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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ソドム百二十日

登場する変態の数があらゆる文学の中でも最も多いと噂される、サドの未完の小説。ずいぶん前に読んだ巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』の中では、ある種のユートピア文学としても紹介されていた。

ソドム百二十日 (河出文庫)

ソドム百二十日 (河出文庫)

 

マルキ・ド・サド澁澤龍彦訳)『ソドム百二十日』河出文庫、1991年。


中編小説三本立ての一冊である。目的はもちろん表題作の「ソドム百二十日」、他には「悲惨物語」と「ゾロエと二人の侍女」という作品が併録されている。

「さよう、わたしは自分の気紛れに奉仕させるため、数限りない些やかな秘密の放蕩を隠蔽するためにこそ、女を求めているのです。秘密の放蕩を覆いかくすには、結婚という隠れ蓑がもっともよろしい。一口に申しあげれば、あなたがわたしの娘を求めておられるごとく、わたしも彼女を求めているのですよ。あなたの目的と欲望を、わたしが知らないとでもお思いですか? わたしたち道楽者は、女を奴隷のごとくに扱うものでしてな。情婦より妻という名目の方が、はるかに女は従順になるものです。わたしたちの味わう快楽において、専制主義というものがどんなに貴重なものであるかは、あなたもよく御存じでしょう」(「ソドム百二十日」より、11ページ)

表題作はあまりにも読者を振り切っていて、読んでいると下品な笑いが止まらなくなる。これは四十六人の男女が百二十日間に渡って繰り広げる大乱交パーティーの模様を描こうとしたもので、長篇として構想されたものの結局「序章」と「第一部」しか書かれることはなく、澁澤訳の本書ではさらにその内の「序章」のみが収録されている。紙幅のほとんどが登場人物たちの紹介に費やされているものの、それでも文庫本で100ページほどもあるので読み応えは十分、正直この小説が構想通りに書き上げられていたとしても読みこなすことができたかどうかは甚だ疑わしい。

「ジュリーの父親ブランジ公爵は、デュルセの娘コンスタンスの夫になる。
 コンスタンスの父親デュルセは、法院長の娘アデライドの夫になる。
 アデライドの父親キュルヴァル法院長は、公爵の姉娘ジュリーの夫になる。
 そして最後にアリーヌの叔父であり父親である司教は、このアリーヌを友人たちに譲り、しかも彼女に対する自分の権利は相変らず保存しつつ、他の三人の娘たちの夫になる。ざっとこういった取りきめであった」(「ソドム百二十日」より、12~13ページ)

結婚と新婦たちの交換という、あまりにも男性中心的に策定されたのが上記の契約である。中心人物となる四人の男たちはいずれ劣らぬ道楽者揃いで、彼らの紹介を見ていると背筋が凍る。何せ「犯したことのない犯罪などただの一つもない」という人物が小説全体を通じて三人も出てくるのだ。これはもはや不道徳云々などというレベルではなく、称揚されているのは純然たる悪徳の美なのである。

「で、彼らはこの楽しい結婚式を挙行するために、ブルボネ地方にあった公爵の風光明媚な土地へおもむいたが、そこでどんな乱痴気騒ぎが行われたかは、諸君の想像にお任せすることにする。作者としては、今後もこういった種類の乱痴気騒ぎの模様をたびたびお伝えしなければならないので、ここで筆に任せてお楽しみにふけっているわけには行かないのである」(「ソドム百二十日」より、13ページ)

快楽の徹底的な追求が地獄絵図を描き出すというのは奇妙なことである。巖谷國士が再三繰り返しているように「ユートピアなのかディストピアなのか」という議論にはもともと意味がない。「ユートピアというものを完璧に構築した場合、そこは地獄に近くなる」という巖谷の言葉は、この「ソドム百二十日」によって完全に立証されているのだ。

「ソドムとゴモラ以来だれも考えおよばなかったような、あらゆる淫行が演じられた」(「ソドム百二十日」より、14ページ)

サドはこの小説を革命前夜のバスティーユ牢獄の中で書いていた。フランス革命の混乱で書き上げられていた原稿が散逸してしまったため、執筆を続けることを断念せざるを得なかったのだが、もし「ソドム百二十日」が完成していたらそれは性の百科全書となっていただろう。読んでみたい気もしないではない。尚、青土社から刊行されている佐藤晴夫訳では澁澤が訳さなかった第一部も収録されているそうだ。

「際限というものを一切認めない放埒の精神は、自然や社会の慣習が大事に保護すべきものを、強いて汚穢の泥にまみれさせれば、それだけ奇妙に燃えあがるのであった」(「ソドム百二十日」より、15ページ)

サドは小説家というよりも哲学者に近い。道徳観念そのものに異議を投げかけているのは言うまでもなく、その女性蔑視とそこからくる女性器への嫌悪を見ていると、彼がいかに既存の観念に反する立場にいたかが見てとれる。「ソドム百二十日」の登場人物たちによる性交はほとんど肛門によって為され、よって対象が女性である必要もないのだ。大乱交パーティーに参加する者の半分が男性であるのはそういった理由に依り、ここでは美少年は美少女よりも懇ろに扱われている。とはいえ、それも所詮性具としてでしかないのではあるが。

「この世でまことの幸福を得るには、人間はあらゆる悪徳に耽溺するばかりか、たった一つの美徳をも絶対に許してはならない、つねに悪をなすことのみが問題であるばかりか、絶対に善を行わないことすら肝要である」(「ソドム百二十日」より、18ページ)

「秘密にすれば何でもできないことはないので、いやしくも悪徳のなかに足を突っこんだ道楽者であれば、殺人というものがいかに肉欲に対して偉力をふるうものであるか、いかに完頂を小気味よく促進するものであるか、その辺の事情はちゃんと知っているものなのである。これは一つの真実であって、この学説はこの本のなかでいろいろな形に展開されるはずだから、読者諸子もこれくらいのことは予備知識として知っておいた方がよい」(「ソドム百二十日」より、27ページ)

絶対に善を行わないこと。たびたび原著者の声として響くサドの解説は、常識というものがここでは何の役にも立たないことを立証してやまない。それは批判精神がもたらす一つの帰結である。人びとが信奉している形而上学そのものに異議を唱えることで、サドは悪人としてのレッテルを貼られながらも哲学者としての確固たる地位を獲得しているのだ。

「道楽というものの実に奇妙な効能は、道楽者と同じ欠点をもっている女よりも、一途に美徳を信奉している女の方が、ともすると快楽において道楽者の気に入られるという、まことにおかしな結果を生ずるのである。道楽者に似ている女が、道楽者を見て眉をひそめることはなかろうが、一途に美徳を信奉している女は、かならずや道楽者を見て肝をつぶすだろう。ここにこそ、より確実な魅力の生ずる所以があるのである」(「ソドム百二十日」より、43ページ)

「もし以上のような説明が諸子の心胆を寒からしめるようであるならば、ただちにこの本を読みつづけることを止めていただきたい。なぜかといえば、すでに明らかなとおり、この本の筋立はあまり醇風美俗にかなうものではないし、またあらかじめお答えしておかなければならないが、この本の立ち入った内容は、さらにもっと醇風美俗に反するものとなるだろうからである」(「ソドム百二十日」より、47ページ)

既存の観念がいかに脆弱なものであるか、法律や社会契約がどれほど信用に値しないものであるか、サドは告発する手を決してゆるめない。異常なものをこそ崇めるようになると、人は美よりも醜を好むようにさえなる。

「美とは単純なものであり、醜とは異常なものである。そして燃えるような想像力というものはすべてかならず、単純なものよりも、淫蕩における異常なものを好むものなのである。美とか瑞々しさとかは、単純な感覚を揺り動かすことしかできないが、醜とか、堕落とかは、より強烈な打撃を与えることができるので、感覚の震動はさらに大きくなり、したがって当然、昂奮はさらに激しくなる」(「ソドム百二十日」より、65ページ)

「彼女自身の言うところによれば、生涯を通じて、テレーズは尻を拭いたことが一度もなく、したがってそこには、明らかに子供の頃の糞がまだ残っているはずだった。玉門はどうかと言えば、そこはあらゆる汚物とあらゆる醜悪の集積所で、悪臭のため近寄る人を昏倒させかねまじい、墓穴のようなものだった」(「ソドム百二十日」より、67ページ)

重要なのはここで描かれる地獄絵図が、見る人によっては楽園としても映るということである。ユートピアディストピアであるのと同様に、ディストピアもまたユートピアなのである。その感覚の麻痺・揺らぎこそが、サドを読む上で最も大切なことのように思える。

「猫かぶりで、嫉妬ぶかくて、横柄で、手練手管にたけていて、気ちがいじみた信心家、これが女です。陰険で、浮気で、残酷で横暴、これが亭主です。要するに地上の人間というのは、みんなそんなものです、奥さん。無いものねだりはやめましょう」(「悲惨物語」より、126ページ)

さて、「ソドム百二十日」が唐突に終わりを告げると、次にはこの「悲惨物語」が待っている。こちらで書かれていることもやはり既存の観念に対する疑義であり、「ソドム百二十日」よりも一層明確に女性(特に母性)に対する嫌悪・侮蔑が表われている。

「この世には確実なものなどひとつもありはしません。賞讃や非難に値するものなど何もありはしません。褒賞や懲罰にふさわしいものなど、何もありはしないのです。ある場所で不正とされるものが、五百里離れた場所で合法的と認められるのに事欠くような場合は、まず絶対にありえないのです。つまり、一言を以てするならば、確実な悪とか一定不変の善とかいうものは、この世のどこにもないということです」(「悲惨物語」より、159~160ページ)

思考様式そのものの変革を迫る一文である。「確実な悪とか一定不変の善とかいうものは、この世のどこにもない」。この視点が根幹になかったならば、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を書くこともなかっただろうし、フロベール『感情教育』を書くこともなかっただろう。事物の多面性を汲み取り、既存の観念を取り払おうとする姿勢の重要性は、後に構造主義哲学の論者が様々な分野で語ったことでもある。

「おお、愛するやさしい友よ、決心しておくれ、おまえは二つに一つを選ぶしかないのだ。しかも、いずれを選ぼうとも、おまえは親殺しになり、罪の短刀で心臓を突き刺すことをまぬがれるわけには行かないのだ」(「悲惨物語」より、194ページ)

三つ目の「ゾロエと二人の侍女」は、物語としての質も圧倒的に落ちる駄作である。澁澤龍彦による「あとがき」でこれがサドの手によるものではないと言明されていたのを見て心底安心した。登場人物が多い割に彼らの再登場する機会は少なく、奇を衒った構成も判りにくい。だが、これがサドの著作でないとしても面白い一文はあった。

「みだらな描写によってはじめて魂の喜悦をおぼえるといったようなひとは、せいぜい作者を非難するがよい。作者はそのようなひとたちの非難を受けることを、むしろ名誉とするものだ。快楽に変化をつけたり長びかせたりするために、恋人たちはいろいろな姿勢を発明するものだが、そういったようなものはすべて遠慮のヴェールでつつんでしまう必要がある。これこそ物語作者に課された一つの義務であって、この立場から離れるとき、彼は風俗壊乱の譏りをまぬがれない」(「ゾロエと二人の侍女」より、250ページ)

これこそが「芸術か猥褻か」という、澁澤龍彦が関わった「サド裁判」、生田耕作が関わった「バイロス事件」の根幹となった問題である。官能小説は文学ではない。性描写それ自体を淫らに書こうなどとは、サドもジャリもバタイユマンディアルグも考えていなかった。そう考えるとスウィンバーンの『フロッシー』は猥褻の側にいるかもしれないが、とにかく彼らが一様に目指したのはエロティシズムの向こう側にある芸術性であり、哲学である。それは「悪の哲学」として非難を浴びるものだったかもしれないが、考えるべきは何をもって「悪」と呼ぶかということであり、それを天秤にかける時の自分の視座である。

サド裁判」からちょうど五十年。サドが我々にもたらしてくれることはまだまだ沢山ある。

ソドム百二十日 (河出文庫)

ソドム百二十日 (河出文庫)