Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

新・百人一首

 すこしあいだが空いてしまったものの、相変わらず短歌に関連した本ばかり読みつづけている。なにも知らない分野なぶん、インプットが非常に多いわりには、得たものをろくに吟味・反芻できていない気がしていて、じつは『現代秀歌』の記事を書いている最中に思いついた、掲載短歌をノートに筆写する、というのを実行していたのだ。いろいろな歌人のたくさんの歌が紹介されている本を読むときには、こうでもしないとどんどん記憶が混乱していってしまう。ノート一ページにつき歌人一人というルールを設けて、出会った瞬間に感じた好き嫌いはいっそ度外視し(いつか魅力がわかるようになるかもしれないので)、『現代秀歌』に掲載されていた百人の歌人の短歌はすべて筆写した。そうすると、『現代秀歌』の場合は歌人一人につきだいたい三首くらいしか紹介されていないので、ノートは下半分以上がまっしろなページが延々と続くことになる。そこで、別のアンソロジーの出番である。選者が異なる別のアンソロジーを読めば、同じ歌人でもべつの歌が「代表作」あるいは「秀歌」として掲載されている可能性があるのだ。筆写二冊目にはうってつけの本が、手もとにはあった。

岡井隆・馬場あき子・永田和宏穂村弘『新・百人一首  近現代短歌ベスト100』文春新書、2013年。


 これは正直言って、筆写以外にはちょっと楽しみ方が思いつかないような体裁をした本である。タイトルのとおり、近現代の歌人の作品で新たな百人一首を編もうという趣旨の本なのだが、複数の選者が意見を闘わせる場、いちばんおもしろいはずの選考座談会は、巻末にわずか40ページほどの紙幅が割かれているのみで、本の大半は、選考結果としての歌人とその代表作一首、そこに各選者によるごくごく短い、ちょっと短すぎる「解説」、加えて「さらに読みたい――秀歌二首」が、こちらは解説なしで寄せられているのだ。一冊の本としては、あまり労力をかけずに刊行された感が否めない。

 たぶん、だけれども、四人ともが自分のお気に入りの一首を差し置いて、一般的に有名な、人口に膾炙した一首を挙げようとしているため、掲載歌数が多いわりには、四人もいる選者の個性がぜんぜん活きていないような気がしてしまう。もちろん、そもそもの企画からして、選者の個性云々よりも、『現代秀歌』での永田和宏の言葉を借りれば「積集合」としての代表作一首を集めようとした試みなのだろうけれど、もっと偏った内容のものでも歓迎したのに、という思いが捨てきれない。こちらは小説だが、同じ文芸春秋からは、丸谷才一鹿島茂三浦雅士の三人の選者による『文学全集を立ちあげる』という名著、ページのほとんどが選考の議論にあてられた、選者たちの偏見まみれのすばらしい本が刊行されているので、同じものを目指せばよかったのに、と、どうしても思ってしまう。そもそも藤原定家が決めた小倉百人一首からして、一人の歌人につき一首、という発想に無理があるのだ。その不可能性を逆手にとって、不真面目極まりないようなラインナップを構築すれば、いろいろな歌人の意外な一面に光を当てられたかもしれないのに、と思う。

 とまあ、書いてはみたものの、実際にそれをやろうとするには、この四人の選者にはちょっと距離がありすぎるのかもしれない、とも思う。岡井隆と馬場あき子が並んでいる時点で、穂村弘が自由に発言できる雰囲気はない。昭和一桁台生まれの、生きる伝説とも言える二人の前では、たった一人で『近代秀歌』および『現代秀歌』を書ける永田和宏さえ、若者である。もちろん、この二人が権威でもってほかの二人を威圧しているというわけではないのだが、どんなに「好き勝手にやろうぜ!」という雰囲気があっても、実際には難しいものだろう。

「三氏とわたしは、これまでも長い間、さまざまな歌壇の行事や企画を一しょにやって来て、互いの考え方がよくわかっているし、馬場さんとわたしはいわゆる昭和一桁生まれ、戦中のことも知っており戦後の第二芸術論(短歌滅亡論)以来の短歌史の中で作歌して来ている。永田氏は戦後生まれの歌人であり、いわゆる前衛短歌運動の影響をうけた世代の代表的な歌人だし、穂村氏は、更に若く、90年代の現代短歌のニュー・ウェーヴの代表で、その後の若い世代の歌人に大きな影響を与えた。こうして世代や時代をすこしずつ異にする四人が協同して、明治以来の秀歌を選ぶということになると、おもしろい結果になるかもしれないと思われたのである」(岡井隆「はじめに」より、7~8ページ)

 選考にあたっては、まず永田和宏穂村弘が百人をリストアップし、秀歌選出のために二十五人ずつの担当歌人を割り振ったという。百人の割合は、岡井隆の「はじめに」では近代と現代で五十人ずつ、と書かれてはいるが、実際には巻末の座談会にあるとおり、3対7の割合になったようだ。また、この百人だが、プロの歌人が選べば「95パーセントは一致する」という。それってちょっとすごいことだと思う。

百人一首とは、百人の歌人の、おのおのを代表する秀歌を、一人の選者が選ぶというところに特徴がある。わたしたちの場合は、それにならっていえば四人の選者の協同作業による「二十五人一首」のあつまりとしての「百人一首」である。つまり、百首は違った観点から選ばれたものの集まりであり、一人の選者の独断(それも「百人一首」のおもしろさだが)ではないところに、多彩さがあるともいえよう」(岡井隆「はじめに」より、9ページ)

「考えてみれば、百という数字も、一という歌数も、かなり恣意的で、一種のゲーム性をもっているといえる。百人のすぐ隣には、百一人目の歌人複数立っているだろう。その一首のそばには、それに替りうるいくつかのその歌人の秀歌があるだろう」(岡井隆「はじめに」より、9ページ)

 ページ割りについてさらに言うと、見開き二ページにつき一人の歌人、右側のページには歌人の名前、簡単なプロフィール、そして選ばれた一首が載っており、左側のページには先述した「解説」と「さらに読みたい――秀歌二首」がある。気になるのが右側のページの選ばれし一首なのだが、字を大きくしようとしたあまり、一首の行が分かれてしまっているのだ。石川啄木の歌のように、もともと三行になっているものを除いて、これにはひどい違和感を覚える。ほかにいくらでもやりようがあるはずの余白だらけのページに、大きな文字で歌が分断されているのを見ると、編集者はいったいなにをやっていたんだ、と心底思う。この本の編集には、ちょっと文句が尽きない。

 だが、その内容については、もちろん文句ばかりではない。思えば永田和宏の『現代秀歌』は、現代歌人のみで百人一首を編もうという試みでもあったため、70人にまで現代歌人枠の減った『新・百人一首』では、『現代秀歌』に載っていない歌人など出てきそうにもないが、けっしてそんなことはないのである。たとえば河野愛子(こうのあいこ、1922-1989)という歌人は、『現代秀歌』には登場してこなかった。

  ベッドの上にひとときパラソルを拡げつつ癒ゆる日あれな唯一人の為め  河野愛子(116ページ)

  肉叢は死にはんなりとひつそりと水のくちびるを受けやしぬらむ  河野愛子(117ページ)

 また、じつは『近代秀歌』のほうの筆写も先日完了したのだが、永田和宏の「秀歌」シリーズどちらにも登場してこなかった歌人もいる。吉野秀雄である。この歌人の場合は、生没年だけを見ても近代と現代のちょうど中間に立っているため、どちらで紹介するのが適当かを決めかねたまま漏れてしまったのだろうと推測される。

  真命の極みに堪へてししむらを敢てゆだねしわぎも子あはれ  吉野秀雄(78ページ)

  これやこの一期のいのち炎(ほむら)立ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹  吉野秀雄(79ページ)

 いま気づいたのだけれど、どちらの歌人も「肉叢(ししむら)」というエロティックな言葉を使っている! まさか、永田和宏は肉叢という言葉が嫌いなのだろうか。いや、そんなわけはあるはずがないが、やはり永田和宏の著書だけを頼りにしていては、こんなふうに漏れてしまう歌人も必ずいる、ということは、肝に銘じておかなくては、と思った。吉野秀雄の歌については、巻末の座談会でも触れられていて、ちょっと忘れがたい。

馬場 毎年鎌倉で艸心忌(そうしんき)が営まれている吉野秀雄は、ちょうどその過渡期に活躍した歌人の一人です。二つに絞って〈真命の極みに堪へてししむらを敢てゆだねしわぎも子あはれ〉を選びました。もう一首は〈これやこの一期のいのち炎立ちせよと迫りし吾妹よ吾妹〉です。
 岡井 どちらも一人目の奥さんを亡くしたときの歌だね。
 馬場 「せよと迫りし吾妹よ吾妹」という下の句は凄すぎて。
 穂村 これは同衾するという意味なんですよね。
  死の迫った奥さんが。すごい歌ですね、どちらも。
 岡井 今は虚栄の時代だから、こうした性とか排泄とか直接的な表現はどんどん減っているし、一般に嫌がられますね。カルチャーセンターなどで紹介すると、特に中高年の女性方から「先生、なんでそんな話するんですか」と一斉にブーイングです。
  岡井先生のおっしゃり方に問題があるのかも(笑)。
 岡井 でも、この歌などはむしろ実に品のいい歌ですよ。
 穂村 僕もそう思います。こんなふうにうまく表現できない」(座談会より、233~244ページ)

 また、ほかの選者が担当したのならまだしも、同じ永田和宏が担当しているというのに、選出されている歌が『現代秀歌』とはぜんぜん違うという歌人複数いて、興味をそそられた。宮柊二、浜田到、今野寿美、渡辺松男など。思えば『現代秀歌』では章ごとに「青春」「日常」「旅」などといったテーマが決められていたので、永田和宏もきっとテーマに則した歌しか紹介していなかったのだろう。

  一本の蠟燃しつつ妻も吾(あ)も暗き泉を聴くごとくゐる  宮柊二(92ページ)

  昨夜(よべ)ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚きし妻は何者  宮柊二(93ページ)

  百粒の黒蟻をたたく雨を見ぬ暴力がまだうつくしかりし日に  浜田到(107ページ)

 また、異なる歌によって『現代秀歌』とはぜんぜん違った顔を見せてくれた歌人、というのは、いくらでもいる。気に入った歌は多すぎるほどに多いが、選者が異なるとこうまでも選択が変わってくるのか、とおもしろく思った。

  紅梅にみぞれ雪降りてゐたりしが苑のなか丹頂の鶴にも降れる  前川佐美雄(81ページ)

  われの一生(ひとよ)に殺(せつ)なく盗(とう)なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は  坪野哲久(83ページ)

  乗りこえて君らが理解し行くものを吾は苦しむ民衆の一語  近藤芳美(95ページ)

  小さくなりし一つ乳房に触れにけり命終りてなほあたたかし  清水房雄(103ページ)

  よろこびに会うと桜の花の下坐りて居ればよろこびよ来よ  武川忠一(109ページ)

  二万発の核弾頭を積む星のゆふかがやきの中のかなかな  竹山広(110ページ)

  馬は睡りて亡命希ふことなきか夏さりわがたましひ滂沱たり  塚本邦雄(113ページ)

  紫の葡萄を搬ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく  安永蕗子(114ページ)

  灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ  中城ふみ子(119ページ)

  俺は柿生霊園に入る谷中墓地に他流試合のつもりできたる  岩田正(123ページ)

 岩田正、もうおもしろすぎる。『現代秀歌』で知ったのと合わせて考えてみても、このひとの歌は気に入らなかったものがひとつもない。竹山広も、長崎での被爆体験を数々詠ってきた歌人が、こんな歌も残していた、という観点に立ってみると、ずいぶんちがった響きを持つだろう。予備知識なしで向き合っても、いい歌であることはまちがいないけれど。

  手に重き埴輪の馬の耳ひとつ片耳の馬はいづくにをらむ  大西民子(125ページ)

  夕かぜのさむきひびきにおもふかな伊万里の皿の藍いろの人  玉城徹(129ページ)

  とどろきて風過ぎしかば一呼吸おきてさくらのゆるやかに散る  尾崎左永子(137ページ)

  歌は愁ひの器にあらず武器にあらずさくら咲き自づからことばみちくる  尾崎左永子(137ページ)

  帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず  皇后美智子(146ページ)

  言の葉となりて我よりいでざりしあまたの思ひ今いとほしむ  皇后美智子(147ページ)

  つくづくと人に塗れて日々ありと年初にあはれ顧みるのみ  秋葉四郎(152ページ)

  究極の平和と謂はめオリンピツクの勝者のなみだ敗者の涙  秋葉四郎(153ページ)

  泣くおまえ抱けば髪に降る雪のこんこんとわが腕(かいな)に眠れ  佐佐木幸綱(158ページ)

  サキサキとセロリ嚙みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず  佐佐木幸綱(159ページ)

 皇后美智子の御製については、正直、文春だし、こういう機会だから入れざるを得ないのかなあ、という邪推が働いたりもしたのだが、見てみると単純に歌としてすばらしい。歌人名が伏せてあっても、だれもが秀歌だと認めることだろう。佐佐木幸綱については、このひとの恰好良さはいったいなんなのだ、と思う。もはや北方健三に近い、ハードボイルドぶりである。強い男(をのこ)であろうとしながらもすこし弱さも見え隠れしていた与謝野鉄幹より、よほど力強い。俵万智の師匠として有名だが、『サラダ記念日』に詠われていた強く身勝手な男たちは、この師匠の姿あってのものだったのでは、と思わずにはいられない。

  動物園に行くたび思い深まれる鶴は怒りているにあらずや  伊藤一彦(166ページ)

  生きがたき青春過ぎて死にがたき壮年にあふ月光痛し  伊藤一彦(167ページ)

  年々のさみしさおのれのありようのほしいままにて凡庸である  大島史洋(170ページ)

  ひとり識る春のさきぶれ鋼(はがね)よりあかるくさむく降る杉の雨  三枝昂之(175ページ)

  真に偉大であった者なく三月の花西行を忘れつつ咲く  三枝昂之(175ページ)

  雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ  小池光(181ページ)

  産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか  阿木津英(186ページ)

  唇をよせて言葉を放てどもわたしとあなたはわたしとあなた  阿木津英(187ページ)

  おお、おお、上等じやないのと言ひかへし机たたけば机は硬い  島田修三(189ページ)

  滝の匂いは滝の裸体より発す 処女でなきことわれは悔やめり  松平盟子(197ページ)

 まず、阿木津英が怖い。この女の人は、男のわたしにはほんとうに恐ろしく映る。なにせ『現代秀歌』で採られていたのは〈夫婦は同居すべしまぐわいなすべしといずれの莫迦が掟てたりけむ〉である。ひい、すみません、と思わず謝罪しそうになる。でもその論理の確かさ、みなぎる意思には、強く惹かれる。島田修三がとてもユーモラスなのも見逃せない。この一首からは、レーモン・クノー『皆いつも女に甘すぎる』の一文を思い出した。

「彼は叩いた、再び叩いた、再び再び叩いた、再び再び再び叩いた、机の敷物の上を、そしてしたがって(間接的に)机を」(クノー「皆いつも女に甘すぎる」『サリー・マーラ全集』、312ページ)

 ほかにも、まだある。

  水族館(アカリウム)にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器  坂井修一(202ページ)

  われらかつて魚(うを)なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる  水原紫苑(205ページ)

  もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに  加藤治郎(206ページ)

  名を呼ばれしもののごとくにやはらかく朴の大樹も星も動きぬ  米川千嘉子(208ページ)

 水原紫苑がぶっとんでいるのはいつものことだが、坂井修一や加藤治郎は、『現代秀歌』で見たときにはぜんぜん魅力的には映らなかったので、急に興味を持った。米川千嘉子も、『現代秀歌』では父への挽歌しか紹介されていなかったので、印象がずいぶん異なる。この一首に寄せられた穂村弘の「解説」も魅力的だった。

「「名を呼ばれしもののごとくに」という詩句は忘れがたい。眼前の景に対して咄嗟に口を衝いて出たかのような生命的な表現であり、譬喩とか擬人化とかの技法レベルを超えている。樹も星も動物も虫も花も人も、この世界の全ての命が息づくように「やはらかく」響き合っている」(穂村弘「解説」、209ページ)

 ちなみに、穂村弘の短い「解説」には、ほかにもすばらしいものがいくつもある。とりわけ忘れがたいのが、明石海人と水原紫苑の一首に寄せたもの。明石海人のものに関しては、普段のほむほむの印象とは異なり、ずいぶん熱っぽい。これにはちょっと感動してしまった。

  この空にいかなる太陽のかがやかばわが眼にひらく花々ならむ  明石海人(76ページ)

「背景にはハンセン病からくる絶望がある。現世の空に輝く「太陽」では、病によって視力を失った「わが眼」に希望の「花々」を見せることはできない。詩歌における象徴表現の実現という夢こそが、最期の「太陽」だったのかもしれない。「花々」は彼自身の言葉の中に開いた」(穂村弘「解説」、77ページ)

  まつぶさに眺めてかなし月こそは全き裸身と思ひいたりぬ  水原紫苑(204ページ)

「「月」こそが完全な「裸身」であるという。意表を突かれながら納得してしまう。太陽は直視できず、星々の瞬きは余りに遠い。「月」だけがその姿を隠すことなく人々の目に曝している。その美しさと悲しみ。同性への眼差しを思わせる「まつぶさに眺めてかなし」が胸を打つ」(穂村弘「解説」、205ページ)

 もちろん、ほかの選者による「解説」にも、おもしろいものはいくらでもあった。岡井隆の場合は、選出の観点そのものがおもしろい場合が多かった。

  雨にうたれ戻りし居間の父という場所に座れば父になりゆく  小高賢(172ページ)

「「子を怒り子と笑い子と食みしのちどうと倒れて眠るわが妻」「暴力は家庭の骨子――子を打ちて妻を怒鳴りて日日を統べいる」(ともに『家長』平2)と併せて読む。戦後民主主義の教育をうけた世代にして、尚、「家長」というような存在、家庭内の「父の座」にこだわる。こうした歌も一度は誰かによって歌われなければならなかった」(岡井隆「解説」、173ページ)

  かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は眞実を生きたかりけり  高安国世(96ページ)

「「かきくらし」は「搔き暗し」。空を暗くするの意の古語。雪が空をくらくして降りしきり、下方へと降り沈んでいく。作者は進学志望を医師から文科(ドイツ文学)へと変えた時の心理が背景にあるというが、それはこの一首にとってどうでもよい。「眞実(自分にとってのまことの道)」を生きたいという青年のつよい願いが雪景を重ねられながら歌われている」(岡井隆「解説」、97ページ)

 一首の成り立ちなど、外側の情報を求めがちな自分にとって、「それはこの一首にとってどうでもよい」という一行はとても眩しく映る。穂村弘の有名な一首に対する、馬場あき子の解説も大変魅力的なものだった。

  ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。  穂村弘(212ページ)

「ハローという日常的でない呼びかけをされた「夜」と「霜柱」、そして「カップヌードルの海老」が、その日常性を少し脱却した印象で浮かび上がる。上二句のハローはあまり上機嫌ではないが、下句のハローはぱっと明るい。この孤独な夜仕事を静かに肯定する気分が生れているのだ」(馬場あき子「解説」、213ページ)

 すごくおもしろい読みをしているとは思わないだろうか。とくに、「上二句のハローはあまり上機嫌ではないが、下句のハローはぱっと明るい」というところ。これを読んだ瞬間、「おお!」と声が出た。

岡井 この年齢になると、誰にも叱られないから安心して好き勝手なことやってる。でも、叱ってくれる先輩がいないというのは寂しいもんですよ。穂村さんたちの世代はもおう問題にもしてくれないしね(笑)。だから、こういう機会に批評してもらえるのはありがたいことです」(座談会より、254ページ)

 この本のメインとも言うべき、巻末の座談会ではおもしろい発言がいくつもあった。ちなみにこの座談会、書き忘れていたが、女優の檀ふみが特別ゲストとして出席していて、要所要所で素人としての一般読者の意見を代弁してくれている。

穂村 好きな歌人について専門歌人にアンケートをとると、斎藤茂吉が圧勝です。白秋、牧水、啄木あたりと接戦になりそうだけど、なぜか実際は違うんですよね。
 馬場 歌の生命力というか、言葉の力が違うんですよ。お腹に響いてきちゃう不思議な言葉ですよね。言葉から言葉への続き方も絶妙です。
  じゃあ、私も茂吉の歌を折にふれ朗誦すれば人間がだいぶ変わっていくかしら。
 馬場 変わってきますよ(笑)。
 永田 茂吉はいい歌とダメな歌の落差が激しいですね。ダメな歌が相当数あるなかにピッといい歌がある。それがまたとんでもなく素晴らしい。普通の選歌眼なら一緒に並べたりしませんよ。
 穂村 自分では全部いいと思ってたんですかね。
 岡井 いや、読者を半ば無視して「俺は俺でやる」と選んだんでしょ。そういうところは変わり者ですわ」(座談会より、226ページ)

穂村 啄木は有名な歌がありすぎるぐらいあるけど、一般の読者にも専門歌人にも人気がある歌と、一般の人は好きだけど専門歌人は「ケッ!」と思う歌に二分されるんですよね。
  私は初めて出会った歌人が啄木だから、一番たくさん歌を覚えているのに、プロの先生方は「ケッ!」って思うんだ!
 穂村 お母さん背負ったとか、蟹と戯れるとかはどうも避けたいという感じが……。
 永田 〈はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢつと手を見る〉なんてやっぱり選びたくない。諺みたいで。
 馬場 あれはダメよ」(座談会より、229~230ページ)

 葛原妙子や塚本邦雄の前衛短歌についても、おもしろい発言が多い。

穂村 葛原妙子さんあたりから前衛短歌の歌が入ってきます。僕が選んだ〈他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水〉も有名な歌ですが、実際、意味がよくわからないんです。水が的になるというシチュエーションはいまひとつ像を結ばない。
 永田 たとえば魔女みたいなものが空を飛んでいて、はるか上のほうから下を見ると湖みたいなのがあった。それが「しづかなる的」になるという理解はできないかな。
 穂村 ああ、なるほど。大きな水のイメージ。
 馬場 葛原さん自身の解説を読むと、フライパンを窓ガラスにかざしたら底に穴が開いていて、そこからイメージしたという話でしょ。
 永田 まあ、作者の言は信用しないほうがいいですよ(笑)」(座談会より、234ページ)

穂村 今、塚本邦雄の一首となると〈日本脱出したし 皇帝ペンギン皇帝ペンギン飼育係りも〉だと思いました。皇帝ペンギンの解釈として天皇説があるということでもよく話題になる歌です。
 岡井 塚本さんの代表歌はこれだろうね。塚本さん自身は昭和天皇のことを考えて詠んだわけじゃないけど、歌というのは発表した以上、読者との共有物になるから、誰がどう解釈しようと文句は言えないですよ」(座談会より、238ページ)

 この座談会、ほんとうにおもしろい内容で、冒頭にも書いたとおり、やはりその短さが悔やまれるばかりである。もっと有効なページの使い方ができたにちがいないぶん、編集に対しては文句が尽きない。だが、それは選者たちの責任ではないだろう。

岡井 この「新・百人一首」ではプロの歌人が詠んだ歌を選んだけど、アマチュアと呼ばれる人たちにも実はいい歌があります。小説家では岡本かの子のほかにも、樋口一葉、森鷗外、芥川龍之介など短歌を詠んでいますし、詩人では萩原朔太郎、木下杢太郎、宮澤賢治中原中也堀口大學などがそうです。あるいは政治学者の南原繁、哲学者の西田幾多郎三木清などの学者もいい歌を詠みました」(253ページ)

 余白が多く、ひたすら歌だけが並んでいる分、メインであるはずの百人一首の箇所は筆写するなどの工夫をしないと楽しみづらいかもしれないものの、巻末の座談会の魅力は揺るぎない。この座談会を読むだけでも、手に取る価値は十分にある。

 短歌というものの魅力を知れば知るほど、自分のあまりの無知が際立ってくる。知らないということには慎み深く、を合言葉に、今後もどんどん知る努力を続けていきたい。