読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

現代秀歌

 現代短歌に熱を上げはじめたわたしに、友人が読書ガイドとして薦めてくれた一冊。初めに書いてしまうと、これは人生を変える一冊である。いや、ほんとうに人生を変えられるかどうかは、これを読み終えた読者のその後次第なのだろうが、ここにはもう一生困らないほどの数の歌人たちが紹介されているのだ。同じく岩波新書から刊行されている『近代秀歌』の好評を経て書かれた、永田和宏による現代歌人百人一首

現代秀歌 (岩波新書)

現代秀歌 (岩波新書)

 

永田和宏『現代秀歌』岩波新書、2014年。


 明治から戦前までの歌人を採りあげた『近代秀歌』、じつはわたしはまだ読んでいないのだが、これはその姉妹編にあたる、戦後から1970年までの生まれで、おもに昭和期に活躍した歌人百人が紹介された本である。ちょうどわたしがまったく知らない、でもとても知りたいと思っていた時期の歌人たちが登場するので、大喜びで手に取り、それこそ貪るように読んだ。読み終えたのはじつはもう一月前のことなのだが、名著に出会ったときの常として、いつまでも感想を書けずにいた。だって、百人ですよ、百人。「現代版百人一首」とは言いつつも、一人あたりだいたい三首は紹介してくれていて、しかも一首ごとに大変親しみやすい感想・解説が付いているので、それはもう密度が半端じゃないのだ。

 前著にあたる『近代秀歌』のほうもじつは同じ日に買ったのだが、この本を読んだおかげ(せい?)で、読んでみたい歌集が増えすぎてしまい、とてもじゃないが手を出せなくなってしまった。読みたい本がすでに百冊以上に膨らんでいるというのに、これ以上無闇に増やすわけにはいかない。わたしは、もうあまり説得力もないが、歌集というのは可能なかぎりゆっくりと味わって読むべきものだと思っているのだ。これは短歌だけではなく読書一般に言えることだが、本というのは読んでいる時間よりも、読み終えてそれを噛みしめる、思い出す時間のほうが大切だ。そのためには最高の集中力とともに、できるだけ時間をかけて一冊と向き合う必要がある。正岡子規与謝野晶子も、斎藤茂吉若山牧水も気になってはいるのだが、いまや近代は遠い。

「いい歌を作ることも歌人の責任であるけれど、いい歌を残していくこともそれに劣らず大切な歌人の責任である」(馬場あき子の言葉、iiページ)

「本書でとりあげた歌人たち、そしてその短歌作品を、私は100年後まで残したいと願っている。200年残ればもっとうれしい。私たちが古典和歌と呼ばれる歌を、千年を経た現代において読み、味わえる喜びを、私たち自身が次の世代に受け渡していく必要があろう」(iiページ)

 永田和宏歌人で、同じく歌人である河野裕子の旦那さん、という紹介のされかたをすることが多い(わたしもそう教わった)が、この本のようにアンソロジーを編んだり、評論も書けるひとである。穂村弘『短歌の友人』を読んだときにも強く思ったが、自身が歌詠みとして活躍しながら、明晰な理論とともに他人の一首を評すことができる、というのは、いったいどういうメカニズムになっているのだろう。自分の理論が創作の邪魔をしたりはしないのだろうか。このひとには「合わせ鏡論」という有名な短歌論があるそうなのだ。

「私は短歌においては、上句で「問」を発し、それを下句で「答」える、これが定型の基本的な上下句の意味であると考えた」(210ページ)

「いずれにしても、自ら問い、自ら答える以外ない文学の世界においては、その「問」をいかに遠くまで飛翔させ得るか、そしてその「問」をいかにうまくブーメランのように回収することができるか、が作品評価の要であることは論をまたないであろう。(改行)だがまだそれだけでは十分ではないのであって、作品が本当に緊張したものとなるのは、その「答」がさらに新たなる「問」となって作者を、従って最初の「問」そのものを問いかえすという場合であろう」(永田和宏『表現の吃水――定型短歌論』からの引用、211ページ)

「上句と下句が「合わせ鏡」のように互いに問と答を投げかけ合うことによって、その問と答のあいだに立ちあがってくる一つの顔が、短歌における〈私〉なのだということを述べて、前衛短歌以来、尖鋭的に考察されてきた「短歌における〈私〉」とは何かに対する、私なりの答を出しておいたのである」(211ページ)

 おもしろい考え方である。一首をとりあげて、というわけではなく、一般論として短歌の仕組みを読み解こうとする試み。具体性がないので「それって、意味あるの?」と思わなくもないが、こういった理論がまるで通用しないような歌に出会ったときには、かえって意味を持つとも思う。「秀歌」という概念についても、おもしろい記述があった。

「こういう作業のあとには、この歌人が入っていないのはおかしい、この歌はこの歌人の代表作ではないなどというクレームがつくのは必定である。誰がその作業を行っても、完璧というものはあり得ないし、必ず違った選択の可能性が示されるものだ。私は、現代に歌を作っているそれぞれの歌人が、それぞれのたとえば100首を選ぶというような自家版アンソロジーを持つべきなのだと思っている。それら個々については不備なアンソロジーが100、200と集まれば、それらに共通してあらわれる歌(積集合と言えばいいのだろうか)として、その時代の秀歌というものは、おのずから残っていくことにもなるのだろう。時間の濾過作用とはそういうことである」(vページ)

 じつを言うとわたしは言葉としての「秀歌」には懐疑的で、代表作一首のみで歌人のなにかがわかることなんて、ほとんどないと信じこんでいる。それでもなにか象徴的な要素があるから「代表作」として、あるいは「秀歌」として、一首が人口に膾炙していくことになるのだろうけれど、「秀歌」と他人が判断した歌だけを読んでなにかが言えるほど、短歌という芸術は単純ではないとも思うのだ。だから「秀歌」と言われたときには、ちょっと身構えつつ、その歌人を知るための入り口、という程度にしか考えないようにしたいと思っている。とくにいまも存命のひとが多い現代の歌人の「秀歌」となると、どうしたって恣意性を感じざるをえない。だから永田和宏が本文に移る前に、上のような言い訳めいた(失礼)文章をわざわざ書いていることを、とても好ましく思った。

「短歌というものは、決して本棚に奉っておくものではなく、日常生活の場のいろいろな局面において思い出してやることでのみ、ほんとうに生きてくるものなのだ」(vページ)

「知らないことは決して恥ずかしいことではない。しかし、「知らない」ということに対しては慎み深くはありたい」(「おわりに」より、245ページ)

 それでも、短歌というのは暗誦にうってつけの詩形式であるので、意味がわからなくても、べつに好きとは思っていなくても、ふと口をついて出るものがあったりもする。いつか意味がわかるようになるのかもしれないし、意味云々よりもリズムが好きなのかもしれない。だから、矛盾しているようだが、ただ「知っておく」ことも、短歌においては重要なことのようにも思う。

  かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじなもゆる思ひを  藤原実方朝臣

 これは百人一首にも採られた有名な和歌だが、わたしにはいまだに意味がわからない。どれくらい理解していないかというと、「えやは」を「えはや」と間違えて覚えていたほど。理解度ゼロ。そんなこと自慢げに書くなよ、とは自分でも思うが、それでもこの一首は暗誦できるのだ(間違ってたけど)。わからないまま暗記しておくだけでは意味がないが、暗記しておくことで、いつか歌の意味がわかるようになる可能性が生まれるし、和歌のように古語で書かれていた場合には、やがては文法の用例ともなるだろう。そう考えてみると、ただ「知っておく」というのも、きっと大切なことなのだ。いつかひとに、「これは秀歌だよ。この歌人の代表作だよ」と、ポン、と飴玉みたいに一首を差し出されたら、理解できなくてもその場で無理に感動しようとはせず、「ふうん、覚えといたろ」ぐらいの反応をし、忘れてしまわないようにしていきたい。

 つまり、長くなったが、だれにとっても秀歌という歌は、きっと存在しないのである。上にあげた永田和宏の言い訳(「積集合」云々)を読んでいると、ヘルマン・ヘッセの言葉を思い出さずにはいられない。

「千冊の、あるいは百冊の《最良の書》などというものは存在しない。各個人にとって、自分の性格に合って、理解でき、自分にとって価値のある愛読書の独自の選集があるだけである」(ヘルマン・ヘッセ『ヘッセの読書術』より、47ページ)

 さて、歌の意味についても、同様だ。永田和宏はこの本のなかで、何度も何度も、「歌の読みに正解はない」ということを繰り返している。

「ただ一つの読み方だけでなく、さまざまな読みを許容するのがいい歌の条件だと私は思っている」(10ページ)

「歌の読みに正解はない。これが私の信念である。どう読めば、自分にとって歌がいちばん立ちあがってくるか、魅力的に映るかが大切なのであって、客観的にこれが「正解」という読みは、短歌にはないのである」(29ページ)

「歌を読む喜びは、決まった読みに辿り着くことではなく、自分だけのいろんな読み方を一首のなかで遠くまで飛ばせてやることにあるだろう。歌の読みに正解はないと、私はこれまで言い続けてきたのだが、歌の読みは、実は読者の数だけ違ったものがあっていいのである。そういう読まれ方をする歌が、実はいい歌として読者の心に残り続けることになると私は思っている」(113ページ)

 歌の読みかたが多様化する理由として、おもしろいな、と思ったのが以下の一節。

「歌を読むことは、自分の経験の総量を動員しながら読み解こうとする作業である。自分が経験、体験したことは、意識する・しないにかかわらず、歌の読みに強い影響をおよぼさざるを得ない。自己をゼロ状態にして、歌を読むことはまず不可能である」(198ページ)

 この文章が現れるのは、じつは以下の一首について書かれた箇所なのだ。

  洪水はある日海より至るべし断崖(きりぎし)に立つ電話ボックス  内藤明(196ページ)

 2011年のあの未曽有の震災を思い出さないだろうか。だが、この歌が詠まれたのは震災よりも15年も前のことだというのだ。あの震災を経たわたしたちには、この一首は「黙示録的な幻視」と映ってしまう。経験からは逃れられないのだ。

 これは震災のことを詠った歌ではなかったわけだが、じつは短歌には「機会詠」と呼ばれるものがあるそうだ。以下の佐藤通雅の歌は、震災を詠んだもの。

  死ぬ側に選ばれざりし身は立ちてボトルの水を喉に流し込む  佐藤通雅(147ページ)

「社会に起こった出来事、事件や災害を、歌に詠むことにどのような意味があるのだろう。それらは「機会詠」という言葉で呼ばれることが多い。私は機会詠というものは、できるだけ作り、残すのがいいと思う者である。さまざまな出来事が社会では起こっている。重要なものは記録として後世に伝えられ、それが歴史を構成する。しかし、そこで唯一抜けていくものは、現場に居合わせた庶民の感情、その事件や災害をどのように受け止めたかという現場の感情である。これは記録としてほとんど残らないと言わざるを得ない。後になってルポルタージュやドキュメンタリーとして、一部の人々の感情が再現、再構成されることはあっても、その場に居てリアルタイムでどう感じたのかは、きわめて残りにくいものである」(148〜149ページ)

「短歌は、短く、かつ自己の感情を表現するのにもっとも適した表現形式である。その特性を活かして、多くの人々が、自分が何を感じたかを五句三十一音に残すことの大切さを思う。それらの総体として、歴史上の事件や災害を、一般の庶民がどのように受け止め、受容していたかが残っていくと思うからである。それが庶民の感性の総体であり、それは歴史書と言われるものの中で、唯一残しづらいものなのである。機会詠と言われる作品の価値を大切にしておきたいと思う」(149ページ)

 わたしはかつて歴史学を専攻していたので、この感覚は非常によくわかる。フランス史を中心に勉強していたのだが、過去のフランスの市民たちが短歌を詠んでいたら、どれだけ多くのすばらしい詩が生まれただろうと、無茶苦茶な前提に立っていることは承知しつつも、悔しがらずにはいられないのだ。歴史書には事件のあらまし以外のものは残らない。そしてそれぞれの事件の裏側には、文学にしか書きとどめることのできない想いが溢れていたにちがいないのだ。もちろんそれらは、たとえば『赤と黒』『感情教育』『神々は渇く』といったかたちで残されてはいるけれど、言うまでもなくこれらの長篇小説はだれにでも取り組めるようなものではぜんぜんない。

  不意に優しく警官がビラを求め来ぬその白き手袋をはめし大き掌(て)  清原日出夫(140ページ)

  ジグザグのさなかに脱げし少女の靴底向けて小さし警官の前  清原日出夫(140ページ)

 これらの歌は、「社会詠」という言葉で呼ばれている。機会詠に似ているような気もするが、たぶん社会詠はもっと人為的なできごとを対象としている。批評性の強い歌、いわゆる「社会的な」歌とは、どうも意味合いが違うようなので、注意しておきたい。

「デモや闘争というものを、頭で規定してしまわずに、あくまで現場で自分が何を見るかというところに、社会詠と言われるこのような歌を作ることの意味があるのだと私には思われる。社会詠とはスローガンを詠うことではなく、民衆が、そして民衆の一人である自分が、どのように社会に関わっているかを現場から詠うことに意味がある」(140ページ)

 さて、「現代の短歌」を紹介するとなると、いちばん問題になるのはその区切りだろう。かつて『短歌の友人』を読んだときの感想には、「斎藤茂吉に代表される近代、それから塚本邦雄に代表される戦後、それから「戦後後」とも呼べそうな、現代のわれわれの世代」とあった。この本で語られているのは「塚本邦雄に代表される戦後」のことである。

「近代短歌にくっきりとした終止符を打ったのが、塚本邦雄に代表される前衛短歌運動であった。近代短歌と現代短歌をどこで分けるのかについては、短歌史上でもなお諸説があるが、前衛短歌の出現を以てその区切りとするという見かたが、ほぼ定着しつつあり、私自身もその考えをもっている」(52ページ)

「昭和30年(1955)以降に歌を始めた若い歌人たちで、塚本邦雄らの影響を被らなかった歌人はほとんどいないのではないかと思われるほど、彼らによって推し進められた前衛短歌運動は大きな意味と影響力をもっていた。個人的なことを言えば、私が歌を始めた当時は、前衛短歌こそが現代短歌、といった雰囲気であった」(52〜53ページ)

 19世紀末以降というのはどんな芸術においても、新奇なものを求めずにはいられない時代だった。絵画における印象派以降の様々な「派・イズム」、音楽における無調、小説だとウリポやビート、ほかにも一つの分野にはけっして括れない運動を巻き起こしたシュルレアリスムロシア・アヴァンギャルドなどなど、いくらでも例があがる。こういったそれぞれ評価もまちまちな芸術の革新運動とは短歌も無縁ではなく、しかも発端となったのがルソーの翻訳で知られるフランス文学者、桑原武夫の「第二芸術論」という論文だったというのはとても興味深い。この「第二芸術論」については詳しいことは書かれておらず、まあ名称や雰囲気から察するにろくなことは書かれていなさそうなのだが、それに対する反発がどのように繰り広げられたかについては、関心をそそる。

「近代以降の短歌では、作品のなかにあらわれる「私」は、作者本人、すなわち現実の〈私〉以外のものではなかったが、作品のなかの「私」を、作者本人とは別の存在と考えようというのが前衛短歌の思想であった」(31ページ)

「近代の短歌が、現実の〈私〉に縛られ過ぎてしまったことによって、そこで詠まれる風景は作者の身のまわりのものでしかなく、感情は自己の思いの吐露、あるいは繰り言に近い湿った抒情でしかなくなってしまった。想像上の自己を作品に登場させることによって、どこまでも多様になれる〈私〉の感情表現として、短歌作品の抒情の幅を革新したいとするのが前衛短歌運動であった。多様な〈私〉、フィクショナルな〈私〉の導入による表現領域の拡大という点に関しては、前衛歌人のなかでも寺山修司の問題意識が突出していた」(31ページ)

 前衛短歌と呼ばれた歌が新たにもちこんだもの、それが「フィクショナルな〈私〉」だという。上掲の「合わせ鏡」論はこういう文脈で発生したのだ。塚本邦雄寺山修司、それから岡井隆の名が何度もあがるが、なかでもやはり塚本邦雄には多くの紙幅が割かれていた。いまでは見慣れた「句割れ・句跨り」さえも、塚本邦雄が積極的に導入したものであるという。一人の歌人が芸術に対して遺したものの大きさに、めまいがする。

  革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ  塚本邦雄(52ページ)

「この一首はまた、従来の短歌的韻律に従って読み下すのがむずかしい音の構成にもなっている。五七五七七で読もうとすれば、「革命歌・作詞家に凭り・かかられて・すこしづつ液化・してゆくピアノ」となるが、これは意味の切れ目とは大きく違っている。三十一音という音数律は厳密に守りながら、句の切れ目を意味の切れ目から解放した。このような手法は「句割れ・句跨り」と呼ばれるが、塚本によって積極的に導入されたこの手法は、近代短歌的な滑らかな韻律に流されることを嫌い、韻律よりは意味を重視しようとするもので、塚本邦雄以降、現代短歌では多く用いられる手法になってきた」(54ページ)

 すごいな、塚本邦雄。偉大すぎるだろ。「フィクショナルな〈私〉」についても、上では寺山修司が名指されていたが、塚本邦雄の場合は以下のように書かれている。

「この頃の塚本邦雄結核療養中であったことが、のちになってわかったが、作者は決してそのような個人的な事情を歌の表面には出さない。ここで詠われているのは、健康さだけが取り柄のような青年への嫌悪感あるいは侮蔑感と、精神に負の部分、陰の部分を抱えて、彼らからはっきりと自らを峻別するという自負、そして、それゆえにいっそう惹かれざるを得ない「健康な普通」への羨望の思いであろう」(55ページ)

塚本邦雄の歌は、自己一人称を離れて、〈私〉が遠く〈われわれ〉にループを描いて接続するような、個のあり方を問うものとなっている。そのために、直喩、暗喩、そして風諭などを駆使して、世界の見方の常識性を打破し、かつ悪への傾斜やニヒリズムへの嗜好をにじませながら、黙示録的世界を暗示するような作品世界を展開したのであった」(57ページ)

 この「フィクショナルな〈私〉」、新しいものとして紹介されてはいるが、すぐに思いついたのが『源氏物語』だった。先日『愛する源氏物語』を読んだばかりということもあるだろうが、あれだって「フィクショナルな〈私〉」ばかりが登場する和歌である。登場する795首の和歌の、作者はすべて紫式部なのだ。もちろん、歌物語の一部としてではなく、現代短歌の文脈で実践した、ということに大きな意味があるのだろう。穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』は、その直接的な収穫だったのかもしれない。

 以下、この本のなかでもとくに気になった歌人、葛原妙子と吉川宏志が紹介されていた箇所より。

  水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき  葛原妙子(60ページ)

「魚は水面という一枚の膜を破って跳びだした。その時、水面は一瞬破れたはずだが、その破れ目はすぐに閉じてしまったと言う。私たちは普段、そんなものの見かたをすることはほとんどないが、なるほどと思わせられる。私たちの常識的なものの見かたに変更を迫る歌でもある」(61ページ、原文では「ものの見かた」に傍点)

  他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水  葛原妙子(62ページ)

「たぶんこの一首に出会った読者は、次に雨上がりの道を歩いていて、水溜まりを見れば、なんとなくふと無意識のうちに遥かな空を見上げることになるのかもしれない。そんな無意味な動作のひとつひとつは、私たちの日常の生活にある種の潤いと豊かさをもたらしてくれるはずのものである」(63ページ)

  円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる  吉川宏志(61ページ)

「作者はさらに、実は金魚は「掬われしのち」初めて濡れるのだと言う。水のなかでも濡れているはずじゃないかと思うのが普通だが、実は誰も水のなかで金魚が濡れているのを見たことがない。そもそも水中では濡れるという概念そのものがないのだ。しかし、和紙の上に掬いあげられた金魚は間違いなく、濡れている」(61〜62ページ)

 こういう歌に出会いたくって、わたしは短歌を読んでいるのだろう、と思わずにはいられない、ものすごい歌である。意識の変革を迫る歌。忘れられるわけがない。

「これらの歌が教えているのは、私たちがものを見ている時、いかに常識的なものの見かたしかしていないかということである。常識的なものの見かたさえ捨てることができれば、世界はかぎりなく豊かな表情を見せてくれる」(63ページ、原文では「ものの見かた」に傍点)

「歌は決して大きな立派なことを詠うだけがその使命ではないのだ。このような日常の隅々に転がっている、一見なんでもない小さな発見は、私たちのものの見かたを確かに豊かにしてくれるのである」(64ページ、原文では「ものの見かた」に傍点)

 ここでの「一見なんでもない小さな発見」とは、穂村弘が『短歌の友人』のなかで「短歌的リアリティ」と呼んでいたものと同じだろう。やはり、細部こそすべてなのだ。これこそ芸術、と拳を握りしめてしまう。以下、もう駄文を連ねても仕方ないので、ひたすら引用しまくってみる。

  三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや  山中智恵子(177ページ)

  まつぶさに眺めてかなし月こそは全き裸身と思ひいたりぬ  水原紫苑(180ページ)

「山中智恵子の歌を読んだ私たちは、そのあとで月を見るとき、心のどこかで、「はじめてあれを月と呼んだ人が、古代日本のどこかにいたはずだ」という感慨をかすかに感じることだろうが、水原紫苑のこの一首は、また次に月を見上げたとき、私たちに、それ以前とは確かに違った月の受容をうながすことになるのであろう。歌を読むとはそういうことである。一首の歌を読むことによって、それまでとは違った自然との向かい合いが生まれるのである。なんとも思わず月を見ていた時に較べ、月を裸身と感じた人がいたと知ったことで、少しだけ、私たちが月(自然)を見る見方に幅ができたはずである。それは私たちの日常を、少しだけ豊かなものにしてくれるのではないだろうか。一本の草の名前を知っているだけで、道端の景が俄かに親しく感じられるように」(180〜181ページ)

  信号の赤に対ひて自動車は次々と止まる前から順に  奥村晃作(65ページ)

「信号が赤に変わる。走っていた自動車が次々止まる。それも「前から順に」止まると言う。後ろから順に止まるなんてありえない。当たりまえじゃないかと叫びそうになる。普通ならこんなことは歌にしない。しかし作者はそこをおもしろがっている。おもしろがるということは、ものを見る目の余裕である。人が気もつかないことを自分一人で納得し、それを実に普通に述べている。そのいかにも真面目そうでいて、実のところきわめて過激な視線が、おもしろさを誘って読者を笑わせるのである」(66ページ)

  団栗はまあるい実だよ樫の実は帽子があるよ大事なことだよ  小島ゆかり(76ページ)

「教育ママなら、そんなことより漢字を覚えなさい、九九を覚えなさいと口を酸っぱくして言うだろうか。しかし、お母さんとしての小島ゆかりは、一見どうでもいい木の実の特徴と名前を覚えておくことを「大事なことだよ」と諭すのである。こんな風に育てられた子の、将来の幸せを思わないではいられない」(76ページ)

  父十三回忌の膳に箸もちてわれはくふ蓮根及び蓮根の穴を  小池光(92ページ)

「「父十三回忌」という改まった席である。かしこまってみんなが法要の膳を前に食事をする。そのとき小池はまことにその場にふさわしくない発見をするのである。蓮根を食うとは、蓮根の穴も一緒に食うことに他ならないのだと。「われはくふ蓮根及び蓮根の穴を」という真面目くさった大げさな表現がじつにおもしろい。おもしろく、そして悲しいのである」(93ページ)

 ここに引いたのはどれも、じつに直接的に意識の変革を迫ってくる歌ばかりである。葛原妙子、吉川宏志、山中智恵子、水原紫苑奥村晃作小島ゆかり、小池光。名前を書くだけでわくわくしてくる。どの歌人についても、わたしに短歌の魅力を教えてくれた友人が書いたり口にしたりしていた覚えがあるのだ。すばらしい友人を持ったものである。わたしは早くこの圧倒的な友人の影響から脱却して、自分自身のお気に入りの歌人をひっそり見つけるべきだと考えているのだが、どうもその道のりは険しそうだ。ところで、「大事なこと」を小島ゆかりに教わったのは、同じく歌人の娘、小島なおのことだろうか。いったいどういう巡り合わせだったのか、わたしはまだ短歌の魅力を十分に意識していなかったころに、同じ友人に薦められて、小島なおの歌集『サリンジャーは死んでしまった』を読んだことがあるのだ。ああ、あの歌集、もう一度読み返したいなあ、と強く思った。いまならもっとちがう印象を抱くにちがいない。

「現代短歌においては、口語発話体がどんどん歌のなかに侵入してきており、完全な文語定型だけで歌を作っている歌人のほうが珍しくなりつつある。そんな現状を憂える意見は当然あるが、ある程度の口語文脈は、文語定型を基本として意識しているという前提のもとで、必ずしも排除するものではないというのが私のスタンスである。現代の歌としての生き生きとした気息を伝えるものとなっている例が多い」(75ページ)

 また、塚本邦雄や山中智恵子に共通の師がいた、というのもぜんぜん知らなかったので、びっくりした。前川佐美雄のことである。

  ぞろぞろと鳥けだものを引きつれて秋晴の街にあそび行きたし  前川佐美雄(186ページ)

  ひじやうなる白痴の我は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる  前川佐美雄(186ページ)

「奇想とも言えるし、シュールレアリスムであるとも言える。西欧現代詩にも通じるような、これら発想の大胆さは現代においても十分に衝撃的だが、昭和前期という時期を考えれば、前川佐美雄の作風が歌壇に与えた驚きとその影響を推し量ることができよう。前登志夫だけでなく、塚本邦雄も山中智恵子もみな前川佐美雄に師事した歌人たちである」(187ページ)

 一首と、そこに寄せられたコメントがおもしろかったものは他にもいくらでもある。じつはこの記事を書きはじめる前から、気に入った一首をあげはじめるときりがないと判断していたので、永田和宏のコメントが印象的だったものを中心にあげているのだが、それでも数が多い。

  月よみのひかりあまねき露地に来て給与明細を読むひと俺は  島田修三(90ページ)

島田修三は、冴えない、平凡な勤め人の哀感をこれでもかというまでに読者に突きつける。できれば、普段は考えないようにしている己れの負の部分を、白日のもとにさらされているような居心地の悪さと、自らに引きつけて、よくぞ言ってくれたといった快感を、ふたつながらに感じさせるような不思議な魅力を、島田修三の歌は持っている」(90ページ)

  あかるさの雪ながれよりひとりとてなし終の敵・終なる味方  三枝昂之(102ページ)

「敵とか味方とか、はっきりしていればまだいいのである。しかし、「終の敵」も「終なる味方」もとうとう自分には居なかったという苦い思い。まことに中途半端な仲間でしかないという忸怩たる思い。そんな内部の鬱屈とは関わりがないように「あかるさの雪」が流れよる。明るさがいっそう内部の昏さを浮き立たせたのであろう」(103ページ)

  うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う  高瀬一誌(110ページ)

「高瀬一誌の歌には、このような定型を完全に無視したような思い切ったリズムが随所に見られる。非定型の口語自由律とも思えるほどだが、しかし読後感はたしかに定型なのである。高瀬の内部では常に定型が意識されている。意識しつつ、その破れに世界を見る自らの視線を賭けようとしている風に感じられる。快い定型のリズムに敢えて乗せないで詠うというところに、高瀬一誌の作歌の拠りどころがあったのだろうと思われる」(112ページ)

  階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅  梅内美華子(43ページ)

「このような歌集を読んでいると、短歌はやはり青年の文学であるのかもしれないと強く思う。近代においては、歌はまさに青年らの感情表現の第一の手段であった。しかし、太平洋戦争の敗北を契機として、歌壇には「第二芸術論」の嵐が吹き荒れ、短歌は青年がその志を賭けてなす文学であるとは考えられなくなった。多くの青年たちは、自己表現を他の表現手段に求めていったが、ようやく梅内たちの世代になって、第二芸術論の呪縛から解き放たれ、歌を作っていることを堂々と言えるような風潮のなかで作歌が可能になったのかもしれない。歌が再び青年の感情表白のための具となったのだと言えるであろうし、それはそのままこれからも続いて欲しいとも願うのである」(44ページ)

  大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり  花山多佳子(113ページ)

「歌ではなにか深遠な思いや深い感動を詠まなければならないと思っている人々からは顰蹙を買いそうな歌である。なんてつまらないことを歌にしているのだと叱られそうでもある。しかし、こういうおもしろい歌を許すのも現代短歌である。現実の生活のなかには、こんな滑稽なシーンは数えきれないほどある。しかし、それらのほとんどはその場では笑っても、すぐに忘れてしまう類の些事である。それがこのように歌として残されてみると、なるほどわれわれの日常生活というのは、このようなばかばかしい滑稽さのなかに息づいているのだとあらためて思わせられる。そんな笑いがあるからこそ続いている現実の世界なのかもしれないのだ。そのようなことに少しでも思いが向かうとするならば、この一首の存在価値はとても大きい」(114ページ)

  神田川の潮ひくころは自転車が泥のなかより半身を出す  大島史洋(193ページ)

「現実の都会の風景というのは、実にこのようなものであるはずなのだ。それなのに歌人は得てして美しい景だけを探そうとしているのではないか、現実から目を逸らせて、景を美化して詠う、あるいは歌になりそうな景ばかりを選んで詠っているのではないか。そんな問いが大島の歌からは聞こえてきそうである」(194ページ)

  「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ  俵万智(22ページ)

「戦後短歌は、長いあいだ、第二芸術論の呪縛から逃れえなかったと言える。この詩形式の背負っていた負の遺産を、いともたやすく打ち破ってしまったのが、そのような歴史からまったく自由な場にあったひとりの女性の歌集だったのである」(24ページ)

  電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ  東直子(26ページ)

「歌を作っていない読者は、これで果たして歌と言えるのかという思いを持つかもしれないが、この大胆な表現、そして、その瞬間の感情の穂先だけを述べたような東直子の歌には、従来の短歌が押し殺してきたような、感情表現の直截性があり、それが若さの表現ともなっているのである」(26ページ)

 歌集を読んだことのある歌人が、まだ片手で数えられるくらいしかいない、というのは、むしろ喜ぶべきことだ。こんなに嬉しいことはない。また、葛原妙子や吉川宏志と同じくらい気になった歌人に、佐藤佐太郎がいる。引用されている歌が、どれもびっくりするほどすばらしいのだ。ひとが一般的に短歌に求めているものが、ここには最高のかたちで用意されているように思える。読んでいるときの感慨は古典和歌のそれに近い。

  冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ  佐藤佐太郎(154ページ)

  あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼  佐藤佐太郎(156ページ)

  秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く  佐藤佐太郎(156ページ)

  夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る  佐藤佐太郎(156ページ)

「佐藤佐太郎は斎藤茂吉の弟子であり、写生を自らの作歌のもっとも根幹に据えて作り続けた歌人である。「純粋短歌」という言挙げもあったが、字余り字足らずなども認めず、純粋に定型を守るべきだという立場を貫いた歌人である。個人的には、私は佐太郎は近代の、あるいは現代のどの歌人よりも、歌の生理をわかっていた歌人だと思っている。そして秀歌が多い。歌壇の風潮や流行に流されることなく、ただひとすじに己れの信じる道を進んだ歌人という印象が強い。そして、その対象を切り取る視線の鋭さ、切れ味は他の追随を許さないものがある」(155〜156ページ)

 また、柏崎驍二の歌に寄せられた文章も、忘れられない。

  空晴れし日なれどここの山陰は道濡るるゆゑ落葉も濡るる  柏崎驍二(172ページ)

「読者をうならせるような発見や、涙を誘うようなドラマがあるわけではなく、誰もが普通に目にするような景を淡々と詠い取る。そのように詠われることによって、何でもない景が〈意味〉を獲得する。歌詠みとして、もっともそうありたいと思うような作歌姿勢がそこにある」(171〜172ページ)

「こういう歌に感想を言うのはとてもむずかしい。それは詠われているコトが単純でわかりやすいということではなく、意味はきわめて明瞭ながら、その〈意味〉が完結したあとに、その景をまえにした作者を包んだであろう思いが、茫漠として形を持たないままに読者のなかに浸み込むように入ってくるからなのである。作者はこういう感動をもって詠ったのだなどとはっきり言えないところに、これらの歌の価値はあろう。たぶん、作者自身も何を詠いたかったのか、はっきりとはわかっていないのだ」(172ページ)

 はじめに書いた歌の意味についての、永田和宏なりの回答ともとれる箇所である。「詠われることによって、何でもない景が〈意味〉を獲得する」という感覚は、山田航の『さよならバグ・チルドレン』を読んだときに実感として抱いたものだったので、なんだか嬉しくなった。意味というものの意味、その相対性や根源について、考えこんでしまう。

「自ら歌を作らない国文学者や小説家は、往々にして歌を意味で解釈し、それでわかったような気になっている風に見える。もちろん歌を作らない一般の人々も然りである。歌は意味が通っていることも大切だが、意味だけで終ってしまっては、詩としての味わいも、奥行きも、幅もすべて失われてしまうものだ。意味は考えるが、大切なのは意味がわかったあと、どれだけその歌が、作者と読者のあいだの懸隔を深さをあらわにしてくれるか、その間に横たわる謎を提供してくれるか、つまり作者が述べた意味以上に、どれだけ読者がその一首に参加できるかが、本当は歌を味わい、鑑賞するためにはもっとも大切なことなのである。「〈意味読み〉をしない」ということを、短歌の鑑賞では心がけたいものである」(159〜160ページ)

 最後に、永井陽子。彼女の歌はこの本のなかでもとくに際立っていた。だれとも似ておらず、なにも参考にしたことがないかのような歌。

  ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ  永井陽子(166ページ)

「永井陽子の歌には、天性の言語感覚とでもいったものがあり、また歌から〈私性〉がほとんど完璧なまでに払拭されているのが、現代短歌のなかでも異色である。歌は、多くの場合、いかに過不足なく自らの思いを言い遂せるかに表現の比重がかかりがちである。しかし、一見逆説めいて聞こえるかもしれないが、永井陽子の場合、いかに三十一音のなかで「言わないで表現できるか」というところに賭けていたようなところがある」(166〜167ページ)

 永井陽子は48歳のときに自殺してしまった。際立っている、という感覚はあまりに強く、彼女の現実生活の孤独さえ予感させる。異色であることが生きづらさとなってしまうなんて、と思わずにはいられない。

「彼女の自殺の知らせを受けたとき、それはもちろん大きな驚きであったが、いっぽうで、それが「なぜ死んだのか」という大きな問として思い浮かばなかったのは、私たちがそれまでの彼女の歌にある、しんとした寂しさ、どう救いようもない孤独の影を強く受け止めていたからだろうと思う」(167ページ)

「人間は、たった一人でもいいから、自分のことを見ていてくれる人がありさえすれば、それだけで生きてゆけるものである。永井陽子の歌に注目していた仲間は多くあったはずだが、それを実感できないままに独りの思いのなかに逝ってしまったことを、寂しく思わないではいられない」(168ページ)

 実作者、歌詠みの観点から永田和宏が書いていたことも、最後に紹介しておこう。わたしは純粋な読者として短歌を楽しんでいるが、こういう作者側の意見は稀有で、とてもおもしろいと思う。

「われわれ歌を詠むものは、ときに言いたいことをつめこみすぎて歌が窮屈になりがちである。意味に縛られすぎるのである。あるいは言葉と言葉のあいだに隙間がないと言ってもいいかもしれない。主張や意味にとらわれて、言葉の流れに詰屈感が残り、音読をしたときに快くこちらの心に届いてこないという歌が多い。多くの場合、作るときも読むときも、歌を目で追って、読んだ気になっているからである」(13ページ)

「どのような歌があってもいいし、どのような虚構が詠われていてもいい。しかし、五句三十一音の短歌として表現された言葉が、作者の〈現在〉を映していないならば、読者としてその作品につきあう意欲がいっぺんに希薄にならざると得ない。たとえそれが回想の歌であり、詠われている「内容」が過去のものであっても、その「過去」を詠っている作者の〈現在〉が作品のなかに感じられなければ、歌としての魅力はないと私は感じる」(「おわりに」より、248ページ)

 これほどまでに読みたい本が増える本に出会ったのはじつに久しぶりのことで、ものすごく興奮した。友人に感謝。この本に掲載された百人全員の名前と歌を、ノートに書き写したい気分である。一人につき一ページ与えて、今後すこしずつ、それぞれの歌人の歌集を読みながら気に入った歌を追加していき、ゆっくりと各ページを黒くしていくのだ。あ、なにこれ、名案かも。やろう。すぐやろう。

「歌は、本来「訴う」から来たものとされている。すなわちみずからの思いを、相手に訴える、聞いて欲しいと迫るのである」(8ページ)

 ずっと持ち歩いていたい、すばらしい本です。おすすめ。

現代秀歌 (岩波新書)

現代秀歌 (岩波新書)

 


〈歌集は多すぎてとても書けないので歌集以外に読みたくなった本〉
永田和宏『表現の吃水  定型短歌論』

表現の吃水―定型短歌論

表現の吃水―定型短歌論

 

三枝昂之『昭和短歌の精神史』

昭和短歌の精神史 (角川ソフィア文庫)

昭和短歌の精神史 (角川ソフィア文庫)

 

中井英夫『黒衣の短歌史』

黒衣の短歌史 - 中井英夫全集 第10巻 (創元ライブラリ)

黒衣の短歌史 - 中井英夫全集 第10巻 (創元ライブラリ)