増殖する「ナショナリズム」の正体――なぜハマるのか
今回は本では無く、講演報告を紹介します。
宮台真司の友人ということで忌避していた北田暁大の講演です。まず書いておかなければならないのは、良いこと言ってる。避けていたのは間違いだったと、書かなければならないです。
批判すべき箇所も多々みられるものの、総合的に見て彼は僕と同じ問題意識を持つ人でした。
北田暁大「増殖する「ナショナリズム」の正体――なぜハマるのか」『国連・憲法問題研究会講演報告37集』国連・憲法問題研究会、2005年7月講演、2006年3月出版。
以下目次。
増殖する「ナショナリズム」の正体――なぜハマるのか
若者たちの「ナショナリズム」
反シミン・反サヨク的感性
力を持つネット言説
アイデンティティを補填するメディア
世界の中心で「自分萌え」を叫ぶ
極私的リアル
世界との短絡
保守的現実主義の志向
形式主義としての「反シミン主義」
徴候としての小林よしのり
否定神学的な言説のスタイル
情報操作への敗北
否定の対象として構築された「サヨク」
質疑応答
アンケート
資料
彼は現代の「ナショナリズム」を従来の「右」的なものと分けて考え、それらのアーキュレイトを認めた上で異なるものとして批判を加えています。
現代の若者は2chなどの掲示板において、ラディカルな発言を全て「シミンだ」と言って拒絶します。それが「反シミン主義」で、教理の発信源を小林よしのりに位置づけ、「シミン」批判の対象には「サヨク」「フェミニスト」「旧保守的右翼」など、「世論の代表のような言い方をする」全ての人々が当てはまります。
こういった北田の危惧する現状打破の方法がわからないまま講演は終わってしまうのですが、それでも述べていることは評価されるべきだと思いました。
自分なりに考えた方法では、やはりまず「教養主義の没落」という現象をどうにかしなければならない。その解決案の一つとして、やはり「高等教育の無償化」が求められるべきだと思います。意見を全て「シミン」と退ける彼らに議論で勝つことはできません。社会から変わらなければ本質的な問題解決は不可能でしょう。
「反シミン主義者」たちが旧式の意味合いでの「ナショナリズム」を標榜している、と位置づけるのは不適当である、といった言及もあります。姜尚中が唱える「ネオナショナリズム」や小熊英二の「〈癒し〉のナショナリズム」といった概念が踏襲されているように感じられました。
「質疑応答」で興味深いのは、彼が宮台真司を批判していることです。
「宮台さんはアジア主義とか、天皇主義の語り口を持ち出して、こちら側に回収してくる戦略だと思う。果たして、それが有効なのか」
という質問に対して、
「宮台真司さんは基本的にリベラリストと表明されていますが、最近は亜細亜主義や天皇というのを持ち出してきている。そういう右派的とも見えるロマン的な対象を差し出すことによって、人々を善導していこうという戦略をとっているようです。本人は、あえてやっているのであり、本気ではないという言い方もするわけですが。
私はそうした戦略に疑問を持っています。彼がよく出すのは北一輝の議論です。「ネーション」「天皇」にコミットするふりを見せて、世論をよい方向に持っていきたい、と。その気持ちは解りますが、やはり問題があるのではないか。そう考える最大の理由は、「左派的な語り口がだめだから、右派的な語り口だ」となると、現状肯定と大差ないような気がするということです。
(中略)
宮台さんのように、よりよいロマン主義を与えようという立場では、足元をすくわれる。構造の再生産に結果的に寄与してしまう。ミイラ取りがミイラになるだけだと私は思います。」
意見が対立すると思っていたのに、かなり頷ける箇所が多かったのに驚きました。
現代日本においてカルチュラル・スタディーズの一つの形態として「サブカル」が流行しているのは「教養主義の没落」に対する一つの鍵となるかもしれません。
30年遅れで日本においてカルチュラル・スタディーズが入ってきたのは、歴史的文脈において重要なことだと感じました。宮台真司のように方向性を誤らなければ。