寺山修司青春歌集
読み終えてからかなり長い時間が経ってしまっていたが、ようやく感想を書く気になった。感想を書けずにいたのは、この歌人の特異性を肌で感じつつも、どこにその特異性が潜んでいるのかを明確な言葉にできずにいたからである。寺山修司の短歌作品ほとんどすべてを収めたという、見た目よりもはるかに収録歌数の多い網羅的な歌集。
歌人としての寺山修司は、塚本邦雄や岡井隆と並んで、革新的な前衛短歌運動を組織したことで知られている。だが、この歌集を読んだばかりのときには、彼の短歌のいったいなにが新しいのか、寺山修司の作品でさえ古典になりつつある現代の立場で歌集を開いていたわたしには、そこに確固たる個性を感じながらも、明確な言葉にはできなかった。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(27ページ)
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(162ページ)
草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ(164ページ)
いずれも彼の代表作として広く暗誦されている歌である。どれも響いてはくる。それでも、これらの歌にある新しさ、という点については、正直ピンとこなかったのだ。「前衛は滅びやすい」と言う言葉のとおり、新しいものというのはすぐにその新しさを失ってしまう。寺山修司が発表した当時に新しかったものがいまのわたしにとって新奇なものとは映らないのも、仕方のないことなのかもしれなかった。そもそも、寺山修司が新しいかどうかなんて、文学史を書くようなひとだけが気にするべきことで、個人の読書体験にはなんの関わりもない些末な事柄にちがいない。いつもどおり、好きだった歌をだらだら引用していけばいいじゃん、とも思っていた。でも、最初に書いたとおり、違和感があったのだ。現代の立場から見ても、「この歌人はちょっと違うぞ」という感覚があった。それなのにこの違和感に与える言葉が見つからずにいたのである。
永田和宏の『現代秀歌』がヒントとして与えてくれていたのは「フィクショナルな私」という抽象的な言葉で、どういうことなのか、頭の弱いわたしにはやはりピンとこない。ところが、先日気晴らしに映画を見ていたときに、ああ、寺山修司の短歌って映画なんだ、と、ふいに思いついたのだ。わたしは「フィクショナルな私」というのを、「私」すなわち一人称の置き換え程度にしか考えておらず、だから「フィクショナルな私」と言われても、それだったら『源氏物語』で作中人物の立場で歌を詠みまくった紫式部だって、「フィクショナルな私」を書いていたはずだ、などという的外れなことを考えてしまっていたのだが、ここでの話題はじつは一人称にあるのではない。寺山修司の短歌は、映画なのである。つまり、誤解を恐れずに言うと、寺山修司は三人称で短歌を書いたのだ。
鉄屑をつらぬき芽ぐむポプラの木歌よ女工のなかにも生れよ(10ページ)
だれも見ては黙って過ぎきさむき田に抜きのこされし杭一本を(12ページ)
めつむりていても濁流はやかりき食えざる詩すらまとまらざれば(13ページ)
にんじんの種子庭に蒔くそれのみの牧師のしあわせ見てしまいたる(16ページ)
かわきたる田螺蹴とばしゆく人たち愚痴を主張になし得ぬままに(17ページ)
轢かれたる犬よりとびだせる蚤にコンクリートの冬ひろがれり(18ページ)
広場さむしクリスマスツリーで浮浪児とその姉が背をくらべていたり(19ページ)
枯れながら向日葵立てり声のなき凱歌を遠き日がかえらしむ(22ページ)
群衆のなかに昨日を失いし青年が夜の蟻を見ており(28ページ)
意図的に、「私」が登場してこない歌ばかりを選んでみた。すべて第一歌集『空には本』より。映画という考えかたをもって見てみると、寺山修司の目がカメラの向こう側にあるような気がしてくる。「女工」や「牧師」、「浮浪児」といった語句は、ここでは「私」の目に映っている人びとというよりも、三人称で語られている文学の登場人物として現れているように思えるのだ。しかも、これは歌のなかに「私」が出てくるときも同様なのである。
向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し(7ページ)
銃声をききたくてきし寒林のその一本に尿まりて帰る(12ページ)
鶏屠りきしジャンパーを吊したる壁に足向けひとり眠れり(13ページ)
父葬りてひとり帰れりびしょ濡れのわれの帽子と雨の雲雀と(13ページ)
冬の欅勝利のごとく立ちていん酔いて歌いてわが去りしのち(14ページ)
朝の渚より拾いきし流木を削りておりぬ愛に渇けば(15ページ)
胸の上這わしむ蟹のざわざわに目をつむりおり愛に渇けば(17ページ)
わが野性たとえば木椅子きしませて牧師の一句たやすく奪う(17ページ)
われの神なるやもしれぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る(18ページ)
夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず(21ページ)
歌のなかの「われ」までもが、三人称で語られる文学の登場人物のように思えはしないだろうか。たとえば岩田正の『郷心譜』が見せていたような日常感、現実味というものが、ここにはぜんぜん存在しない。ただ、これも誤解を招きそうなので書いておきたいのだが、寺山修司の「われ」から現実味が感じられないというのは、けっして悪いことではない。良いとか悪いとか、そういうことではないのだ。小説作品で一人称と三人称のどちらが優れているか、というような議論がぜんぜん意味のないものであるのと、事情はまったく同じである。「われ」の存在から現実味が感じられないからといって、その「われ」の言葉が美しくないわけはないのだ。
下向きの髭もつ農夫通るたび「神」と思えりかかわりもなし(22ページ)
「雲の幅に暮れ行く土地よ誰のためわれに不毛の詩は生るるや」(23ページ)
目つむりて春の雪崩をききいしがやがてふたたび墓掘りはじむ(23ページ)
寝にもどるのみのわが部屋生くる蠅つけて蠅取紙ぶらさがる(28ページ)
コンクリートの歩道に破裂せる鼠見て過ぐさむく何か急ぎて(28ページ)
一本の骨をかくしにゆく犬のうしろよりわれ枯草をゆく(29ページ)
わが影を出てゆくパンの蠅一匹すぐに冬木の影にかこまる(30ページ)
蠅叩き舐めいる冬の蠅一匹なぐさめられて酔いて帰れば(30ページ)
以上はすべて第一歌集『空には本』に収められた歌で、この歌集に寄せられた「あとがき」的な文章も掲載されていた。
「新しいものがありすぎる以上、捨てられた瓦石がありすぎる以上、僕もまた「今少しばかりのこっているものを」粗末にすることができなかった。のびすぎた僕の身長がシャツのなかへかくれたがるように、若さが僕に様式という枷を必要とした。
定型詩はこうして僕のなかのドアをノックしたのである。
縄目なしには自由の恩恵はわかりがたいように、定型という枷が僕の言語に自由をもたらした」(「僕のノオト」『空には本』より、32~33ページ)
枷が自由をもたらす、というのは非常にウリポ的な考えかたで、個人的にはかなりテンションが上がってしまうのだが、この「僕のノオト」にはこれまで述べてきたことに関連する非常に重要なことが書かれているので、立ち止まることはせずにそちらを見てみよう。
「僕はどんなイデオロギーのためにも「役立つ短歌」は作るまいと思った。われわれに興味があるのは思想ではなくて思想をもった人間なのであるから」 (「僕のノオト」『空には本』より、33ページ)
「ただ冗漫に自己を語りたがることへのはげしいさげすみが、僕に意固地な位に告白癖を戒めさせた。
「私」性文学の短歌にとっては無私に近づくほど多くの読者の自発性になりうるからである」(「僕のノオト」『空には本』より、34ページ)
そう、言うまでもなく短歌というのは「「私」性文学」なのだ。「無私に近づく」というのは、内容を一般化しようというのではない。そうではなく、寺山修司は、三人称の立場から歌を詠む術を編み出した。これは、ただ「私」という語の代わりに登場人物の名が充てられたようなヘミングウェイ的な三人称ではない。それはむしろラディゲ、『肉体の悪魔』を一人称で書いたのち、ほとんど同じ話である『ドルジェル伯の舞踏会』を、今度は達観した三人称で語りなおしたラディゲに近い。ラディゲがこの二作品のあいだに体験したのと同じ思考の転換、つまりは革命が、十代の寺山修司にも起こったのかもしれない。第二歌集『血と麦』の「あとがき」にはこんな文章もあった。
「私はコンフェッション、ということを考えてみたこともなかった。だが、私個人が不在であることによってより大きな「私」が感じられるというのではなしに、私の体験があって尚私を越えるもの、個人体験を越える一つの力が望ましいのだ。私はちかごろSoul という言葉が好きである」(「私のノオト」『血と麦』より、83ページ)
この本には寺山修司が刊行したすべての歌集が発表順に収められていて、最初に書いたとおり、ごくごく薄い外観よりもはるかに収録歌数の多い一冊である。第一歌集『空には本』のあと、『血と麦』、『テーブルの上の荒野』、『田園に死す』、さらには「初期歌篇」と続くのだが、個人的な意見としては歌集というものにはもっと贅沢に紙幅を使ってもらいたいので、それぞれの歌集を分冊で文庫化しなおしてほしいと思ってしまう。歌が多すぎてありがたみに欠けるというか、一冊としてはちょっと詰め込みすぎなのだ。それに、寺山修司の短歌の性格というのは、最初の『空には本』だけでも、すでに明確に打ち出されている。
きみのいる刑務所の塀に自転車を横向きにしてすこし憩えり(37ページ)
きみのいる刑務所とわがアパートを地中でつなぐ古きガス管(37ページ)
一枚の葉書出さんとトラックで来し黒人も河を見ており(41ページ)
日あたりし非常口にて一本の釘を拾いぬ誰にも言わじ(41ページ)
運転手移民刑務所皿洗い鉄道人夫われらの理由(45ページ)
萌えながらむせぶ雑木よさよならを工作者宣言第一語とす(78ページ)
〈サンドバッグをわが叩くとき町中の不幸な青年よ 目を醒ませ〉(93ページ)
煮ゆるジャムことにまはりが暗かりきまだ党の歌信ずる友に(94ページ)
「革命だ、みんな起きろ」といふ声す壁のにんじん種子袋より(98ページ)
以上は、すべて『血と麦』以降の歌集より。上に見たのと同様に、「刑務所」や「黒人」や「革命」といった非日常的な語彙が一首を大きく跳躍させ、三人称文学の雰囲気を与えている。ただ、こういう言葉自体に非日常性が含まれているような語彙を用いた作品をわざわざ挙げなくても、寺山修司は日常的な語彙さえも非日常的な文脈で用いる、ということを忘れずに書いておきたい。
一匹の猫を閉じこめきしゆえに眠れど曇る公衆便所(38ページ)
流産をしたるわが猫ステッフィに海を見せたし童貞の日の(40ページ)
ピーナッツをさみしき馬に食わせつついかなる明日も貯えはせず(40ページ)
田螺噛み砕きてさむき老犬とだれを迎えに来し道程ぞ(49ページ)
酒臭き息もて何を歌うとも老犬埋めし地のつづきなり(50ページ)
汗の群衆哄笑をして見ていしが片方の犬噛み殺されぬ(59ページ)
車輪の下に轢かれし汗の仔犬より暑き舗道に蚤とびだせり(60ページ)
ねじれたる水道栓を洩るる水舐めおり愛されかけている犬(76ページ)
冬の犬コンクリートににじみたる血を舐めてをり陽を浴びながら(91ページ)
つひに子を産まざりしかば揺籠に犬飼ひてゐる母のいもうと(136ページ)
動物コレクションである。「犬」も「猫」も「馬」も、寺山修司の歌のなかでは単に可愛がるための対象ではなく、閉じこめられたり埋められたり、噛み殺されたりしている。なんともひどい仕打ちで、いちばん良い扱いでも「愛されかけている」。ひどすぎる。だが、これらびっくりするような文脈が、一首を非日常的なものにしているのは疑いようがない。
妊みつつ屠らるる番待つ牛にわれは呼吸を合はせてゐたり(103ページ)
孕みつつ屠らるる番待つ牛にわれは呼吸を合はせてゐたり(131ページ)
屠りたる野兎ユダの血の染みし壁ありどこを向き眠るとも(183ページ)
こちらは、屠殺コレクション。最初の二首は「妊み」が「孕み」になっている以外には違いがないが、こういう部分的に手を加えられた作品というのがこの歌集には少なくない数が掲載されている。屠殺の道具である斧や、ある意味では屠殺の前段階とも言えそうな狩猟がテーマになっている作品も数多い。
そのなかの弾痕のある一本の樹を愛すゆえ寒林通る(41ページ)
なまぐさき血縁絶たん日あたりにさかさに立ててある冬の斧(49ページ)
みずうみを見てきしならん猟銃をしずかに置けばわが胸を向き(68ページ)
わが遠き背後をたれに撃たれゐむ寒林にきく猟銃の音(101ページ)
旧地主帰りたるあと向日葵は斧の一撃待つほどの 黄(122ページ)
おとうとの義肢作らむと伐りて来しどの桜木も桜のにほひ(134ページ)
なかでも忘れがたいのが鳥の存在で、寺山修司の短歌作品のなかで鳥が登場するときは、たいていが撃たれたあとの死骸、狩猟の獲物としての存在である。だが、その目に映っているのは単なる獲物ではけっしてない。
うしろ手に墜ちし雲雀をにぎりしめ君のピアノを窓より覗く(60ページ)
わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ(64ページ)
撃たれたる小鳥かへりてくるための草地ありわが頭蓋のなかに(95ページ)
わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る(103ページ)
忘られし遠き空家ゆ 山鳩のみづから処刑する歌聞ゆ(118ページ)
雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌(166ページ)
失いし言葉かえさん青空のつめたき小鳥撃ちおとすごと(173ページ)
帆やランプ小鳥それらの滅びたる月日が貧しきわれを生かしむ(173ページ)
空撃ってきし猟銃を拭きながら夏美にいかに渇きを告げん(178ページ)
ごくまれに生きている鳥も登場してくるのだが、その文脈から生命を感じられるようなことはほとんどなく、寺山修司にとっての鳥という存在、言葉としての「鳥」がすでに特別なものであるというのが伝わってくる。
とばすべき鳩を両手でぬくめれば朝焼けてくる自伝の曠野(134ページ)
うらがはにひつそりと毛の生えてゐむ柱時計のソプラノの鳩(139ページ)
歳月がわれ呼ぶ声にふりむけば地を恋う雲雀はるかに高し(167ページ)
軒の巣はまるく暮れゆく少年と忘れし夏を待つかたちして(167ページ)
空のない窓が記憶のなかにありて小鳥とすぎし日のみ恋おしむ(174ページ)
雉子の声やめば林の雨明るし幸福はいますぐ摑まねば(171ページ)
この鳥が隠喩として出てくるとき、擬人化もとい、ひとが「擬鳥化」されているようなときには、その意味はより顕著である。上に挙げた〈わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ〉に見られるとおり、寺山修司にとっての鳥は妬みの対象、つまりは憧れなのだ。
もの言へば囀りとなる会計の男よ羞づかしき翼出せ(98ページ)
外套掛けに吊られし男しばらくは羽ばたきゐしが事務執りはじむ(99ページ)
会議室に一羽の鳥をとぢこめ来てわれあり七階旅券交付所(99ページ)
ある日われ蝙蝠傘を翼としビルより飛ばむかわが内脱けて(100ページ)
新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥(115ページ)
亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり(120ページ)
一枚の羽根を帽子に挿せるのみ田舎教師は飛ばない男(184ページ)
飛べぬゆえいつも両手をひろげ眠る自転車修理工の少年(184ページ)
小鳥屋の一籠ずつにこもりいる時の単位にわれを失えり(185ページ)
これほどまでに鳥を詠んだ歌の多い寺山修司だが、その背景には空に対する特別な想いがある。以下は鳥と空が一首のなかで同時に詠まれている歌。
雲雀の死告げくる電話ふいに切る目に痛きまで青空濃くて(60ページ)
遠い空に何かを忘れて来しわれが雲雀の卵地にみつめおり(174ページ)
肩よせて朝の地平に湧きあがる小鳥見ており納屋の戸口より(179ページ)
「囚われしぼくの雲雀よかつて街に空ありし日の羽音きかせよ」(181ページ)
空を逐われし鳥・時・けものあつまりて方舟めけりわが玩具箱(182ページ)
空は本それをめくらんためにのみ雲雀もにがき心を通る(184ページ)
空を詠んだ歌は驚くほどたくさんあって、どれも言葉としての「鳥」と同様に、特別な意味が与えられている。寺山修司にとっての「空」、というテーマで論文が書けそうなほどだ。そんなもの、あってもわたしはぜったいに読まないだろうけれど。正直に告白すると、わたしがこんなふうに共通する語句が登場する歌を並列しているのは、引きたい歌が多すぎて収拾がつかなくなったからである。自分が気に入った歌をちょっと整理してみようという以上の意味はない。
無名にて死なば星らにまぎれんか輝く空の生贄として(50ページ)
歌ひとつ覚えるたびに星ひとつ熟れて灯れるわが空をもつ(55ページ)
けたたましくピアノ鳴るなり滅びゆく邸の玻璃戸に空澄みながら(59ページ)
高度4メートルの空にぶらさがり背広着しゆゑ星ともなれず(98ページ)
大いなる欅にわれは質問す空のもつとも青からむ場所(99ページ)
呼ぶたびにひろがる雲をおそれゐき人生以前の日の屋根裏に(124ページ)
漂いてゆくときにみなわれを呼ぶ空の魚と言葉と風と(174ページ)
夜にいりし他人の空にいくつかの星の歌かきわれら眠らん(176ページ)
青空に谺の上にわれら書かんすべての明日に否と書かんと(177ページ)
滅びつつ秋の地平に照る雲よ涙は愛のためにのみあり(177ページ)
青空より破片あつめてきしごとき愛語を言えりわれに抱かれて(180ページ)
理科室に蝶とじこめてきて眠る空を世界の恋人として(180ページ)
空を大きな甕のごとくに乗せてくる父よ何もて充たさんつもり(181ページ)
青空はわがアルコールあおむけにわが選ぶ日日わが捨てる夢(182ページ)
たそがれの空は希望のいれものぞ外套とビスケットを投げあげて(183ページ)
海を詠んだ歌も数多く、最初にあげた有名な一首〈海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり〉以外にも、すばらしいものがたくさんあった。
まっくらな海に電球うかびおりわが欲望の時充ちがたき(41ページ)
死ぬならば真夏の波止場あおむけにわが血怒濤となりゆく空に(44ページ)
うたのことば字にかくことももどかしく波消し去れりわが祝婚歌(47ページ)
許されて一日海を想うことも不貞ならんや食卓の前(56ページ)
壜詰の蝶を流してやりし川さむざむとして海に注げり(101ページ)
灯台に風吹き雲は時追えりあこがれきしはこの海ならず(167ページ)
少年のわが夏逝けりあこがれしゆえに恐れし海を見ぬまに(169ページ)
遠き帆とわれとつなぎて吹く風に孤りを誇りいし少年時(170ページ)
やがて海へ出る夏の川あかるくてわれは映されながら沿いゆく(171ページ)
海よその青さのかぎりなきなかになにか失くせしままわれ育つ(175ページ)
海のない帆掛船ありわが内にわれの不在の銅羅鳴りつづく(182ページ)
寺山修司にとっての故郷、つまりは青森県を詠んだいわゆる望郷歌も数多くあり、それに関連して父や母が登場してくることもあった。だが、これら語彙としての「父」も「母」も、やはり文学作品のなかの登場人物という雰囲気を強くまとっていて、寺山修司の現実の父母とはぜんぜん関係がないと思わずにはいられない。
つきささる寒の三日月わが詩もて慰む母を一人持つのみ(49ページ)
冬海に横向きにあるオートバイ母よりちかき人ふいに欲し(52ページ)
母売りてかへりみちなる少年が溜息橋で月を吐きをり(107ページ)
言葉葬けむりもあげずをはるなり紙虫(しみ)のなかなる望郷の冬(109ページ)
ひとの故郷買ひそこねたる男来て古着屋の前通りすぎたり(125ページ)
老父ひとり泳ぎをはりし秋の海にわれの家系の脂泛きしや(126ページ)
吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず(127ページ)
わが息もて花粉どこまでとばすとも青森県を越ゆる由なし(137ページ)
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし(165ページ)
ふるさとにわれを拒まんものなきはむしろさみしく桜の実照る(166ページ)
初めに引用した『空には本』からの数首に見られるとおり、寺山修司の短歌では「父」はすでに亡きものとして登場してくることが多いのだが、同様に「叔父」も、死に取りつかれた存在として描かれていることが多い。死というのは一般的には非日常の極みだが、寺山修司が死を詠むときには、ほかの歌があまりにも非日常的な印象を与えてくるためか、反対にとても自然な、ごくごく日常的なことのように見えてくる。人間はだれでもいつかは死ぬ、という当たり前のことを、ひとは普段忘れて生きている、そうでなければ生きられないものだが、寺山修司の死は日常と目に見えて連続していて、だからこの非日常に溢れた歌集のなかでは奇妙な現実味を帯びているのかもしれない。それは寺山修司の歌集に収められているということの文脈がもたらす効果なのかもしれないので、一首をぜんぜん別のかたちで目にしたら状況はちがってくるのかもしれないけれども。
冬井戸にわれの死霊を映してみん投げこむものを何も持たねば(52ページ)
町裏で一番さきに灯ともすはダンス教室わが叔父は 癌(86ページ)
酔ひどれし叔父が帽子にかざりしは葬儀の花輪の中の一輪(87ページ)
幾百キロ歩き終りし松葉杖捨てられてある 老人ハウス(89ページ)
ジュークボックスにジャズがかかればいつも来るポマード臭ききみの悪霊(91ページ)
花好きの葬儀屋ふたり去りしあとわが家の庭の菊 首無し(106ページ)
いまだ首吊らざりし縄たばねられ背後の壁に古びつつあり(117ページ)
川に逆らひ咲く曼珠沙華赤ければせつに地獄へ行きたし今日も(117ページ)
鋸の熱き歯をもてわが挽きし夜のひまはりつひに 首無し(121ページ)
また、以下は「初期歌篇」に収められた一連、「夏美の歌」より。この一連に収められた作品はすでに上にもいくつか引いているのだが、この作風のぶれなさには驚いてしまう。若書き、というような概念は、寺山修司には存在しない。
君のため一つの声とわれならん失いし日を歌わんために(176ページ)
空にまく種子選ばんと抱きつつ夏美のなかにわが入りゆく(176ページ)
木や草の言葉でわれら愛すときズボンに木洩れ日がたまりおり(177ページ)
木がうたう木の歌みちし夜の野に夏美が蒔きし種子を見にゆく(178ページ)
藁の匂いのする黒髪に頬よせてわれら眠らん山羊寝しあとに(178ページ)
帆やランプなどが生かしむやわらかき日ざしのなかの夏美との朝(179ページ)
青空のどこの港へ着くとなく声は夏美を呼ぶ歌となる(179ページ)
どのように窓ひらくともわが内に空を失くせし夏美が眠る(179ページ)
空を呼ぶ夏美のこだまわが胸を過ぎゆくときの生を記憶す(180ページ)
わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして(180ページ)
わが埋めし種子一粒も眠りいん遠き内部にけむる夕焼(183ページ)
水草の息づくなかにわが捨てし言葉は少年が見出ださむ(184ページ)
わが内に獣の眠り落ちしあとも太陽はあり頭蓋をぬけて(185ページ)
以下、自分が読んでいて「これは!」と思った歌を、もう手当たり次第に挙げていく。収録歌数が多すぎ、気に入った歌も多すぎるのだ。なにせ歌集五冊分である。
地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり(36ページ)
大声で叫ぶ名が欲し地下鉄の壁に触れきしシャツ汚れつつ(42ページ)
地下鉄の汚れし壁に書かれ古り傷のごとくに忘られ、自由(42ページ)
砂糖きびの殻焼くことも欲望のなかに数えんさびしき朝は(43ページ)
ドラム罐に顎のせて見るわが町の地平はいつも塵芥吹くぞ(46ページ)
電線はみなわが胸をつらぬきて冬田へゆけり祈りのあとを(51ページ)
寝台の上にやさしき沈黙と眠いレモンを置く夜ながし(53ページ)
きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする(54ページ)
悲しみは一つの果実てのひらの上に熟れつつ手渡しもせず(56ページ)
愛されているうなじ見せ薔薇を剪るこの安らぎをふいに蔑む(64ページ)
地下鉄の入口ふかく入りゆきし蝶よ薄暮のわれ脱けゆきて(68ページ)
胸の上に灼けたる遮断機が下りぬ正午はだれも愛持たざらん(70ページ)
壁となる前のセメント練り箱にさかさにわれの影埋めらる(79ページ)
田園の痛みは捨てて帰らんか大学ノートまで陽灼けして(80ページ)
思い出すたびに大きくなる船のごとき論理をもつ村の書記(81ページ)
ただ、ちょっと矛盾しているように見えるかもしれないが、寺山修司の短歌については、どの一首が特別に好き、というような、作品ごとの個別の愛着というのがあまり湧いてこない。そういう意味では、この歌集の読後感は長篇小説によく似ている。長篇小説を読んでいる最中、とびきり気の利いた一行に出会うことが小説全体の印象を変えてしまうように、この歌集のなかでの一首は、「寺山修司の短歌」というひとつの大きな作品のなかの細部として映るのだ。
アスピリンの空箱裏に書きためて人生処方詩集と謂ふか(88ページ)
地下鉄の真上の肉屋の秤にて何時もかすかに揺れてゐるなり(88ページ)
撞球台の球のふれあふ荒野までわれを追ひつめし 裸電球(88ページ)
刺青の菖蒲の花へ水差にゆくや悲しき童貞童子(112ページ)
地平線縫ひ閉ぢむため針箱に姉がかくしておきし絹針(115ページ)
生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘(116ページ)
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき(116ページ)
子守唄義歯もて唄ひくれし母死して炉辺に義歯をのこせり(121ページ)
見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし(122ページ)
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭(124ページ)
わが切りし二十の爪がしんしんとピースの罐に冷えてゆくらし(126ページ)
息あらく夜明けの日記つづりたり地平をいつか略奪せむと(131ページ)
挽肉器にずたずた挽きし花カンナの赤のしたたる わが誕生日(132ページ)
針箱に針老ゆるなりもはやわれと母との仲を縫ひ閉ぢもせず(133ページ)
わかれ来て荒野に向きてかぶりなほす学帽かなしく桜くさし(135ページ)
だから、寺山修司の短歌と向き合っていても、これは好きだけどあれは嫌い、というような感情は働いてこない。どれか一首を、というような愛し方はできないと思うのだ。「寺山修司の短歌」が好きか嫌いか、という二者択一しか存在しないようにさえ思える。つまりは、「寺山修司の短歌」が好き、となった途端に、彼の短歌すべてが気に入った歌になってしまう。
春の野にしまひ忘れて来し椅子は鬼となるまでわがためのもの(145ページ)
地球儀の陽のあたらざる裏がはにわれ在り一人青ざめながら(149ページ)
とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を(162ページ)
夏川に木皿しずめて洗いいし少女はすでにわが内に棲む(163ページ)
秋菜漬ける母のうしろの暗がりにハイネ売りきし手を垂れており(164ページ)
煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし(164ページ)
夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき(165ページ)
知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空箱(165ページ)
倖せをわかつごとくに握りいし南京豆を少女にあたう(166ページ)
わが夏をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る(168ページ)
失いし言葉がみんな生きるとき夕焼けており種子も破片も(173ページ)
駈けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ(175ページ)
「今日までの私は大変「反生活的」であったと思う。そしてそれはそれでよかったと思う。だが今日からの私は「反人生的」であろうと思っているのである」(「私のノオト」『血と麦』より、83ページ)
「地球儀を見ながら私は「偉大な思想などにはならなくともいいから、偉大な質問になりたい」と思っていたのである」(「跋」『田園に死す』より、158〜159ページ)
ところで、じつにいまさらながら、この歌集には純粋な短歌以外の作品も収められている。いや、まるきり短歌と縁のない作品というのではなく、『テーブルの上の荒野』や『田園に死す』に収められた「新・病草紙」や「新・餓鬼草紙」といった、歌物語的な散文が収録されているのだ。その語り口が非常におもしろい。
「まことに今宵は書斎の里のざこ寝とて定型七五 花鳥風月 雅辞古語雑俳用語、漢字ひらがな、形容詩詞にかぎらず新旧かなづかひのわかちもなく みだりがはしくうちふして 一夜は何事も許すとかや。いざ、是より、と朧なる暗闇に、さくら紙もちてもぐりこめば、筆はりんりんと勃起をなし、その穂先したたるばかり。言葉之介、一首まとめむと花鳥風月をまさぐれば、まだいはけなき姿にて逃げまはるもあり。そのなかをやはらかく こきあげられて絶句せるは、老いたる句読点ならむか」(108〜109ページ)
以下の「新・病草紙」は、ぞっとするほど愉快で、ちょっと稲垣足穂の『一千一秒物語』を思わせる。
「ちかごろ男ありけり、風病によりて、さはるものにみな、毛生ゆるなれば、おのれを恥ぢて何ごとにも、あたらず、さはらず。ただ、おのがアパートにこもりて、妻と酒とにのみかかはりあひて暮しゐたり」(138ページ)
「ちかごろ、自殺はかりたる男、わけを訊きたれば時計おそろしと云ふ。古き柱時計に首縊りたる老母の屍の、風に吹かるる振子におのが日日を刻まるるは、ただ、おぼつかなし。されば、ひとの決めたる「時」にて、おのが日日を裁断さるるはゆるしがたく、みづから時計にならむとはかりぬ」(143ページ)
「ちか頃、縊りの病といふあり。細紐と見たれば縊りたきこころ、おさへがたきものなり。
水仙の花あれば木にそを縊り、花嫁人形あれば、そを縊る。その患者ゆくところ、縊られざるものはなし。みな、患者のふかきふかき情のあらはれゆゑ、ひとかれを詩人と呼ぶこともあり」(147ページ)
歌物語、と書いたとおり、これらの散文には短歌が登場してくるのだが、それらの作中歌が寺山修司の普段の作品とぜんぜん変わらないということにも注目したい。じつはここに登場する歌も、上の膨大な引用のなかに含ませているのだが、どれが作中歌かなんて、言われなければぜったいにわからないだろうと思う。
「花食ひたし、という老人の会あり。槐、棕櫚、牡丹、浦島草、茨、昼顔などもちよりて思案にくれてゐたり。一の老、鍋に煮て食はむと言へども鍋なし。さればと地球儀を二つに割りて鍋がはりに水をたたえて花を煮たれど、花の色褪めて美食のたのしびうすし。また二の老、焼き花にせむと火の上に串刺しの花をならべて調理するも、花燃えてすぐにかたちなし。されば三の老、蒸し花、煎り花料理をこころみしが、これも趣きなし。花は芍薬、罌粟、紫蘭、金魚草などみな鮮度よければ、なまのまま食はむと四の老言ひて盛りつけたれど、老、口ひらくことせまく、花を頬ばり、咀嚼すること難し」(151〜152ページ)
「無才なるおにあり、名づくる名なし、かたちみにくく大いなる耳と剝きだしの目をもちたり。このおに、ひとの詩あまた食らひて、くちのなか歯くそ、のんどにつまるものみな言葉、言葉、言葉―ひとの詩句の咀嚼かなはぬものばかりなり」(154ページ)
そう考えてみると、やはり寺山修司の短歌は三人称文学なのだ、と、最初に書いたことをあらためて強く思う。この本には中井英夫による「解説」も付されていて、読んでいて酔っぱらいそうになるすばらしい文章だった。一節だけ引用する。
「いったい、十六年という歳月は、長いのか短いのか、どちらだろう。むろん作者にとっても、それはどうともいえないはずだが、変貌という点ではめざましく、出現の当時が十八歳、早稲田の教育学部の学生だったのが、現在は劇団天井桟敷の主宰者で前衛演劇の中心人物となり、その成果を世界の各国に問うているのを見ても肯けよう。一方、千年の歴史を持つ短歌の中においてみると、その年月は、あたかも掌から海へ届くまでの、雫の一たらしほどにもはかない時間といえる。だがこの雫は、決してただの水滴ではなく、もっとも香り高い美酒であり香油でもあって、その一滴がしたたり落ちるが早いか、海はたちまち薔薇いろにけぶり立ち、波は酩酊し、きらめき砕けながら「いと深きものの姿」を現前させたのだった」(中井英夫「解説」より、186~187ページ)
以下、特に気に入った一首。上に散々書いたとおり、この歌人について一首を抜き出すというのはあんまり意味のあることには思えない。まあ、この「気に入った一首」に意味があったことなどないのではあるが。
歌ひとつ覚えるたびに星ひとつ熟れて灯れるわが空をもつ
思えばこの本を読み終えたのは十月のことで、なにを書くべきか丸々三か月も悩んでいた。結果として、気に入った歌はすべて引用し、思いついたことはぜんぶ書く、という、いちばんまとまりのない、最低な方法に至ったわけだが、ちょっとほかにどうしようもなかったというのが正直なところだ。完全に沈黙するか、愚にもつかないことを書きまくるかの選択肢しかなかったので、後者を採用したまでである。この文章は、完全に自分だけのためのものだ。三か月ものあいだ、この『青春歌集』は常にわたしの鞄のなかにあったわけだが、それでもまだこの歌集を読み終えた気にはぜんぜんなれない。この奇妙な関係を年内に一区切りさせたかっただけなので、たぶん今日ここに書いたことを近いうちに後悔して、また読みふけることになるのだろう。この本を読み終える日は、けっして訪れないと思う。
〈読みたくなった本〉
中井英夫『黒衣の短歌史』
黒衣の短歌史 - 中井英夫全集 第10巻 (創元ライブラリ)
- 作者: 中井英夫
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2002/02/22
- メディア: 文庫
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