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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

春戦争

配架-日本文学 評価-★★★☆☆(満足) いわゆる-日本の詩 テーマ-短歌

 穂村弘の『ダ・ヴィンチ』誌での連載をまとめた本、『短歌ください』に教わった歌人。ほかのたくさんの歌人の作品とともに掲載されていた彼女の歌を最初に読んだときには、作為的というか、言葉ありきで詠まれた歌が多いな、という印象を受け、正直あまり魅力的には感じなかったのだけれど、何度も採用されていた彼女の歌のうち、以下の一首を見た瞬間、言葉ありきなんじゃない、自分は間違っている、と思った。

  ごーごーと燃えてる屋敷のきれいさを忘れないまま大人になりたい(53ページ)

 とはいえ、確信はあったものの、自分がどんなふうに間違っているのかまではわからなかった。だから彼女がすでにこの第一歌集を刊行していると友人が教えてくれたとき、慌てて手に取ったのである。

春戦争 (新鋭短歌シリーズ7)

春戦争 (新鋭短歌シリーズ7)

 

陣崎草子『春戦争』書肆侃侃房、2013年。


 さてさて、わくわくしながら本を開くと、まず以下の歌が目に飛び込んでくる。

  ほどけゆくけむりをわけてあらわれる青魚わが喉を見ており(5ページ)

 目には飛び込んでくるのだが、この一首は目で追ったくらいでは、すぐに心にまでは響いてこない。歌集を開く前には深呼吸が必要だ。まるでその深呼吸を忘れた読者(すなわちわたし)のために、「ちゃんとエンジンかけてついてきてね」と告げているかのような唐突な一首。よくよく見ればなんてことはない、これはきっと焼き魚(たぶん秋刀魚とか)の見開かれた視線に気づいたということだろう。さらに言えば、「けむり」が「ほどけゆく」くらいなのだから、きっと密閉されたオーブンではなく七輪などで焼いていて、〈わたし〉は魚を見下ろしているのかもしれない。もっくもくの煙がだんだん「ほどけ」てゆき、下から喉に刺さる視線に気づく。ひょっとしたら、やがては魚の骨のほうが文字どおり「喉に刺さる」のだろうから、それを意識しての「喉」なのかもしれないが、そこまでいくとちょっと考えすぎだろう。なんであれ、ここまでの情報に到達するまでには、一度ページから顔を上げての深呼吸が必要だ。ほかにわかりやすい歌はいくらでもあるというのに、これを第一歌集の一首目に選ぶだなんて、やっぱりこのひと、ちょっとどうかしてる。でも、その「どうかしてる感じ」は、わたしにはとても好ましく思えた。

 ちょっと先走っている感があるが、せっかくなので喉の話をしよう。先日紹介した堂園昌彦の歌集『やがて秋茄子へと到る』に、こんな一首があるのだ。

  僕らお互い孤独を愛しあふれ出る喉の光は手で隠し合う   堂園昌彦

 これを読んだとき、「喉の光」に強い衝撃を受けた。単純な理由で、それまでのわたしにとって、喉は光るものではなかったから。ところが、陣崎草子のこの歌集でも、喉は光っているのだ。

  つよい願いつよい願いを持っており群にまぎれて喉を光らす(63ページ)

  真っ白の皿に似て無知なぼくたちの喉に光が泡だってゆく(96ページ)  

 これって、本歌取りかなにかなのだろうか。こんなに立て続けに「喉の光」と遭遇して、自分がなにか必要欠くべからざる知識を得ないままに育ってしまった人間のような気がしている。詳しい人がいたら、ぜひ教えて欲しい。

 さて、陣崎さんの話に戻ろう。彼女はイラストレーターで絵本作家、さらには小説まで書いているひとである。この本の最強に可愛らしい装幀・装画も自身で手がけていて、短歌にも絵のことが頻繁に登場してくる。ちなみにものすごくどうでもいいが、わたしは本を持ち歩くときにもカバーをかけたりしないので、この歌集を外出先で読むのは無性に気恥ずかしかった。男の鞄から覗くには、ちょっとあまりにもパステルピンクである。でもかわいい。

  絵を描いて暮らしていると笑ってる割れた柘榴の紅が目につく(14ページ)

  雑草とよばれる花を描いていて「おもしろいの?」と訊かれうなずく(18ページ)

  「高い筆買ったんです」と博士に言う「そうですか」って笑ってくれる(23ページ)

 絵描きとして、また物書きとして生きていく決断の背後には、人知れぬ懊悩と覚悟が求められたにちがいない。現代というのは、そういう嫌な時代なのだ。でも彼女はそこに恨みっぽいような感情はすこしも見せず、想いを歌に託す。

  どうやって生きてゆこうか八月のソフトクリームの垂れざまを見る(16ページ)

  ある朝のぼくの暮らしはしっくりときててそれでも玄関を出る(41ページ)

  もうなにもかんがえないとおもう日の魔法瓶にもあついコーヒー(44ページ)

  旗をふる人にまぎれて旗をふるだれも応援しませんの旗(67ページ)

  どうせ死ぬ こんなオシャレな雑貨やらインテリアやら永遠めいて(68ページ)

 巻末の「解説」で東直子が指摘していることだが、「垂れざま」という語に潜むアイロニーがすごい。このひとの言葉の選択には驚くばかりで、とくに過去に立ち返るときの彼女は、どの単語を使えば最短距離で読者がそこに到達できるかを知り抜いているかのように思える。

  ソックスを上げる時ふと見えていた永遠 黄バケツ並んだ廊下(56ページ)

  制服の人だったころの夢を見て起きた土曜日 鳴ってる電話(66ページ)

  きみょうな笑い方でボールを受けとめて空見れば母が抱こうとしている(87ページ)

  花の降るブルーシートに正座して「海みたいや」と笑ってた祖母(112ページ)

 上の四首で言えば、まず一首目、「ソックス」と「廊下」が学校を思わせる。二首目も学生時代だが、それを「制服の人だったころ」と呼称していることがすごい。三首目は特定の語彙が想起させるというわけではないが、もっと幼いころのことだと、一読すればだれにでもわかる。四首目は「ブルーシート」。「花」という言葉がすなわち「桜」を意味するのは『古今和歌集』以来の伝統だが、現代にあっては「ブルーシート」がその読みの補強となる。さりげなさすぎて見過ごしてしまいそうにさえなるが、じつはものすごく技巧的で、語の選択に意識的な歌人なのでは、と思ってしまう。以下は相聞歌、と、わたしが勝手に判断した歌たちのうち、とくに気に入ったもの。

  春の日はきみと白い靴下を干す つま先に海が透けてる(28ページ)

  うだる夜の恋人の胸に滑らせるバター ずいぶん海を見てない(22ページ)

  蟲たくさんのってる画集に顔ふせて人を想えば濃ゆい蜜の香(26ページ)

  ひどく白いホテルラウンジきみの手は赤いストローくにゃりと曲げる(36ページ)

  きみの行方捜すメールに飛びのって夜をゆく長い髪をなびかせ(58ページ)

  靴下を脱ぎつつきみに訴える 1+1を8にしたい(72ページ)

  君のかかと少しさわって満たされてなんでも我慢しそうになる(80ページ)

  君の汗ばんだ鎖骨をなでること(おもしろい行為というほどでもなく)(90ページ)

  国道の自販機に花は降りかかりあのひとのごと黙しておりぬ(111ページ)

  草木わけ歩をすすめゆく風の中おまえにいつか逢うための靴(117ページ)

 二人称の呼称が、歌によってぜんぜんちがう。ひらがなの「きみ」が漢字の「君」になったり、表記さえ揺れている。いや、揺れているのではなく、歌の内容によって揺らしているにちがいない。見ればすぐわかるとおり、ひらがなのほうがやわらかいのだ。「おまえ」が出てきたときにはとくに驚いた。とはいえ、歌がどれもすばらしくって、こういう字面に注目した読み方なんて、心底どうでもよくなってしまう。「靴下を脱ぐ」という行為がよほど親密な仲でないと人前ではしない特別な動作だなんて、上の一首を読むまで気づきもしなかった。江國香織『とるにたらないものもの』のなかで書いていた「フレンチトーストが幸福な理由」を思い出す。

  ねえせんせい、わたしたちすこし傲慢にバターを塗ってみましょう今日は(122ページ)

  ねえせんせい、わたし生まれかわったら樹木になるから(見上げて欲しい)(125ページ)

 この「ねえせんせい」の二首は、ここでは並べてしまったが、歌集では3ページも進んでから二首目が登場するので、不意打ちの驚きとともに読むことになる。これらも相聞歌と呼んでも構わないだろう。二首目の美しさは、ちょっと忘れられない。植物といえば、こんな一首があった。

  この惑星(ほし)の地上の王は植物とおしえられてる東京の海(120ページ)

 さすが「地上の王」と言うべきか、上にもすでにいくつも引いたとおり、このひとの歌では何度も植物が登場してくる。

  光苔 濡れたかかとをそっと置き供物の虫を這いのぼらせる(9ページ)

  汗ばんだわたしのからだ椅子に置かれ腿より新芽の萌ゆる悦び(20ページ)

  「新緑の季節に生まれたんだ」ってうそついている新緑のなか(31ページ)

  ポケットのなかひとひらの枯れ葉あり いつ舞いこんだ葉なんだろう、空(64ページ)

  かけがえのないものなのだと気がついて朝食卓に飾るたんぽぽ(111ページ)

 三首目、この「うそ」の無価値さ、ささやかさ。こんなに美しい「うそ」、ちょっと見たことない。無駄なものほど美しいものはない、ということの、結晶のような一首である。また、「かけがえのないもの」については、じつは引いた一首よりも前のページに、こんな歌がある。

  かけがえのないものみたいなふりさせて食卓の上転がすレモン(33ページ)

 いったいなにしてるんだ、このひとは。茫然となる。こういう、読者をびっくりさせるような歌も数多い。「社会的に無価値なほど詩的」、という、穂村弘『短歌の友人』『はじめての短歌』で繰り返していた論が自然と思い出されてくる。

  指を入れてはいけないと目を閉じる星降る夜にまわるミキサー(46ページ)  

  水たまり中央に赤いパンプスを置いてぼんやり見てる朝明け(61ページ)

  この道がまちがった場所につづくこと知ってるぼくらのほどよい笑い(82ページ)

  惑う星におまえと生きて止めようもなくて珈琲あふれる深夜(92ページ)

  あますことなくかぞえられゆく黒子ひとつひとつを押せば潮騒(128ページ)

 また、こんな一首もあった。これはこの歌集のなかでもとくに気に入ったもの。

  何故生きる なんてたずねて欲しそうな戦力外の詩的なおまえ(59ページ)

 よく見てほしい。「詩的」の定義にあてられた言葉が「戦力外」なのだ。戦力外! これほどまでに社会的に無価値な、ゆえに詩的な言葉は、ほかに存在しないような気にさえなってくる。野球選手なんかが「戦力外通告」というのを受けることがあるが、選手にとっては絶望しかもたらさないこの言葉が、どうしてこれほどまでに詩的なのか、はじめて納得のいく説明をしてもらったような気がする。「戦力外」というのは詩なのだ。なにせ、役に立たないということなのだから。陣崎草子はこの歌集の題『春戦争』が示すとおり、いつでも戦いの最中に身を置いているような、「常に臨戦態勢だぜ!」というような歌を詠んではいるが、そのくせ「戦力外」のほうに並々ならぬ共感を寄せているように感じられる。

  片目閉じ撃つシャーペン弾十月の空には的がみあたらず青(57ページ)

  祝日で、任務もなくて、小鳥ばかり追いかけ砲身回す戦車は(73ページ)

  春戦争 いつまでもずっと開いてるぼくのノートに降りてこい、鳥(98ページ)

 ところで、街中で急に銃声が鳴ったら、あなたはどうしますか? いつだったか、渋谷だか新宿だかで発砲事件があり、居合わせた人々がテレビのインタビューに答えて、「いやあ、びっくりしました。みんな棒立ち」みたいな発言をしていたのだが、それを聞いた友人が、憤慨しつつ、「銃声が鳴ったら伏せろ。そんな常識すら通用しないのか」と嘆いていた。まあ、その友人はほとんど戦場カメラマンなので、あいつの言うことをここで訳知り顔で紹介しても仕方ないのだが、陣崎草子の以下の一首は、そんなわたしを完全に沈黙させた。

  どこからか銃声聞こえ立ちどまる自分の黒髪なでつけながら(62ページ)

 このひと、やばい。どう考えたって戦場にいちゃいけない。友人にこの一首を伝えたくて仕方がない。この記事を書き終えたら、メッセージを送ろう、と思った。

  巨大魚が都市の上空覆う日もひとり静かな読書をしてる(12ページ)

  人殴ったことだってある手のひらをジェットコースターにむけてふってる(16ページ)

  とおいとおい誰も殺さぬ戦艦を春の海へと浮かべるふたり(27ページ)

  砲身はきりきり回りさがしてる撃つもの例えばマーマレード瓶(73ページ)

  やわらかく戦闘機君の胸にあて「街は撃てよ」と囁いており(95ページ)

 いつでも臨戦態勢かつ戦力外な彼女。「街は撃てよ」ってすげえな、と、あらためて思った。どんな状況だよ。こんなちょっとしたホラーみたいな歌もあった。

  ものさしがパラパラ光り降ってくる 仰げば無数のマンションの窓(91ページ)

 このひとは、戦うひとだ。ちなみにまたちょっと技巧面での話をすると、このひとの歌にはびっくりするような句またがりや破調が出てくることがある。

  日曜はミニチュアの汽車の車輪ぺきぺきとはがして口に投げこむ(39ページ)

  好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ(46ページ)

  カーテンの下の方の黒くなっているとこらへんを友だちとする(51ページ)

 一首目、これ、じつはちゃんと定型にあてはめることができる。「日曜は/ミニチュアの汽車の/車輪ぺき/ぺきとはがして/口に投げこむ」。「ぺきぺき」の部分で切るなんて、ちょっと信じがたい「ぺきぺき感」である。定型を意識したうえでの崩しというのは、おもしろい。鮮明に記憶に残るので、これはすごく効果的に読者の定型意識を活用した例だと言えるのかもしれない。

「短歌の作り方として、感情や思索が中心の叙述型と目に見えるものを捉えることに重点を置く描写型がある。陣崎さんの場合は、基本的に後者の描写型である。心情は、視覚的描写を根拠として伝えられる」(東直子「解説」より、133ページ)

 というわけで、今回いちばん気に入った歌は以下の一首。〈何故生きる なんてたずねて欲しそうな戦力外の詩的なおまえ〉も捨てがたかったのだが、これ以外は考えられない。

  「新緑の季節に生まれたんだ」ってうそついている新緑のなか(31ページ)

 悪い癖で、ものすごくたくさんの歌を引いてしまったが、ほかにも気に入った歌はまだまだたくさんある。興味を持った方には、ぜひ手に取ってみてもらいたい。いつかまた読み返したい歌集である。

春戦争 (新鋭短歌シリーズ7)

春戦争 (新鋭短歌シリーズ7)