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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

和歌とは何か

配架-日本文学 評価-★★★★★(奇跡) 配架-本の本・文芸評論 いわゆる-日本の詩 テーマ-和歌 テーマ-文学における神話

 このところ、自分の無知を痛感して、和歌や短歌に関する本ばかり読み漁っているのだが、こと和歌に関して、ようやくこれぞと思える概説書に出会えたように思っている。先日の岩波ジュニア新書『古典和歌入門』の著者、渡部泰明による、和歌の読み方に革命をもたらしてくれる一冊。

和歌とは何か (岩波新書)

和歌とは何か (岩波新書)

 

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年。


 ダジャレのように聞こえるかもしれないが、和歌はわかりにくい。それも、とってもわかりにくい。このわかりにくさの理由は、詠まれている言語が古語である、というだけではない。それならば現代語の散文に訳されたものを読めば、書かれている内容くらいは把握できるはずである。ところが、散文に訳されたものを読んでもピンとこない歌があまりに多い。翻訳のされ方がよくない、という場合もあるにはあるだろうが、そもそも定型詩を定型から解放し、散文に書き換えるという作業が、歌の持つ力を根こそぎ奪い去っていると考えられるだろう。当たり前だが、散文と定型詩ではルールがちがう。和歌では、音数に三十一音という制限があるのだ。その「制限がある」ということの根本的な意味を、わたしはこれまで、あまりに軽視しすぎていたように思える。

 これはフランス文学に関する話だが、レーモン・クノージョルジュ・ペレックの活躍したウリポ(Oulipo、Ouvroir de littérature potentielle、「潜在文学工房」の意)を考えると、「制限」の意味が一気にわかりやすくなる。彼らは21世紀の窒息寸前の文学界で、これまでまだだれも書いたことがないような文学作品を生み出すべく、文学のポテンシャル(potentielle)を引き出す様々な実験を行っていたのだ。なかでも有名なのがペレック『煙滅』で、これはフランス語でもっとも多用されるアルファベット「e」を一度も使わずに書かれた小説である。ペレックはあえて「制限」を設けることで、新たな表現、新たな文学世界を模索したのだ。

 さて、和歌における定型とは言うまでもなく「制限」であり、詩でなんらかの想いを表現しようという目的のうえでは、なんならアルファベットを一文字落とす以上に大きな制限だ。そこには新たな表現、新たな文学世界が立ち現れるものだろう。和歌は『万葉集』の時代から「すでにあった」ものなので、わたしたちはこのことをつい忘れてしまうのではないか。ペレックが『煙滅』を書くために必要としたさまざまな新しい表現とまったく同じように、和歌も和歌のための表現を必要としたにちがいないのだ。それが、枕詞や序詞、掛詞に縁語に本歌取りというような、和歌的レトリックの数々である。この本が画期的なのは、これらの修辞的技法をその成立背景とともに詳説しているからにほかならない。

「実際に和歌が詠まれていた時代を生きた文化人であっても、皆が皆、和歌に「ピンと来て」いたわけではない。むしろ、和歌を縁遠いと感じる感覚の方が、古い時代においても主流であったといってよい。それなのに和歌は千三百年以上も続いた。「それなのに」なのだろうか。いや、「だからこそ」ではなかろうか。敬意は持っているが、縁遠い。この感覚を、むしろ和歌を持続させた原動力と見ることはできないだろうか」(2ページ)

「枕詞だけではない。和歌にはこの種のレトリックがたくさんある。序詞、掛詞、縁語、本歌取り等々である。これらが用いられると、いかにも和歌だなあ、という感覚を呼び起こす。これらが和歌を和歌らしくさせてきたのだ。そして、これらがまた、和歌を縁遠く、わからなくさせてもきた。どうしてこんな、無駄としか思えない、持って回った言い方をするのか、と」(4ページ)

「和歌のレトリックたるや、表したい思いに対して、ちっとも適切にも効率的にも見えないのである。枕詞や序詞は、意味の伝達という観点からは、むしろない方がすっきりする、といいたいくらいの余計物である。掛詞や縁語は、ただ言葉の上の一致や関連性にすがっているだけで、けっして内的な必然性によるものではない。本歌取りときたら、ほとんど模倣にすぎないではないか――。なぜこのような、持って回った表現方法が必要とされるのか?」(23ページ)

 そもそもわたしが和歌について執拗に知識を追い求めていることの背景には、こういうレトリックに起因する一首の奥行きの深さに、自分が気づけないまま読んでしまっている、という悔しさがあった。もっと具体的にわかりやすく言うと、掛詞に気づけないのが嫌だったのだ。解説を読んでみて、「あ、掛かってたんですね」とわかっても、一首を読んだときに自分で気づけなければ感動の度合いも減るというものではないか。だからいくつもの文献に触れて知識を蓄えようとしていたわけだが、そんなわたしは徹底的に間違っていた、といまは確信をもって言える。和歌が単なる古語で書かれているわけではない、という前提に立たなければ、掛詞もなにも本当の意味では理解できないのだ。

「先ほど枕詞について、引き出しの取っ手のようだという比喩を用いた。取っ手は、開けるという行為の中で意味を持つ。それ以外では、基本的には邪魔者である。この論理をレトリックに応用してみよう。レトリックは、普段は余計物だが、ある特別な行為とともにある時、意味を発するのではないだろうか、と考えてみるのである」(4~5ページ)

 和歌的なレトリックが使われるとき、和歌は和歌らしさを獲得し、そのためにわかりにくくなる。和歌らしさが獲得された先にあるのは、この定型詩特有の文学世界、この本の渡部泰明の言葉では「演劇的空間」「儀礼的空間」である。渡部泰明は紙幅を割いてこの空間の特異性を伝えようとしてくれている。

「特殊な歌ばかりを取り上げて演技などと言われても疑問だ、和歌は詩であり、詩は真情を吐露するものだろう、演技とは現実とは違う虚構の行為であって、お前は和歌を嘘の産物だと言うのか、と叱られるだろうか。だが、多くの物語や小説と同様、和歌においても虚構と真実とは同居が可能である」(13ページ)

「もう一つ、和歌には原則として敬語が用いられない、という事実を挙げておこう。敬語がなければ一歩も進まないような古典日本語の文章の中で、しかもその日本語の粋とも呼ばれる和歌に、敬語が稀にしか用いられない。考えてみれば大変不思議なことだ。『万葉集』の、とくに長歌の中には数多くある。ところが、平安時代以降は、きわめて限られた場面にしか用いられない。天皇や皇后に直接訴えかける和歌の中においてさえ、敬語は存在しない。和歌の言葉が、現実の生活語とは基本的に違う次元の言葉であり、現実の身分などを超越した、特別な役割を背負った言葉だと認められていない限り、コミュニケーションの言語でありながら敬語を用いない、などという異常なことが許されるはずがない。「特別な役割」にのっとり、期待に応えるようにして発せられる言葉こそ、演技している言葉と呼んでよいだろう」(14~15ページ)

「桜が散るのが悲しい、秋の夕暮が侘しい、恋人の心変わりが恨めしい、そういう和歌が、いったいこれまで何十万首詠まれてきたことか。目新しさなど、とっくになくなっている。しかし、それぞれの演じ方が違うはずだ、と見直してみると、私たちは意外と新鮮に、その演技を味わうことができる。演じることは、今ここで行われる出来事だからである。演じ方に注目することで、読みどころの幅もずっと広がることであろう」(17ページ)

 渡部泰明は「序章」のわずか20ページを、すでに天啓のような言葉で溢れさせているわけだが、それぞれのレトリックを見ていく段になると、この本は文学史を描いたスリリングな冒険小説に変貌する。読んでいるときの感覚は、ロラン・バルトの書いた『零度のエクリチュール』に酷似していた。和歌という主人公がどんどん成長し、新たな性格を身に付けていくのだ。まずは枕詞である。「ぬばたまの」だの「ちはやぶる」だの。

 枕詞は、次の序詞もそうだが、『万葉集』の時代から「すでにあった」ものだ。だからどんな必要性のもとにこれが成立し普及していったのかは、手がかりのほとんどない状態で空想するしかない。そして、枕詞の意味が現代においてはぜんぜんわからない、というのが、事情をさらにややこしくしている。一首において、枕詞は、なんならないほうが意味がわかりやすい場合がほとんどなのだ。どんな歌を想像してもらってもいいが、枕詞は一首のなかで完全に孤立している。

「枕詞の意味が多くの場合わからなくなっているというのも、一つにはこの孤立性が原因となっている。文脈の中で、つまり他の語との相互の関係の中で意味が定着しているなら、逆にその関係を手掛かりにして意味を推定することもできる。孤立していれば、手掛かりがない、ということになる。一首の和歌の中の文脈に包み込まれることもなく、溶け込むこともない、そういう違和感を発揮し続ける言葉、それが枕詞である。意味のまとまりや流れとは別個に発現してくる力、おそらくそこに枕詞を枕詞たらしめている生命がある」(28ページ)

 つまり、この文脈からの孤立性、違和感こそが、枕詞の役割だというのだ。そして枕詞が体言(名詞)にかかるとき、その名詞には一定のルールがある。ちはやぶる「神」、たらちねの「母」、ひさかたの「天」、あしひきの「山」、というように、たいていなにか畏怖・崇敬の対象だというのだ。

人為的でありながら不可解としか言えないものが現れた時、人は、なぜなのか、どういう経緯でそうなったのか、と考えるだろう。由来やいわれを尋ねるだろう。明確な答えが与えられるまで、その問いかけは終わらない。答えがなければその気持ちはいつまでも残る。つまり、何かゆかしい由来やいわれがあるのではないか、という気分が常に呼び起こされて、その気分を、次に登場する言葉(被枕)に託していくことになる。枕詞を用いる意図は、まさにそこにあるのではないだろうか」(30ページ)

「枕詞は、崇めたり、怖れたり、憧れたりする対象の登場を促す言葉ということができるだろう。もう少し正確にいえば、これから現れ出る言葉(被枕)が、畏怖・崇敬の対象にほかならないという予感を、その場に満ちあふれさせる言葉である」(34ページ)

 枕詞が五音(ときに四音)であるということも忘れてはならない。和歌には現代短歌のような句割れや句またがりはないので、五音ということは原義的には、五七五七七のうちの五の部分、つまり第一句か第三句を必ず占めるということなのだ。つまりあとに続くのは、必ず七音の第二句か第四句である。それらは、畏怖・崇敬の対象に率いられて登場してくる。

「枕詞とは、五音・七音というまとまりによって音調の山場を作り出し、その中で、次にくる言葉をうやうやしく引き出し、前面に押し出す働きをする、ということである」(26ページ)

「思い切って卑近な比喩を用いよう。枕詞を今の時代に実感するとすれば、相撲の呼び出しや格闘技のリング・球場における選手の紹介、あるいはプレイヤー登場の音楽などを想起すればよいかもしれない。いずれも、独特な節回しやかき立てるようなメロディによって、その場をヒーロー登場の期待感で満たすのである。もちろんこれは、実感してもらうためだけのたとえであるが」(35ページ)

 プロレスの比喩がおもしろい。その発想なかったわ、と思わずにはいられない。渡部泰明は枕詞の役割を、はっきり「儀礼的空間」を呼び起こすための呪文と規定している。

「音として認識される枕詞の特徴がもたらすものは、それだけではない。枕詞は声に出して唱えられる。そしてその後から、ある特定の語がおもむろに出現する。こういうものを何と言ったらよいだろうか。そう、呪文である」(36ページ)

「枕詞もそれが導く言葉(被枕)も、単独で何か不可思議な力を持つとはいいがたい。歌という形になり、読みあげられる構えを取ることによって、そこに呪文を唱えるにふさわしい、儀式的あるいは儀礼的な空間、広い意味で演劇的な空間が、言葉の世界に付随して立ち現れ、その中で言葉も新たな力を獲得するのである」(37ページ)

 つまり、枕詞が用いられることによって、言葉が和歌という文学世界のものになるというのだ。次の序詞も同様で、こちらはさらに呪文的だ。序詞は枕詞より長く、しかも枕詞と同様に、現代語に訳せるような意味はないとされがちである。だが、第一句からときに第三句までをも占領してしまうような序詞に、意味がないわけがない。これには、『万葉集』時代の和歌がどのように詠まれてきたか、作歌のうえで歌人がどこに自分らしさを表現してきたかが深く関わっている。

「『万葉集』に短歌形式(五・七・五・七・七音)の歌は約四千二百首あり、その中で少なく見積もっても六百首以上に序詞が用いられている。序詞の認定の仕方が違うために、七百首以上あるという研究者もいる。ということは、序詞を用いるというのは、『万葉集』時代の短歌形式の歌の、きわめて基本的な詠法だということになる。基本的なだけではない。どうやら序詞は、一首の和歌の表現が本来どのような構造をとるかという、始原的かつ根本的な問題につながるものであるらしい」(47ページ)

「序詞は、八世紀に成立した『万葉集』の歌の基調を形作っていたと言ってかまわない」(58ページ)

 以前、永田和宏『現代秀歌』について書いたときに、百人一首にもとられた藤原実方の以下の一首を紹介しつつ、まったく理解できないと書いていたのを覚えているひとはいるだろうか。

  かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじなもゆる思ひを  藤原実方

 いまになってようやくわかるようになったのだが、これは序詞を用いた歌だったのだ。以下の『古今集』の一首と見比べてもらいたい。奇しくも『ちびまる子ちゃんの短歌教室』にて、序詞の説明に使われていた歌だった。

  時鳥鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな  読人知らず(39ページ)

 見てのとおり、構造がものすごく似ている。「さしも草さしも」や「あやめ草あやめ」と、同じ言葉を繰り返しているのまで共通している。序詞がこのように使われているとき、歌人の言いたいこと、つまり歌の「意味」は、二度目の「さしも」「あやめ」以下にあるのだという。一度目のほうの「さしも草」「あやめ草」は、序詞と主想部をつなぐ「つなぎ言葉」というそうだ。

「序詞を持つ歌は、序詞部分と、主想部(言いたいこと)に分かれる、と言った。ただし、その二つは、はっきりと分断されるのではなく、間に中間地帯を持っている。序詞と主想部の双方に関わり、両者をつなぐ働きをする言葉である。これを「つなぎ言葉」などと呼ぶ」(42ページ)

 力点が、主想部のほうにある。だから、序詞は枕詞と同様に「意味がない」と一蹴されてしまうのだろう。だが、じつにおもしろいことに、主想部というのは類型的表現、つまりは決まり文句で書かれていることが多く、歌人たちは序詞の部分、まさしく「意味がない」と一蹴されているほうに力を注いでいたという。

「心情を表す主想部の部分は、この例が端的にそうであるように、類型的な表現であることが少なくない。類型的な主想部は、他にも数多い。それに比べると、序詞の部分は、独自の表現であることが一般的である」(46ページ)

 つまり、『万葉集』の時代には、突飛な序詞を編み出し、それをありふれた決まり文句につなげる、というのが、歌を詠むことのひとつの姿勢として認知されていたということなのだろう。そんなふうに詠まれる一首の成立過程を追ってみると、以下のようになるという。

「序詞(X)→つなぎ言葉(Y)→主想部(Z)と、普通序歌は展開する。しかし、その出来上がる順序はといえば、Zが始めにあり、その中のYに注目して、そこからXが発想されてくる――現実には、YとXは互いにすり合わせながら同時に出てくるのだろうが――というように、まったく逆のはずなのだ。現実の時間的順序をひっくり返し、あたかもその逆順で物事が生起したかのように言葉で装っているのである。フィルムを逆回転した時の、吸い込まれるような感覚と言えばよかろうか。Yに媒介されたZが、まるで奇跡のように呼び起こされ、出現することになる。そのとき、Xの序詞は、謎めいた言葉であり、そのあげくに奇跡を惹起する言葉となる。呪文、と言いたくなる」(54ページ)

「つなぎ言葉に見られる偶然の音の一致は、和歌の定型に支えられて、必然的なものでもあるかのように感じられてくる」(58ページ)

 さあ、またしても呪文である。枕詞も序詞も、和歌という文学世界を支えるための舞台装置なのだ。一首がどのように詠まれたかを考えてみると、もう序詞に意味がないとは言えない。たとえば小説を読んでいるときに、ストーリーと関係のない風景描写が心に残ることがあるみたいに、ストーリー(一首の主想部)とは一見無縁な細部(序詞)こそが、文学の文学たる意義、真髄だろう。われながら変な例ではあるが、ホメロス『イリアス』だって、シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』だって、ジャン・ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』だって、言ってしまえばストーリーはすべてトロイ戦争ではないか。そう、細部こそすべて、無駄なものほど美しいものはないのである。細部の楽しみについては何度も書いているので、たとえば「3冊で広げる世界:細部こそすべて」を参照してもらいたい。ついに和歌までつながった、という感がある。

「一首三十一音と決定されているということは、三十一音目で終わる、という終結が見えているということにほかならない。第五句へ向かう途中でも、あとどれぐらいでけりがつくかの予感を、はっきりと持つことができる。だから大げさにいえば、定型は一つの運命である。歌を味わいながら、運命に導かれてゆくかのような予感が生まれるのである。定型がしっかりと身についていることが条件ではあるが、歌の定型に縛られることによって、逆に歌のそれぞれの言葉は、単なる言葉であることを越え、運命的な予感に満ちたものとなる」(50ページ)

 さて、わたしの天敵、掛詞である。さきほど枕詞と序詞は『万葉集』の時代から「すでにあった」と書いたが、掛詞だってもちろん「すでにあった」ものである。序詞には、上には「類音の繰り返し」の例のみを挙げたが、つなぎ言葉が掛詞として機能している例があるのだ。

  海(わた)の底沖つ白浪たつた山いつか越えなむ妹があたり見む  『万葉集』作者未詳(40ページ)

 ご覧のとおり、「白浪」が「たつ」というのと、「たつた山」という地名が掛詞となって、主想部へとつながっている。だが、掛詞が枕詞や序詞と決定的に違うのは、これが『古今集』の時代に大きな発展を経験した、ということである。

「『古今集』の和歌は、その詠まれた時代からみて大きく三つの時代層に分類される。「読人知らず時代」「六歌仙時代」「撰者時代」の三者である。「六歌仙時代」というのは、序文に出てくる六人の先輩歌人僧正遍照在原業平文屋康秀喜撰法師小野小町大伴黒主の活躍した時代で、西暦835年から890年まであたりを指す。「読人知らず時代」はその前で、「読人知らず」とされる歌の多くがこの時代の作かとされていることからの命名である。すなわち『古今集』中の古層に属する時代である。対して「撰者時代」は890年から『古今集』が成立したといわれる905年までを指す――実は一部それ以後の歌も含むが――。撰者である、紀友則紀貫之凡河内躬恒壬生忠岑たちが活躍していた、まさに『古今集』の中の現代である」(61ページ)

 上にある時代区分でいうと、「読人知らず時代」には、『万葉集』のころと同様に地名にかかる例があり、また、ちょうど序詞のように、上の句では風景描写、下の句では心情、というふうに、二重の文脈が「掛詞=序歌におけるつなぎ言葉」という位置づけでつながれている例が提出されている。これだと、あまりわれわれの知る掛詞らしくないというか、まだまだ序詞を抜けきっていない感じだ。だが、上の句と下の句とのつながりは、よほど自然になっている。風景描写は、もうだれも無意味とはいえない地位を得た。

「掛詞は、序詞を一つの発生基盤とするのだろう。そして、序詞の歌が持っていた唐突さを、問答的な構成の中に移し替えることで緩和する、そういう面があるのかもしれない。もちろん、掛詞だって、唐突である。風景とわが身がいきなり衝突するのだから。その衝突の衝撃を、風景とわが身の二重の文脈それぞれを生かしつつ押さえ込む、問答的な構成が発明された、といえようか。問いと答えの掛け合いの演技の中で、掛詞の非日常性が生かされるのである」(66ページ)

 そこに、在原業平小野小町らの「六歌仙時代」がやってくる。この時代、彼らは心情を描くことに大きく傾き、風景のほうを心情を描くための「ダシに使う」ようになったという。

「この掛詞が、「六歌仙時代」となると、もう少し複雑な様相を呈してくる。「読人知らず時代」の掛詞のように、きれいに上句と下句が対応しない場合が多くなる。ずれが生じてくるのである。二重の文脈も、「読人知らず時代」には、風景の方にどちらかといえば力点があったのだが、今度は、わが身の方に引き寄せてくるような傾向が見られるようになる。風景をわが身にまつわらせるような傾向、と言ったらよいだろうか。だから、少々二重の文脈のバランスが悪くなるのだが、反面、独特の魅力を持つ自己表出が出現することにもなる」(66ページ)

「わが身のありさまを印象的に訴えかける手段として、少々強引な力技をも見せながら利用するのが、六歌仙らの掛詞の特色といってよいだろう」(68ページ)

 例として挙げられているもののひとつが、「ふる」と「ながめ」で二重の文脈を衝突させた、小野小町の有名な一首である。

  花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに  小野小町(67ページ)

 たしかに、力点が自分のほうにあるのは一目瞭然だ。当然ながら、風景描写よりも心情を描いたもののほうが感情移入しやすいため、だから在原業平小野小町の歌はいまのわれわれにとっても親しみやすいのだろう。おもしろいのが、この時代は仮名文字の成立と合致しているということである。『万葉集』が万葉仮名というわけのわからないもの(失礼)で書かれていたのに対し、『古今集』には仮名があるのだ。表音文字としての仮名は、言葉をまったく別のレベルに引き上げた。

「書く時には、当時は濁点などを付けない(濁点だけではなく、半濁点も、句読点も、かぎ括弧ももとよりない)から、仮名で書けば同じになる。ここで重要になってくるのは、掛詞が盛んに用いられるようになった「六歌仙時代」前後、すなわち九世紀とは、仮名文字が出来上がってきた時代でもある、という事実である。仮名で書いてみたらこんなにも同じ表記の言葉があった、という発見の喜びが、掛詞の流行に寄与したといえよう」(78ページ)

 さて、紀貫之らの「撰者時代」になると、「読人知らず時代」の復古が試みられ、二重の文脈にバランスを取り戻す試みがなされたという。同じ『古今集』であるとはいえ、「撰者時代」の人びとにとって「読人知らず時代」の歌は古典なのだ。

「実は和歌史には面白い現象があって、新しい歌のスタイルを鼓吹しようとする歌人たちは、みな判で押したように、古風に帰れ、と唱えるのである。直前の時代と袂を分かつために、ずっと古い時代に自己の根拠を求め、新しい試みを正当化しようということなのだろう。その時の「古風」なるものは、源実朝京極為兼賀茂真淵正岡子規などを典型として、歴史上『万葉集』であることが多いけれども、もちろん『古今集』であったり、『新古今集』だったりもする」(70ページ)

 枕詞や序詞が「呪文」と形容されていたのと同様に、もちろん掛詞にも和歌的世界を作り出すという呪術的な効果がある。言葉の音の重複が偶然性に依っているという身振りが、逆に一首を運命に導かれた必然の結晶であるかのように見せている、というのだ。

「定型の中に掛詞がうまく当てはめられることで、偶然にすぎなかった言葉の二重性が、まるであらかじめ決められていたものであるかのような錯覚を起こさせる。大げさに言えば、そうなる運命であった、と後から感じるような気分である」(76ページ)

「言葉の偶然の一致が、歌の秩序にぴったりと当てはめられ必然化していく姿は、人々の心を捉えて離さなかった。今も昔も、人は偶然に起こる出来事に弄ばれ、かつ孤独に苦しめられながら生きざるをえない。どうにかそこから脱したいというあえかな願いを、言葉の上で見事に実現しているのが掛詞なのだ。これこそ定型文学・和歌の真髄ともいうべき「力」である。その意味で掛詞は、和歌の中心的レトリックと呼ぶにまことにふさわしい」(78ページ)

 つまり、わたしが経験しているわかりにくさの正体は、この掛詞の拠り所たる偶然性にあった。偶然のものが必然として提示されているから、無理に理解しようとして混乱してしまうのにちがいない。なにが一首を和歌として輝かせているのか、そこに敏感であれば気づけないはずはない、といまは思う。

 次の縁語については、渡部泰明は以下の告白からはじめている。

「縁語を定義してみよ、と言われると本当に困る。もちろんある程度の了解があるからこそ、縁語という用語をわかった顔をして使っているわけだが、実は和歌研究者の間でも、いざ実例を挙げてこの歌の縁語はどれでしょうと問われると、意外に人によって違いが出てきてしまうのである。つまりある語と語を縁語と認めうるかどうか、微妙な境界領域の例が生まれてしまう、ということだ」(79ページ)

 たしかに、縁語はどうも掛詞に似すぎているわりに、掛詞のようにはっきりと文脈が二重になっているわけでもない。ただ一首のなかで使われている語彙に関連性が高い、というだけのような気もする。だが、やはりこれも偶然性の価値を訴えかけてくるものなのだ。

「意地悪くいえば、所詮言葉の偶然の組み合わせにすがった歌、と言えなくもない。が、話は逆である。偶然こそが大事なのだ。偶然の力、すなわち人の意思を越えた運命的な力によって、ある形がぴたりと決まる。その運命的な力を感じ取ることが、人々の心を一つにするのである」(84ページ)

 縁語についての説明は、これでほとんどぜんぶである。だが、縁語がとくにコミュニケーションの道具として使われたというのは興味深い。和歌が生み出す例の「儀礼的空間」と、現実の空間は、ある意味では重なっているのである。

「縁語というのは、二つの内容を結びつけ、それによって今ここの場、という現在性を強く浮かび上がらせる、という機能を持つ。縁語は、『万葉集』には見られず――萌芽的なものはある、という意見もある――、『古今集』から数多く見られるようになる。それは恋歌など贈答歌や、集団で何らかの行事を催している場で用いられた例が圧倒的に多い」(87ページ)

 また、縁語と関連して、以下のような記述があった。これはおもしろい。

「和歌の専門家のような顔をしていると、『百人一首』のうちどれがもっともいい歌ですか、とか、一番好きな歌はどれですか、などと聞かれることがよくある。秀歌中の秀歌を集めたものなのだから、答えるのも容易ではない。そこで、情熱的な歌ならこれ、楽屋話が面白いのはこれ、などとその場に合わせて返答するようにしているが、「一番うまい歌」として私が推薦するのは、この皇嘉門院別当の歌である。神がかり、といってよいほどのうまさだと思う」(89~90ページ)

  難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき  皇嘉門院別当(89ページ)

 説明部分も、なにやら変な熱が入っていて大変おもしろい。「和歌の専門家」と呼ばれるひとは、あまり百人一首を話題にしてくれない印象があるのでわくわくしてしまう。

「『百人一首』に入って著名になったが、実は皇嘉門院別当は、もともとさほどの歌人ではない。『百人一首』の歌人となったのも予想外の幸運というべきで、彼女より歌力も実績も上回る歌人は、同時代の女流歌人に限っても、少なからず存在する。さては藤原定家、情実にでも動かされたか、と疑いたくなる。だが、これは、歌そのものの出来栄えに定家が感動したからにほかならない、そしてそれは絶妙無類の縁語の存在による、と私はにらんでいる」(90ページ)

「まるでいい加減に選び出したジグソーパズルのピースがぴたりぴたりと合い続けるように、渋滞も屈曲も余剰もなく、すらりと言葉どうしがつながり、収まった。収まったという結果から見れば、「難波江」「芦」「かりね」「夜」「身をつくし」「わたる」と次々に繰り出される縁語も、最初からそう予定されていたかのように、居るべき場所に居る、という印象を与える。とくに、「一夜ゆゑ」と絞り込んでいった直後に、一転して「身を尽くしてや恋ひわたる」と心が暴走していく呼吸は、感嘆する以外にない。一夜の出会いが運命的なものであり、それゆえ恋の懊悩が宿命にほかならなかったことを納得させる。厄介きわまる題が、人々にしっかり共有できる言葉に仕立て上げられたのである。これはもう皇嘉門院別当の技巧でもなければ技量でもない。この程度の歌人でも、歌の神に愛されたならば、こういう歌を生み出すことができる。藤原定家が一首をあえて選び出したのも、そう心動かされたからではなかっただろうか」(91~92ページ)

 さあ、本歌取りである。本歌取りというのはじつに特異な修辞技法で、これについて考えるとき、わたしは文学史一般の流れについて思いを馳せずにはいられなくなる。わずか三十一音の定型詩である和歌は、『万葉集』の成立から約500年を経て、きっとここである種の窒息を迎えたのだ。考えてもみてほしい。ボルヘス『伝奇集』に収められた短篇「バベルの図書館」ではないが、仮名文字がぜんぶで50文字程度あるとして、いや、清音や濁音・半濁音を区別して75文字程度だとしても、31の75乗という有限の数字が導き出され、そのなかで日本語として意味の通るものはものすごく限られた数しか出てこないはずなのだ。おまけに、和歌には句割れも句またがりもない。数はどんどん絞られてくる。どんな歌を詠んでも過去のなにかに似てきてしまう。藤原定家ら『新古今集』の時代の歌人たちは、そんな閉塞的状況に直面したにちがいないのだ。

 わたしが考えずにいられないのは、もちろん現代の小説のことである。文学史を紐解いてみると、詩や戯曲とはちがって、小説はわれわれが感じているほど古いものではないということがすぐにわかる。近代的な意味での小説といえるのは、いちばん早い時期のものでセルバンテス『ドン・キホーテ』だろうか。17世紀前半の作品である。上述したウリポの試みに端的に示されているように、20世紀に入ると、小説は成立からわずか300年でかつてない危機に瀕した。わたしはこれを「フロベール『感情教育』を書いたせい」と思っているのだが、バルトが『零度のエクリチュール』で丹念に描いたとおり、20世紀の作家たちはフロベール的なものから離れていくことを目指し、足並みを揃えて、といってもいいほどの勢いで、だがけっして各派同士団結するようなことはなく、新奇なものを目指していたのだ。しかし、その結果としての、たとえば『ナジャ』などを見てみると、まあわれながらひどく恣意的な選択ではあるが、どうも満足できるものとは言いがたい。こういうことを考えるとき、わたしがきまって思い出すのはロジェ・グルニエの告白である。

「この私が書きたいのは、むしろ新しい『感情教育』なのである」(ロジェ・グルニエ「沈黙」『フラゴナールの婚約者』より、197ページ)

 つまり、ロジェ・グルニエはきっと本歌取りがしたかったのだ。だが彼の生きた20世紀、無二の友人レーモン・クノーが自著の刊行元ガリマール書店の編集顧問でもあったという事実からも察せられるとおり、それは時流に反することであった。もちろん、本歌取りをしたひとはすでにいたし、いまもいる。アナトール・フランス『神々は渇く』にはフロベールの影響が色濃く感じられるし、イギリスでいえばE・M・フォースターは、同時代のヴァージニア・ウルフジェイムズ・ジョイスの前衛とは正反対の方向を向いていて、ジェイン・オースティンを規範としていた。現代でいえばミラン・クンデラは、セルバンテスへの私淑を隠そうともしないし、そもそも『無知』などは『オデュッセイア』がなければ絶対に書かれることはなかったはずの作品である(まあ、『オデュッセイア』は小説ではなく詩だけれども)。日本では倉橋由美子が意識的に「模倣」を試みていたことも忘れてはならない。

 ちょっと脱線が過ぎるが、本歌取りを学ぶということは、わたしにとっては21世紀の文学のありかたを学ぶことにつながるのだ。もちろん小説には字数制限もなにもないが、現代の小説は『新古今集』時代の和歌と同じ閉塞的状況にあるように思える。長くなったが、本歌取りというレトリックがいかに成立してきたかを見てみよう。

「どの歌が本歌かわからなければ、本歌取りがわからない。なぜなら本歌は必然性や根拠を与えているからだ。ここに本歌取りの大きな特色がある」(102ページ)

「本歌を想起し、本歌取りを完成させるのは、実は読者なのだ。もちろん本歌取りした歌の方も、ああ、あの和歌をふまえたのだな、と読者が本歌をはっきり認識するように作られていなければ話は始まらない。かといって、本歌とは異なった新しい部分がなければ、新しい歌とは認められない。ただの模倣となってしまうだろう」(102ページ)

 渡部泰明は「本歌取りは模倣ではない」と断言している。「古歌をふまえる」「伝統の再生」である、と。注意しておきたいのは、渡部泰明が「模倣」という言葉を「剽窃」や「盗作」というような否定的な意味で使っていることである。一般に、詳説しようとする場合には「剽窃」は悪徳、「模倣」は敬意の表明とされることが多いが、それはフランス語で言うところの「pastiche(パスティーシュ)」と「hommage(オマージュ)」を訳し分けたときの考えかたである。詳しくはジャン=リュック・エニグの『剽窃の弁明』について書いたときの記事などを参照されたい。

本歌取りは模倣に陥りやすい。たしかに模倣とよく似ている。紙一重の違いしかない。しかし話は逆なのかもしれない。本歌取りこそ、模倣を脱するために考案された技術だと思えてならないのだ。大きな影響を受けたものがあり、それに触発されて自分も何かを表現してみようとする時、自分なりの色を出そうと頑張れば頑張るほど、お手本に似てしまう。誰しもにある経験だろう。その時、私は○○から大きな影響を受けました、だからここから出発しますと、開き直ってはっきりと宣言することで、かえって模倣から脱することがしばしばある。本歌取りがまさにそれだ」(105ページ)

「「盗む」という方法に、古歌をあえて顕在化させるという逆転の発想を導入することによって、本歌取り技法は成長していった。明示することで読者が参加することが可能となり、読者が本歌と新作歌の相互的関係を育てていくことを可能にしたのである」(107ページ)

 つまり、本歌取りをしていますよ、ということが明確になっていなければ、それは「本歌取り」ではない、というわけである。だがこれは、よくよく考えてみると、とても特殊な状況でしか通用しないルールであるともいえる。たとえば現代においては百人一首でさえすべて暗誦できるようなひとはほとんどいないだろうし(もちろんわたしもできない)、このような読者が相手では、本歌取りは成立しないということになってしまう。古典的教養の共有という基盤がないと、本歌取りは意味を為さないのだ。だがその基盤があるとき、本歌取りはただちに和歌的な文学世界、あの「儀礼的空間」を呼び起こす。

「本歌は、歌人なら誰しも暗唱しているような有名な歌である。でなければ、本歌取りをしているかどうか、最初からわからないだろう。本歌取りの歌は、本歌を暗唱し朗誦する声を重ねて響かせるよう、要求している。本歌を身につけ、いつでも暗唱することが可能な人、つまり同じ貴族的教養を身に付けている人と、同じ空間をともにする形が準備されているのである。その意味で、本歌取りにおいても、儀礼的空間が言葉で呼び起こされている、といってよいだろう。これまでのレトリックに共通する性格が、やはり本歌取りでも見られるのである」(108ページ)

 そして、縁語を見たときにすこし触れられていたのと同様に、本歌取りもやはり現実空間との関わりにおいて捉えられるべき技法であるという。そもそも、いくら『新古今集』の時代であるといっても、これほどの古典的教養を求められる技法というのは、ごく限られた人びとのあいだでしか共有できないものにちがいないのだ。

本歌取りというのは、その基本として歌人たちの集まる場に興趣をもたらすという、場に規制される面を持つのである。先に、本歌取りの定義に即して、読者が本歌を前提とすることが不可欠、としたが、その読者は、本歌取りの歌が示されるに及んで、おっ、ここであの歌できましたか、あれをこう変えたわけね、と驚いたり、感嘆したりする。もちろん下手な取り方であれば、冷笑されてしまうだろう。そういう現場的な感覚が、まず基本にある。一般に本歌取りは美学的に捉えられる傾向があるが、根幹は美学にあるのではない。もっと行為的な、特定の場での営みとしてある」(116ページ)

「歌会の題詠という場の中でこそ、本歌取りの工夫は生動する。本歌取りという仕掛けが、題を根拠づけるからである。そして本歌にとことん寄り添っていくことが逆に新しさをもたらし、それが本歌そのものにも輝きを与える。だからこそ、本歌取りは古歌に敬意を払おうという試みにほかならないのである」(119ページ)

 定家は『詠歌大概』のなかで、本歌取りについてかなり細かいルールを設けている。見ればわかるとおり、ものすごく実践的な内容で、何度も試してみて確立された方法論、という感じが強い。

「①最近七、八十年以内の人の歌句は、一句たりとも取ってはならない
 ②古人の歌は取ってもよいが、五句中三句取ってはならない。二句プラス三、四字までなら許される
 ③本歌と同じ主題にすると新鮮味がなくなる。四季の歌を恋や雑の歌に変えるなどすると、非難されない」(120ページ)

 ここから即座に感じ取れるのは、歌と歌人の名がこの時代になって強い結びつきを見せはじめた、ということだ。「剽窃」であれ「模倣」であれ、本歌取りのような技法というのは、表現に対する所有の観念を喚起せずにはいられない。

「「制詞」という戒めが、鎌倉時代から言われ始めた。『新古今集』の時代の優れた和歌表現に限って、再び使用してはならないという制限である。本章に引用した和歌で言えば、定家の「雪の夕暮」(新古今集・671)や家隆の「波に離るる」(同・37)、良経の「あやめぞ薫る」(同・220)などの句が制詞とされた。いわば、歌詞の著作権を保護しようというのである。先の「古歌を盗む」という詠作方法と併せて考えると、背後に和歌表現を私有財産のように見なす観念が存在したことがわかるだろう」(126~127ページ)

「古代社会から中世社会へと移行する過程で、個人の、個人による表現とでもいうべき、歌の言葉の個人性が表面化してきた。類型表現を大事にすることも、伝統を重んじることも、つきつめれば表現を集団のものと見なすことだから、この時代に和歌表現が大きな矛盾をはらむようになったといえる。和歌にとって危機的状況である。本歌取りは、個性を生かしつつ古い物を尊重するという、危機脱出を賭けて編み出された方法であった」(127ページ)

 だが、そういった所有の観念こそが、翻って文学に窒息をもたらすものではないだろうか。やはり『剽窃の弁明』に引かれていた、アナトール・フランスの言葉が思い出される。

「剽窃を追求すればかならず、思ってもみなかったところ、望んでもいなかったところまで行ってしまうものだ」(アナトール・フランスの言葉、『剽窃の弁明』11ページ)

 わたしはまだぜんぜん和歌に詳しくはないが、これまで読んできた数冊の入門書を見るかぎりでは、どうも『新古今集』以降、和歌は元気がなくなっていっている気がするのだ。もちろん『新古今集』以降にも、1439年の『新続古今集』までの、いわゆる「十三大集」があるし、けっして和歌という文学活動がここで止まったというわけではないのだが、本歌取りなどという高度な教養を要する技法ができてしまったあと、学ぶべき「古典」が増える一方の後世の歌人たちに、いったいなにができるというのだろう。ただ、もちろんこれはわたしの知識不足がそう思わせているだけかもしれないし、人口に膾炙しているのが『新古今集』までというのは、現代の研究者間の評価を反映しているだけである可能性も捨てきれない。ひょっとしたらもっと単純かつ根深い、底本などの史料的問題かもしれないので、あとで後悔しそうなことを書くのはよそう。

「優れた本歌取りをしてみせた作品には、共通する特徴がある。それは、本歌取りされることによって、本歌自体も新しい魅力を見せ始める、という点である。隠されていた美質が改めて発見されたような、といえばよいだろうか。この点がパロディなどとは違うところで、パロディのネタにされると、しばしばそのものの重みが薄れてしまうことがある。模倣ともやはり違う。模倣されるくらいだからすごいのだろう、と思うことはあっても、模倣が新たな魅力を引き出すことは、まずない。だが、本歌取りでは、従来それほど目立たなかった古歌を、鮮やかに蘇らせることすらある。これはおそらく、本歌と本歌取り作品との関係が、古歌から新作歌へという一方的なものではなく、お互いに影響を与え合う、双方向的なものだからなのだろう。優れた本歌取りの営みによってはじめて、本歌は新たに発見され、再生するのである」(125~126ページ)

 今回の記事ではほとんど和歌を挙げていないが、この本ではたくさんの例とともにそれぞれのレトリックが説明されていて、とてもわかりやすい、ということは忘れずに書いておきたい。本歌取りの例について言えば、衝撃的な本歌が、さらに衝撃的な新作へと脱皮していた。

  さ夜ふくるままにみぎはや氷るらむ遠ざかりゆく志賀の浦波  快覚法師(117ページ)

  志賀の浦や遠ざかり行く波間より氷りて出づる有明の月  藤原家隆(118ページ)

 藤原家隆、天才じゃん! と思わずにはいられない。もとの歌がものすごくいいので改悪しかできそうもないのが、もとの雰囲気を生かしつつ、もうぜんぜんべつの歌にまさしく「再生」している。『新古今集』の時代の歌人たちのレベルの高さには驚いてばかりだ。慈円といい家隆といい、定家ばかり有名なのが不思議なほどに、すばらしい歌を多く残している。あ、これか! 『新古今集』以降の時代になかなか目が向けられなくなっているのは、『新古今集』時代に天才歌人が多すぎたからなのかもしれない。

 さて、本歌取りとともに、この本の第一章は終わる。第二章で語られているのは、縁語や本歌取りの説明に頻出していた、現場的感覚、すなわち「行為としての和歌」だ。贈答歌、歌合、屏風歌および障子歌、人麻呂影供に古今伝授について、大いに語られている。

「さまざまな現実の儀礼的空間が、和歌のまわりには存在する。その中で、和歌は生まれ、受け止められ、活用され、学ばれてゆく。そういう空間の中で和歌は生きていたのであるから、たんに言葉としてだけではなく、和歌にまつわる人間の行為のあり方も、和歌を知る上で不可欠であるということになるだろう。いや、いっそそういう行為をも含めて、広く「和歌」という名を与えたい気がする」(140ページ)

 これは俵万智『愛する源氏物語』に教わったことだが、和歌に実用品としての役割があったことは忘れてはならない。その実用性がもっとも色濃く表れているのが贈答歌だろう。これをわざわざ本歌取りのあとの章に置くところが心にくい。本歌取りについて語りながら、渡部泰明はこう書いているのだ。

「まるで本歌と贈答歌の関係になるように本歌取りした歌は、「贈答の体」の本歌取りと呼ばれ、本歌取りの基本的なスタイルの一つとされた。本歌の言葉を否定したり、疑問を呈したりといった、本歌を切り返す、あるいは本歌そのものが切り返しとなるような言い方が、贈答歌の表現の仕方によく似ているのである。そもそも贈答歌のうち、贈った歌の方を古来「本(もと)」の歌と言った。その用例の方が、本歌取りの「本歌」より古い。贈答歌から本歌取りが発展してきたことを、昔の人も知っていたのだ」(111ページ)

 贈答歌は『万葉集』でも『古今集』でもなく、『後撰集』にもっとも多く含まれているそうだ。その方法論は、本歌取りに酷似している。

「『後撰集』は貴族の日常生活に取材し、かつ歌物語的性格が強いといわれており、贈答歌が多いのもその特色の一端であるが、それ以上に大事なのは、この頃、贈答歌の方法がほぼ完成した、という事実である。それはとくに返歌の仕方に表れる。相手の言葉に、揚げ足を取るようにして切り返す手法である。贈歌の中で拠り所となっている物もしくは事柄を取り上げて、それを別の観点から見直したりして反発してみせる」(144ページ)

 また、やはり贈答歌は「恋人や夫婦の仲でのやりとりがもっとも贈答歌らしさを発揮する」そうだ。「恋愛において、歌は魔術的ともいえる力を発揮する」と書きながら、歌が現実の恋人たちに与える影響、その役割を解き明かそうとしている。ここでもやはり「儀礼的空間」「演劇的空間」が歌のなかに立ち現れてくるが、それはほかのすべての和歌と同様に、単なる虚構としての産物ではなく、じつに色濃く現実と折り重なっている。

「相手にとって自分をいかに無視できない存在とするか――結局恋愛の駆け引きの醍醐味はそこにあるだろう。駆け引きという語が嫌なら、二人の間に愛情を育ててゆく試みと言い換えてもよい。それは、言っていることの意味内容だけではわかりにくい。それはそうだろう、言葉が言葉にすぎないことは、歌人自身がしばしば訴えていることなのだから。言葉を越えた思いをどうやって引っ張り出すか、新しい二人の関係をいかに作り上げるか。贈答歌の意義は、どうもそういうところにあるらしい」(148ページ)

「贈歌と返歌は、ともに役を演じ合い、ともに一つの演劇空間を生み出すようにして、二人の関係を作り上げていく。演技とは、ただの嘘や虚構ではない。虚実ないまぜになったものである。だから、優れた演技は、虚構を越えて、現実の意味付けにさえ変更を迫ることがある。贈答歌に現実の関係を作り上げる働きがあるのは、そういう仕組みによるのである」(157ページ)

 歌合以下のことに関しては、知らないことばかりでおもしろく読んだ。歌合は政治性の強いイベントであったそうだ。

「注目を浴びるのが、和歌のみではないということもある。その場を飾り立てる衣装・調度・工芸品・薫物・楽人の奏でる音楽・舞人の舞から参加者の容姿・振舞いまでが、歌合という行事の大事な構成要素となる。王朝文化の美意識の粋を集めた、空間芸術というべきである」(161ページ)

「遊宴を主眼とする歌合において、歌どうし、たしかに競い合ってはいるけれども、ただたんに優劣を測られているだけではない。それはいわば、二つの個性あふれる楽器が挑み合うようにして盛り立てる、アンサンブルのようなものである。そのアンサンブルを中心として、装束や調度などの美が交響し合う。その交響はまた、帝王と臣下たちが親しみ合い睦び合う、「王朝」の理想像を象徴することにもなるだろう。高度な政治性、もしくは社会性が内包されているのである」(164~165ページ)

 だが、もっともおもしろいのは、ちょうど贈答歌のように、歌合で対決した二首がそれぞれに互いを高め合う効果を持つ、という観点である。一首を背景などの文脈と切り離して純粋な匿名作品として捉えようとするときには、本歌取りも贈答歌も歌合も、余計な情報としか映らないかもしれないが、このような背景を知ることも、和歌を楽しむうえでは大切なことだと思っている。現代短歌でいえば、歌集のどんな一連に一首が収められているか、前後の歌によって印象が変わってくるのに似ている。

「二首の和歌は、歌合という場の中で比較されることによって、個々ばらばらの場合よりいっそう輝きを増すという事実である。優れたアンサンブルが生まれる時、それぞれの楽器が個別の時以上に見事な音を響かせ始めることがあるのと通じるだろう」(165ページ)

 天才だらけの『新古今集』の時代になっても、権勢を示すというような政治的背景とともに、歌合は盛んに実施されていたそうだ。それも、平安時代よりもっと批評精神が強く研ぎ澄まされていたという。穂村弘『短歌の友人』永田和宏『現代秀歌』を読むと強く思うが、優れた批評家であることは歌人の創作にも好ましい影響をもたらしているにちがいない。もちろん批評できれば歌が詠めるというわけではないだろうが、少なくとも的確な批評をされることで歌が磨かれていくことはまちがいないだろう。『新古今集』時代の天才たちは、そんなふうに互いを高め合っていたのかな、と想像してしまう。

「歌の良し悪しを判定する歌合が盛んに行われたことが、和歌への批評精神を非常に高いレベルに押し上げたのである。平安時代の遊宴を主眼とした歌合から、和歌作品自体を評価・批評する文芸的な歌合へと、歌合そのものが大きく変化してきたことがわかる」(171~172ページ)

 屏風歌および障子歌については、歌が寄せられた屏風や障子がほとんど現存していない、という残念すぎる事態が報告されている。だが、「絵を動かす」という目的のもとに詠まれた歌は、失われた絵まで視覚化させてくれているようなものが多く、ちょっと感動してしまう。こういう試みは、現代歌人もやっているのだろうか。やっているのならぜひ見てみたいと思う。

「絵に音は表せない。風のような動きも表現しにくい。躬恒は、その風を持ち出して、音を響かせてみた。当然、平面に過ぎない絵も、動きと音を与えられて躍動しだす。歌は、二次元に静止している画面を、奥行きを与えて立体化し、さらに動的なものに変化させているのである」(178ページ)

「風景を、比喩などを用いて斬新な視点で描き出し、しかもいかにもその空間の中にいるように演じて詠む、という点なら、古今集時代の和歌にごく一般的に見られる傾向である。屏風歌だけのことではない。屏風歌は、その性格が強調されたものである。むしろ、和歌そのものに、ある空間を想定し、その中に入り込んで演じるという特性があるのであって、それが屏風歌に端的な形で表れた、と見なすべきである」(180ページ)

「絵と和歌が協力し合って一つの世界を作り上げるのが、屏風歌や障子歌の理想であろう。絵に奥行きを与え絵を動かすこと、そして、絵に入り込むこと、と捉えた屏風歌の詠み方は、絵と和歌の協和を可能にする方法にほかならない」(191ページ)

 人麻呂影供についても、やはり歌合同様、政治的な目的もあって普及したものだそうだ。万葉歌人柿本人麻呂は、この時代に文字どおり神になった。『新古今集』の時代の技巧的な和歌と『万葉集』の柿本人麻呂とでは、どうもイメージがちがいすぎるが、定家や家隆のような限られた天才たちの所有物ではない和歌が、こんなところでひっそり躍動していたのが見てとれる。

「人麻呂影供の持つ求心力に目を付けた権力者として、鎌倉時代初頭の源道親、および後鳥羽院がいる。彼らは、人麻呂影供にさらに歌合を結合した、影供歌合なる催し事をしばしば行った。時あたかも『新古今集』が成立する時代で、影供歌合は、この未曽有の和歌の季節の、推進力の一つとなった。では影供歌合で詠まれる歌には、何か普通と異なった傾向があるかといえば、とくにこれ、というほどのものはうかがいにくい。ただ、総じて意味の取りやすい、あっさりとした表現の歌が多い印象がある。『新古今集』時代の、いかにも入り組んだ難解な和歌に比べると、風景を淡々と描写したかのような歌が少なくないのである。影供歌合という場の持つ強烈な枠組みが、心素直で大らかな、と憧憬された万葉人の心持になることを許すのかもしれない。結果として秀歌は生まれにくいところがあるが、歌の儀礼として、結束力を高める効果には大きいものがあったと思われる」(197~198ページ)

平安時代も半ばを過ぎると、和歌は麗しい言葉の体系として、相当に秩序づけられていた。理想化されてきていた。反面、なかなか取りつきにくく、個人の心情の表現手段としては、距離を感じざるをえないものとなっていた。この距離を克服し、優れた歌を詠むために、日常的な現実を離れて、和歌の世界の中で悠々と遊ぶような存在になる試みが生まれた。好んでこれを試みる人物は、「数寄者」などと呼ばれた。柿本人麻呂は、数寄者たちの理想像として掲げられたのである。和歌的世界と現実世界との距離をつなぎうる歌人となるために」(200~201ページ)

 古今伝授については、わたしなどはそんなものがあることさえ知らなかったのだが、これは『新古今集』時代以降の和歌の姿を垣間見させてくれているように思える。15世紀の東常縁(とうのつねより)を起源とする、師匠から弟子へ『古今集』で語られた和歌の奥義を伝授する、という、じつに排他的かつ秘密主義的な儀式だそうだが、『古今集』との距離感がうかがわれる話である。歌に陰謀めいた、ずいぶん勝手な解釈をしていたそうだ。

「自分に引き付けた深読みであることを認めるならともかく、あたかも『古今集』の歌に本来そのような意味が内在しているかのように解釈するのはけしからん。後の本居宣長なども、そう言って古今伝授を全面的に否定した(『排蘆小船』)。この古今伝授否定論に対して、十分反論するだけの用意は、私にもない。たしかに、自分の考えに『古今集』という金看板を与えて、権威づけようとした面もあるだろう。時流に迎合したのかもしれない。ただ、この古今伝授の場が、師と弟子が一対一で対決する真剣勝負の場であって、類まれな緊張感に包まれた空間であったことは、忘れないでおきたい」(209~210ページ)

 渡部泰明がこれらの「行為としての和歌」で伝えようとしているのは、最初から一貫して主張されている「儀礼的空間」「演劇的空間」が、現実とは別個の空間でありながらも、なおかつ現実との関わり合いなしには解き明かせないものである、ということだ。

「現実に生活を営む作者と、作品からうかがわれる作者とは、それぞれ別個に存在する。片や現実の世界に、片や言葉で描かれた虚構の世界に別々に存在してはいるのだが、また重なる部分をも持っている。その重なる部分こそ、歌を作っている作者であり、事柄を演じている作者なのであった」(221ページ)

 例として、縁語が多用された有名な式子内親王の一首が挙げられている。

  玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする  式子内親王(222ページ) 

「例えば、式子内親王の「玉の緒よ」の歌では、「絶え」「ながらへ」「弱り」はすべて「玉の緒」の縁語になっている。かなり縁語を多用している歌なのである。情熱的な内容ばかりに目をくらまされていると、こういうレトリックへの評価がしにくくなってしまう。現行の注釈書でも、少々手に余るところがあるようで、この四語が縁語にもなっている、という付随的な扱いをされることが多い。だが、それでよいのだろうか。これらの縁語は、けっしてたまたま用いられているわけではない。では、縁語を駆使していることと、「情熱的な内容」とは、どう関わるのだろうか」(226ページ)

「むしろこの場合は、縁語という手掛かりがあったからこそ、普通では突き詰められない感情まで露わにすることができたと見なすべきなのだろう。「絶え」の繰り返しはもとより、「忍ぶる」以外は全部未来の状態動作であったりするなど、この歌の言葉はたしかに尋常ではない。本来ならあざとすぎる感情の吐露だと非難されてもおかしくない。縁語のおかげで、ようやくそれらは必然性を確保している。縁語は、文字通り真珠を貫く糸(「玉の緒」)のようなもので、はじけ散ってしまいそうな言葉たちを、ようやくつなぎとめている」(226ページ)

 つまり、これらの語彙が縁語であるという修辞的な点が、「尋常ではない」内容の歌を、一首の和歌として形成している、というのだ。上に引いた文章に倣えば、「現実に生活を営む作者」と「作品からうかがわれる作者」、その重なる地点である「歌を作る作者」が、縁語によって「儀礼的空間」で自由に振る舞えるようになる、というのだ。目指す方向はもちろん、理想とする「作品からうかがわれる作者」だ。こう書くとたいへん抽象的だが、おもしろい見方だと思う。

「縁語は、「歌を作る作者」が、自らを共感可能な「作品の中の作者」へと変えるための仕掛けなのである。作者を社会化するための装置といってもよい」(227ページ)

 上にも書いたとおり、和歌の歴史は『新古今集』時代のあとも連綿と続いており、近代短歌の誕生とともにその役割を終えたとされている。わかりにくいものであった和歌は教育手段となり、そのわかりにくさが、かえって人びとを惹きつけたのだという。

「中世に入って和歌世界がさらに拡大した大きな要因の一つに、和歌が教育と結びつき、修行や精神修養の役割も兼ねるようになったことを挙げておきたい。文語としての日本語の精髄であり、物語など散文を含めた他の多くの文学作品、さらに演劇・美術・工芸などさまざまな文化領域ともかかわりが深い和歌は、基礎的教育科目として理想的なものと見なされた。なかでも、自分で作れるところがいい。詠むことによって、その世界に参加できるからである」(232ページ)

「参加できる仕組みを持つことによって、和歌はすたれなかった。「作品の中の作者」はいわば理想的な人物であり、そこへ至るために、歌を作る努力を繰り返す。作ることが、修行であり、精神修養となる。それゆえ「歌を作る作者」は、理想へ至る過程として位置づけられるのである。こうして和歌は、社会的意義を新たに獲得しつつ、滅亡をまぬかれた。和歌が縁遠いものになったことが、逆にそれを目標にすることを可能にした。和歌への距離感が、憧れに転化したのである」(233ページ)

 後半部は自分の知識不足もあって無批判にページを繰るばかりとなってしまったが、前半部のレトリックに関する箇所は、全身が震えるような読書体験であった。本文をかなり多く引用してしまったため、例として挙げられていた和歌はあえてほとんど引かなかったので、すこしでも興味を持った方にはぜひとも手に取ってもらいたい。現代において和歌を体系的に理解しようとするうえで、これほど優れた本はそうそう見つからないだろう。たくさんの読者を得てほしいと心から思う、すばらしい一冊である。

和歌とは何か (岩波新書)

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〈読みたくなった本〉
正岡子規歌よみに与ふる書

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

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大岡信折々のうた

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

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