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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

一九八四年

村上春樹『1Q84』が発売されると決まった時に、ちょうど版権が切れてしまっていたディストピア文学を代表する小説。ようやく出ました、新訳版。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

ジョージ・オーウェル(高橋和久訳)『一九八四年 新訳版』ハヤカワepi文庫、2009年。


春樹の『1Q84』が業界の誰も予想しなかったほど売れて、以降チェーホフの『サハリン島』が緊急復刊されたり「村上特需」が喧伝されていたにも関わらず、肝心のこの本だけはずっと品切になっていた。元々改版の話はあったそうだが、世界が待っていた新訳版である。

ジョージ・オーウェルの作品は、以前『動物農場』を紹介したことがある。あれは小説というよりも文明批評に近いもので、タイトルから期待されるようなファンシーな要素など欠片もなかった。寓話としての性格があまりにも強すぎて、ユーモアを期待していた僕は徹底的に裏切られた気持ちになったものだ。

さて『一九八四年』である。既に『動物農場』で痛い目にあっている分、身構えて読み始めた。今度は同じ間違いはしない。ファンシーさなど欠片もない、重厚な文明批評を覚悟しながら読み始めたのだ。ところが大変読みやすい。『動物農場』の時とは正反対に、『一九八四年』は文明批評というよりも、大変優れた小説に思えた。

「ニュースピークの目的はイングソックの信奉者に特有の世界観や心的習慣を表現するための媒体を提供するばかりではなく、イングソック以外の思考様式を不可能にすることでもあった。ひとたびニュースピークが採用され、オールドスピークが忘れ去られてしまえば、そのときこそ、異端の思考――イングソックの諸原理から外れる思考のことである――を、少なくとも思考がことばに依存している限り、文字通り思考不能にできるはずだ、という思惑が働いていたのである」(480~481ページ)

アンチ・ユートピア小説、即ちディストピア小説に頻繁に見られる共通項として、徹底的な思想統制がある。全体主義的な支配体制の中で、ここでは言語レベルからの統制が目指される。思考が言語に依拠するものなら、危険分子が全く存在できないように言葉をコントロールすれば良いのだ。ナショナリズムを研究していた頃を思い出した。言語ほど民族的なものはないのだ。

「誰のために日記を書いているのかと再び考える。未来のためにか、過去のためにか――想像のなかにしか存在しない時代のためになのか。自分を待っているのは死ではなく消滅なのだ。日記は灰となり、自分は蒸発する。書いたものを読むのは<思考警察>だけ。そして読んだ後でその存在を抹消し、その記憶を拭い去ってしまうだろう。自分の痕跡が何ひとつ残らず、紙片に走り書きされた書き手不明のことばすら目に見える形で残存できないのだとしたら、どうやって訴えを未来に届かせるというのだ?」(44~45ページ)

『一九八四年』の世界では、ビッグ・ブラザーの率いる党が徹底的な思想統制を行っている。人々はテレスクリーンと呼ばれる画面から常に監視され、管理されている。ポスターのようなテレスクリーンには巨大なビッグ・ブラザーの顔が描かれ、その目は常に人々を追いかけるようになっているのだ。絵の下に書かれている文句が秀逸である。「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」。

「考えてみれば、過去は改変されたばかりでなく、つまるところ破壊されてしまったのだ。自分の記憶以外に何の記録も残っていないとすれば、またとないほど明白な事実でさえどうやって立証するというのだ? 彼は最初に<ビッグ・ブラザー>という名を耳にしたのは何年のことだったか、思い出そうとした。六十年代のいつかに違いないと思えたが、確認する術はない。もちろんどんな党史を見ても、<ビッグ・ブラザー>は革命の指導者及び守護者として、その最初期から登場している。彼の功績は次第に時間を遡るように後押しされ、すでに三十年代や四十年代の伝説的な世界にまでその範囲が広がっている」(57~58ページ)

「彼はそれまで何度も考えたように、はたして自分は狂人ではないのかと考えた。ひょっとすると狂人はたった一人の少数派そのものかもしれない。かつて地球が太陽のまわりを回っていると信ずることは狂人のしるしだった。現在では、過去は変更不可能だと信じることがそのしるし。そのように信じるのは自分ただ一人かもしれない。そして一人なら、それは狂人ということだ。だが、狂人であると考えてもそれほど動揺しなかった。恐ろしいのは同時に自分が間違ってもいるのではないかということだった」(123ページ)

絶対的な存在としての党があり、ビッグ・ブラザーがいて、自分の考えていることが正しいのか否かを判断する基準もない。反逆的な姿勢を見せるものは直ちに抹消される。テレスクリーンは常に付いて回るのだ。反逆的な言葉は、寝言でさえも許されない。徹底された管理社会の中では、誰もが密告者に成り、一度抹消されてしまった人間は今までにも存在しなかったことになる。過去は常に改変されるのだ。

「階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえないのだ」(293ページ)

「我々の社会では、現実に起こっていることを最もよく知悉している人々がまた、世界をありのままに見ることができない人々でもある。一般に、理解力が深くなればなるほど、迷妄も深まるものだ。つまり知的になればなるほど正気を失っていくのだ」(330ページ)

オーウェルの作り上げた世界は、凄まじい設定に満ちている。言語に基づく思想統制や拷問の方法、党の内部構成などを見ると、明らかに小説の域を越えている。何やら破滅的な社会学の研究書でも読んでいるような気持ちになる。揶揄だとか非難と呼ぶにはあまりにも綿密に練られた舞台は、むしろ独裁者のバイブルを作成しているのではないか、と思わせる。

「君がまず理解しなくてはならないのは、ここに殉教などは存在しないということだ。過去に行なわれた宗教上の迫害については読んだことがあるだろう。中世には異端審問が行なわれた。それは失敗だった。異端を撲滅しようと始められたのだが、異端を永続させる結果に終わったのだ。何しろ異端者を火あぶりの刑に処すたびに、他の何千人もの人間が蜂起したのだからな」(392ページ)

「権力は手段ではない、目的なのだ。誰も革命を保障するために独裁制を敷いたりはしない。独裁制を打ち立てるためにこそ、革命を起こすのだ。迫害の目的は迫害、拷問の目的は拷問、権力の目的は権力、それ以外に何がある」(408ページ)

とはいえ、やはりこれはこの上なく優れた文学なのだ。主人公のウィンストンの心理が細かく語られることによって、反抗の可能性や未来への希望、そして何より彼らの焦燥が伝わってくる。

「彼女はたわいのない歌詞をすべてそらんじているようだった。その声が心地よい夏の大気に漂いながら上っていく。旋律豊かなその歌声は幸福な憂いとでもいったものを湛えている。六月の夕べが果てしなく続き、洗濯物が尽きることなくあったら、彼女はすっかり満足してそこに千年も留まり、おむつを干しながらくだらない歌をいつまでもうたっているのではないか、そんな感じがしてくる」(218~219ページ)

「その本は彼を魅了した。いや、より正確に言えば、彼を安心させた。ある意味では、何ら新しいことを教えられるわけではないのだが、しかしそれも惹きつけられた一因だった。その本は、もしばらばらの思考を自分できちんと秩序立てることができるなら、自分の言いたかったことを言ってくれているのだ。これは自分と同じような精神、しかもはるかに強靭であり、ずっと論理的で、恐怖に怯えてなどいない精神が生み出したものなのだ。最上の書物とは、読者のすでに知っていることを教えてくれるものなのだ、と彼は悟った」(307~308ページ)

ちなみに解説を書いているのは、あのピンチョンである。解説を先に読むタイプの読者を踏み止まらせるために「この解説には、本書の結末に触れる部分があります」と注意書きが書かれている。実際、内容に触れまくりである。こんな言葉があった。「賄賂を受け取る警官は信用できる。しかし決して賄賂を受け取ろうとしない“法と秩序”の狂信者とぶつかったら、どうなる?」(502ページ)。いくら学問的に読めても、あくまでもこの作品が小説であることの価値を伝える口調は、読んでいて楽しい。

「われわれの創り出そうとしている世界がどのようなものか? それは過去の改革家たちが夢想した愚かしい快楽主義的なユートピアの対極に位置するものだ。恐怖と裏切りと拷問の世界、人を踏みつけにし、人に踏みつけにされる世界、純化が進むにつれて、残酷なことが減るのではなく増えていく世界なのだ」(413~414ページ)

それこそが、ディストピアだ。ディストピア文学はSFと親和性が高い。ここからSFの扉を開いてみたい、と思った。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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ちなみに、『一九八四年』で書かれている事柄に学問的な興味のある方に是非とも薦めたい本。

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ミメーシス―ヨーロッパ文学における現実描写〈上〉 (ちくま学芸文庫)

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定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

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