうつろの幹から新芽が出るように、新しい好奇心が私の魂に芽生えたのだ」」(160ページ)
とはいえ、名前が挙がるだけの作家・作品名ならば、ほかにもいくらでもある(なにせ主人公は愛書家である)。個人的には以下の二節が忘れがたい。
「私たちはみんな心のなかにドン・キホーテとサンチョ・パンサを持っていて、その言葉に耳をかたむける。たといサンチョに説き伏せられることがあっても、ドン・キホーテをこそ私たちは礼讃しなければならぬ」(122ページ)
「私たちは互に好意を持って別れた。私は望んでいたことがかなえられたから先方に好意を持ち、先方はこれという理由もなく私に好意を持ったのである。理由もなく好意を持つということは、プラトンによれば、プレフェール女史を霊魂の段階中、最高の地位につけることになる」(183ページ)
アナトール・フランスの人びとの描き方には、ほんとうに感動する。一人称の手記という性格を十分に利用して、とんでもなく主観的に他者を描いているのだ。それらの人物が主人公にとってどのような位置づけになっているのかは、選ばれた言葉を眺めるだけで事足りる。わたしたち読者はシルヴェストル・ボナールの眼を通じて人びとを見るため、登場した瞬間にすでに彼らを嫌いはじめていることさえあるのだ。三人称で書かれた『神々は渇く』を読み返したくなった。
「レッセーさんは、悲しいかな、人類の幸福ということに没頭したのです。奥さん、万人の幸福を考えた人間は、周囲の人をはなはだ不幸にしたということは一考の価値がありますね。レッセーさんは当時旧派のなかにはざらにあったヴォルテールばりの王党でした。ダランベールをしのぐ幾何学者、ルソーをしのぐ哲学者、ルイ十八世をしのぐ王党であったのです」(131~132ページ)
「私は事務所でジャンヌの後見人ムーシュ氏に会った。小柄でやせて干からびた氏の顔色は、さながら書類の塵を塗りこめたごとくである。これはめがねざるの一種である。眼鏡のない氏はとうてい想像することができない。私はムーシュ氏の声を聞いた。がらがらを振ったようなかん高い声である。言葉を選択して物をいうが、いっそのこと選択してもらわない方がよいらしい。私はムーシュ氏を観察した。仰々しい。そして眼鏡の奥から横目で人をうかがっている」(145ページ)
「「ご壮健でいらっしゃいますか」
微笑を含んでこう問いかけたのは、こっそりはいって来たプレフェール女史である。私が最初に思ったことは、きりきり消えてなくなれということ。次に思ったことは女史の口が微笑に適せぬことあたかも鍋にはバイオリンがひけぬにひとしいということ。第三には、女史に礼を返して、お達者ですかと挨拶することであった」(182ページ)
ところで、この「ジャンヌ・アレクサンドル」は「薪」よりも100ページほど分量が多く、そのストーリーの起伏や登場人物の数も、第一部とは比較にならない。アナトール・フランスはここに、あらゆる意見を詰めこんでいる。そのほとんどが脱線のように見えて、やはり最終的にはひとつの結末に向かって収斂されていくのだ。
「「人間がこの世にいるのはね」と私は勢いこんで、「それは美しいもの、善いものを楽しむためです。思う存分自分の意志を通すためです、意志が高尚で精神的で品格さえあれば。意志をきたえないような教育は魂を腐らせる教育です。教師は意志教育をしなければなりません」」(172ページ)
「人間、遊んでいてこそ物はおぼえるのです。教育の術は若い者の心に好奇心を呼びさまし、それからその好奇心を満たしてやる術にほかなりません。ところが好奇心が強く健全であるのは、幸福な人間の心に限ります。むりに頭へ詰めこんだ知識は、頭の働きをふさぎ窒息させてしまいます。知識を消化するためには、うまいと思って食べねばならぬ。私はジャンヌを知っています。もしもあの子が私の手に委されたら、私はあの子の幸福を願っているのであの子を学者にはしませんが、知恵や活気にかがやくような、自然や人工の美がことごとく柔かな光を放って反射してくるような子に仕込みましょう」(173~174ページ)
また、物語の途中で、ある青年が繰り広げる「歴史」についての話も、無関心ではいられなかった。『神々は渇く』のときもそうであったように、アナトール・フランスの歴史意識は非常に高い。ランケの実証主義史学がフランスに輸入されたのはいつごろのことなのだろう。
「まず第一に歴史とは何でしょう。それは文字による過去の事件の再現です。ところで事件とは何でしょうか。単なる事実でしょうか。いやそうではない、事件とは注意すべき事実のことだと先生もおっしゃるでしょう。ところが歴史家というものは一つの事実が注意すべきものであるか否かをどうして判断するのでしょうか。歴史家は、めいめいの趣味気まぐれに従って、めいめいの思いつきによって、つまり芸術家として勝手な判断を下すのです。事実というものはその本来の性質からは、歴史的事実と非歴史的事実に分れるものではないからです。そのうえ、事実とは複雑極まるものです。歴史家は事実の複雑さをそのままに再現するのでしょうか。いいえそれは不可能です。歴史家はそれを構成している特殊なものを大部分除き去ったあとの事実、したがって胴や手足をもぎ取られた、実際とは違った事実を再現することになります。事実と事実の間の関係については申しますまい。いわゆる歴史的な一つの事実が、一つ、ないしは多くの非歴史的な、したがって知られていない事実によって導かれるということはあり得ることですが、もしそういう場合には、歴史家にとって、それら事実の間の関係を明らかにする方法がいったいあるのでしょうか。ところでボナール先生、私がいま申し上げましたことは、歴史家が確実な証拠を目の前に置いていると仮定しての話ですが、実際には、歴史家がある証拠を信用するのはただ感情的な理由からにすぎません。歴史というものは科学ではなく芸術です。空想力によってはじめて成就するものです」(253~254ページ)
「どんな芸術でも、芸術家は自分の魂をしか描かないものです。その作品は、そとの衣裳はどうあろうと精神の上で作者と同じ時代のものです。われわれは『神曲』のなかでダンテの偉大な魂をおいて何に感嘆するのでしょう。またミケランジェロの大理石像は、ミケランジェロその人以外にどういう桁ちがいなものを表現しているのでしょうか。芸術家たる以上は作品におのれの生命を打ち込まねばなりません。さもなければ木偶を作り、人形に衣裳でも着せているがいいのです」(255~256ページ)
自身が晩年を過ごしていることを強く意識しはじめたシルヴェストル・ボナールは、人生の意味について考察を重ねる。アナトール・フランスは37歳にして、70歳を目前にした老人の心境を描いているのだ。
「シルヴェストル・ボナールさん、あなたはくだらない偽学者です。かねてそうだろうとは思っていたのですが、ズボンの前からシャツの先をのぞかせて道をうろついているどんな小さい子どもでも、やれ学士院やれ学会の、眼鏡をかけた方がたよりは私のことに明るいのです。知識はそらごと、空想こそはすべてです。空想したもののほか何もありはしないのです。私は空想が生んだもの。それこそあるということではありませんか。人が私の夢を見る、すると私は姿を現わします。すべてはただ夢ばかりです。ところがシルヴェストル・ボナールさん、誰もあなたの夢なぞ見る者はないのですから、あなたこそこの世にありはしないのですよ」(101~102ページ)
「人類はほとんど全部、死者をもって成るといってもよいほどに、生者の数は死者のおびただしさにくらべては取るに足らぬ。そもそも人生とは何であろう。人間のはかない記憶よりも、もっとはかないこの人生とは」(111~112ページ)
これに関しては、「訳者あとがき」に書かれたことを引用しておきたい。すなわち、「『シルヴェストル・ボナールの罪』を書いた37歳のアナトール・フランスは、そのとき、すでに老成していた」(297ページ)。
「そのとき私の感じたものは、美しい楽の音にでもよらなければ表現し得ないある深遠かつ縹渺たるものであった。私は年老いた私の魂のなかに、天来美妙の楽の音を聞いた。葬送歌の厳粛な曲調のなかに愛の歌のかすかなしらべが混っている。それは私の魂が悲しい今の厳粛さとなつかしい昔のあでやかさとを、同じ一つの思いに溶かしていたからである」(124ページ)
「悲しいかな、私の年になると、人生がどんなにけがれたものか、長生きして何を失うかがわかりすぎるほどわかってくる。そこで信頼のおけるのはただ青春だけということになる」(184ページ)
幸いなことに、白水社から刊行されている『アナトール・フランス小説集』は、いまでもほとんどが手に入る。これがどんなに稀有で、かつ喜ばしい状況であるかは、すでに冒頭で長々と述べたとおりだ。
「どんなに望んでいた変化でも、変化にはすべてそのうちにさびしさがある。われわれの捨てて行くものはわれわれの一部分なのだ。新しい生活にはいるためには、古い生活に対して死ななければならぬ」(261ページ)
「おじさん、私ほんとうにうれしいの、でも何だか泣きたくて」(261ページ)
アナトール・フランスのような作家と出会えたことを心から嬉しく思う。しかも、まだまだ読んだことのない作品のほうが多いのだ。こんなに嬉しいことはない。時間をかけて、じっくりと味わっていきたいと思う。
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ウォルター・スコット『パースの美女』
The Fair Maid of Perth or St. Valentine's Day
- 作者: Walter, Sir Scott
- 出版社/メーカー: Createspace
- 発売日: 2012/09/20
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