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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

『こころ』は本当に名作か

仲良しの書店員さんが勧めてくれた新刊。まさか自分が新潮新書を読むことになるとは思わなかった。

『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)

『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)

 

小谷野敦『『こころ』は本当に名作か――正直者の名作案内』新潮新書、2009年。


タイトルの通り、著者の主観に基づいた名作リストである。漱石や鴎外、ドストエフスキースタンダールが否定され、トルストイヘンリー・ジェイムズがかなり高い評価を受けている。

元々の趣旨が良い。ハロルド・ブルームのキャノンリストを、日本人向けに、しかもかなり主観的に作ろうというのだ。文学とは、あくまでも個人的なものである。そう考えると、著者の毒舌も当然のものだ。

以下、紹介されている作品を列挙する。

<最高級の名作>
紫式部源氏物語
シェイクスピア
ホメロス『イーリアス』『オデュッセイア』
ギリシャ悲劇(アイスキュロスソフォクレスエウリピデス)

<トップクラスの名作>
セルバンテス『ドン・キホーテ』
スウィフト『ガリヴァー旅行記』
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
ルソー『孤独な散歩者の夢想』
オースティン『高慢と偏見『エマ』
バルザック『従妹ベット』
ユーゴーレ・ミゼラブル
ディケンズ『荒涼館』
シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア
ポオの短編
メルヴィル『モービィ・ディック』
デュマ『モンテ・クリスト伯
トルストイ『クロイツェル・ソナタ』
ゴンチャロフオブローモフ
トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』『王子と乞食』
ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』
水滸伝』他、シナ白話小説

<日本のトップレベル作家>
曲亭馬琴南総里見八犬伝
泉鏡花『草迷宮』「歌行燈」
川端康成
谷崎潤一郎細雪』『吉野葛

<二位級の名作>
後深草院二条とはずがたり
二葉亭四迷
尾崎紅葉『多情多恨』
田山花袋『蒲団』
近松秋江『別れたる妻に送る手紙』『黒髪』
有島武郎『或る女』
宮本百合子『伸子』
太宰治
ロンゴス『ダフニスとクロエ』
ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』
ラクロ『危険な関係
フロベール『感情教育』
ゾラ『ナナ』『居酒屋』
ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』
プルースト失われた時を求めて
ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』
ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』
マーガレット・ミッチェル風と共に去りぬ
シェンキェヴィチ『クォ・ヴァディス』
ヘンリー・ミラー『北回帰線』
フォースター『ハワーズ・エンド

ほとんど目次を写しただけであるが、一目見るだけで、実際に読んだ上での選択だとわかる。トウェインで選ばれているのが『ハックルベリー・フィンの冒険』であるのは当然だが、ゲーテ『ファウスト』第二部を「理解できなかった」と断言し、リストから外せる文学者はそうそういないだろう。『嵐が丘』は選ばれず、『ジェイン・エア』は選ばれている。トルストイ『クロイツェル・ソナタ』。主観とは恐ろしいものである。田山花袋近松秋江をここまで持ち上げることも中々できないだろう。

その恐るべき主観が痛快に語られているのが、以下の<私には疑わしい「名作」>である。

<私には疑わしい「名作」>
夏目漱石
森鴎外
ドストエフスキー
スタンダール
トーマス・マン
ワイルド
フォークナー
ヘミングウェイ
フィッツジェラルド
テネシー・ウィリアムズ
ダンテ『神曲
近松門左衛門
井原西鶴
上田秋成
樋口一葉
志賀直哉
永井荷風
芥川龍之介
三島由紀夫

思わず「待て待て」と言いたくなるものもあるが、読むと何となく理解できる。「ああ、この人はこういうのが嫌いなんだね」といった感じに。ただ不安なのは、この本を読んだ人が小谷野の理由を振りかざして最後に挙げたリストの作家たちを卑下しないかどうかだ。読者の良識に期待するしかないが、新潮新書の読者に何を期待できるというのか。でも、逆に興味が湧くかもしれない。そういう意味でも、読みたい本が増える本。

一時間もあれば読めてしまうので、面白半分に手に取ってみるのもいいかもしれない。

『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)

『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)

 

追記(2014年10月3日):ついでにハロルド・ブルームのキャノンリストを一望できる本を挙げておく。

The Western Canon: The Books and School of the Ages

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