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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ヴァレリー・セレクション 上巻

配架-フランス文学 評価-★★★★★(奇跡) いわゆる-海外の詩 配架-本の本・文芸評論 テーマ-文学における神話 テーマ-失書症

 朝起きてすぐ、顔を洗ってコーヒーを湧かしたら、出勤前の時間をヴァレリーとともに過ごす、という生活を送っていた。過ごせる時間はもちろん早起きの度合いによりけりで、一時間のときもあれば三十分に満たない日もあった。そんなふうだから読書は遅々として進まなかったものの、生活のなかにヴァレリーが組み込まれるというのは大変気分のいいものだ。一時間読めた日など、もうそれだけで一日中楽しい。それに、この詩人は起き抜けの頭にはあまりに明晰すぎて、寝ぼけ眼を一瞬にして見開かせてくれるのだ。だが、ヴァレリーの書くものはただ無闇に難しいわけではない。それは読者を混乱に陥れることを目的として書かれているわけでは毛頭なく、著者自身も混乱しながら書いているため結果的に複雑になっている、というような性格のものでもない(ちなみにこういう類の本はとても多い)。ヴァレリーという作家は、彼にとっては明白このうえないことを、ただ可能なかぎり正確な言葉に置き換えようと努力しつづけている人なのだ。だから、語られている内容の難解さの割に、言葉を追っていて道に迷うことなどはなく、希望を失わずにページをめくりつづければ、明るい世界がやがて必ず開けてくる。焦らず、時間をかけて読むことが肝心だ。朝ヴァレリーは、少なくともわたしにとっては、そのための方法論として大変有効だったわけである。

ヴァレリー・セレクション (上) (平凡社ライブラリー (528))

ヴァレリー・セレクション (上) (平凡社ライブラリー (528))

 

ポール・ヴァレリー(東宏治・松田浩則編訳)『ヴァレリー・セレクション』上巻、平凡社ライブラリー、2005年。


 朝ヴァレリーを続けていたのは、二週間程度だろうか。もしも一日に使える集中力に上限があるのだとしたら、わたしはこの期間中、目覚めから数時間のうちにそのすべてを惜しみなく使ってしまっていたわけだが(そういう日の仕事ぶりは惨憺たるものだった。朝のうちに読んだことが一日中つきまとって、仕事に身が入らないのである。そのくせ気分ばかりはすばらしいのだ)、いま感想をまとめてみようと思って、ちょっと絶句している。書きたいことが多すぎるのもそうだが、「読み終えたぜ!」と確信をもって言えるような文章がただのひとつもないのだ。これはもうはっきりとヴァレリーの特徴で、どんなに読んでも読み足りない。このことは、じつはヴァレリーを読むたびにいつも強く思うのだ。読み足りない、という奇妙な確信を与えつづけるというのは、どこにも区切りが見出だせないということでもある。彼の語ることはどんな領域にもまたがっていて、というよりも、どんな領域にとっても本質的な問題ばかりで、どんな事柄に関心を持ってページを開いたとしても、ヴァレリーが関心を裏切るようなことは絶対に起こらない、と言っても良さそうだ。そういえばこんな文章があった。

「わたしは何人かの神秘主義者の作品を覗いてみたことがある。彼らを悪く言うことができないのは、そこでは読み手が持ち込む問題しか見つからないようになっているからだ」(「ポーの『ユリイカ』について」より、153ページ)

 だが、もちろんヴァレリーは神秘主義者などではなく、彼の文章は「読み手が持ち込む問題」以外のものもごろごろ転がっている金脈である。どちらも兼ね備えているのだ。読み手がすでに抱いていた関心は、思わぬかたちで、つまり期待していたのとはまったく違う方法で、しかも完全に満たされるだろう。ヴァレリーを読むということには、つくづく終わりがない。

「わたしに言わせれば、そうした体系化をせず何かの専門領域でまとまることがなかった点にこそ、彼の仕事の本当の姿があるのです」(東宏治「ヴァレリーを読むよろこび――訳者まえがき」より、11ページ)

 前置きが長くなったが、こちらの選集は、そんなヴァレリーの多様性、なにについても明晰なこの詩人の仕事の多彩さを、目に見えるかたちで突きつけたものである。しかも、今回の記事で採りあげているのは上巻だけだ。上巻は1930年までの作品のみで構成されていて、下巻にはそれ以降の作品が収められている。このような編纂だから、べつに上下巻を続けて読む必要性がないのだ。下巻は次の「朝ヴァレリー週間」まで、とっておくつもりでいる。以下、収録作品を挙げておく。いつもどおり三段階評価のつもりだったが、なにやらおかしなことになった。短篇集を読んだときなどに採るこの評価方法に意味があったことなどないので、あまり深く考えないでいただきたい。

★★☆「建築家に関する逆説」
★★★★★「方法的制覇」
★★☆「ブレアルの『意味論』について」
★★★★「精神の危機」
★★☆「マラルメ『骰子一擲』」
★★★★★「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」
★★☆「ポーの『ユリイカ』について」
★★★「最後のマラルメ訪問」
★★★★★「一詩人の手帖」
★★★★★(再読)「言わないでおいたこと」

 ご覧のとおり、少なくとも三篇、ぜったいに素通りできない評論があった。「方法的制覇」と「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」、それから「一詩人の手帖」のことで、堀口大學訳の『ヴァレリー文学論』にも(部分的にだろうか)収録されていた「言わないでおいたこと」という断章も、相変わらずの魅力を放っていた。以下、ものすごく長くなるだろうが、ひとつひとつ見ていきたい。

 最初の「建築家に関する逆説」は、ヴァレリー19歳の作品で、こんな19歳にはぜったいにお目にかかりたくないと強く思わずにはいられない。これは建築礼讃や音楽礼讃の外観を持った詩であると言い切ってもいい。固有名詞の登場する、忘れがたい文章がふたつあった。

「詩の世界は、長い時間をかけて語を硬い石のように削る「僧院」の建造者を得た。だが、建築家でフローベールたり得たものは、まだひとりもいない……」(「建築家に関する逆説」より、17ページ)

「この世の生がことごとく忘れられている奇妙な詩編を書いたエドガー・ポー」(「建築家に関する逆説」より、19ページ)

 フロベール『感情教育』を書かなかったら、文学(とりわけ小説)は20世紀にあれほどの窒息には見舞われなかったはずだ、というのは、わたしの意見ではなく、わたしにとってはロラン・バルトやロジェ・グルニエの受け売りである(『零度のエクリチュール』もしくは「沈黙」『フラゴナールの婚約者』を参照)。ポーについては、前にもどこかで書いたことがあるような気がするが、この作家のフランスでの地位は、ひょっとしたら本国アメリカのそれよりも高い。『モルグ街の殺人』のような怪奇短篇はいまでもボードレールの翻訳が版を重ねているし、詩について言えばマラルメの訳業も有名なのだ。ボードレールマラルメに訳されて歴史に残らないわけがない。19歳のヴァレリーがマラルメの翻訳でポーを読んでいたのかも、と考えるのは、ちょっと楽しい。

 せっかくマラルメとポーの話をしたので、先回りしてしまおう。「ポーの『ユリイカ』について」では、ヴァレリーがこれを読んだのは20歳のときだと告白されている。この評論、大変おもしろいことに、読んでも『ユリイカ』のことをぜんぜん読みたくならない(失礼)。ちなみに『ユリイカ』をフランス語に訳したのはボードレールのほうである。

「その頃わたしは二十歳で、ものを考えることに強大な力があると信じていた。そして自分の存在感と無力感のあいだで奇妙に苦しんでいた。ときどき自分のなかに無限の力を感じるのだが、その力は具体的な問題にぶつかると雲散霧消し、自分の実際的な能力の弱さに絶望するのだった。わたしは陰鬱で、軽薄、見たところ扱いやすそうだが、そのじつ頑固、軽蔑するときは極端で、何かに感嘆するとそれはもう絶対的なものとなり、簡単に印象を受けいれるくせに、人に説得されることはありえない」(「ポーの『ユリイカ』について」より、151ページ)

 20歳のヴァレリーもまた、19歳の彼と同様、ぜんぜん友だちにはなれそうにない。でも、20歳のころなんて、みんなそのようなものだと思う。ちなみにこの文章が発表されたのは1923年のことなので、書いたときのヴァレリーはもう50代だ。50代で20歳の自分をこんなふうに述懐するというのはおもしろい。

「わたしは自分のなかで思い浮かんだいくつかの考えに自信をもっていた。そしてその考えが、それを思いついた自分の気性と一致していることを、その考えに普遍的な価値がある証拠だと勘違いしたものだ。それはわたしの頭にこんなにも明白に思えるのだから、疑いようがないということだった。願望が生み出すものはつねにもっとも自明なものとなるのである」(「ポーの『ユリイカ』について」より、151~152ページ)

「わたしはすでに詩を書くことをやめていたし、本はもうほとんど読まなかった。小説や詩というものは、わたしに言わせれば、文学の究極の奥義に属するいくつかの特質の個別の、純度の低い、半ば無意識的な応用にすぎないのであり、この究極の奥義はきっとあるはずだというひるむことのない確信にもっぱら支えられて、わたしは自分がいつかそれを発見するに違いないと信じていたのだ」(「ポーの『ユリイカ』について」より、152ページ)

「哲学者について言えば、わたしはあまり読んだことがなく、そのせいでいらだっていた、というのも彼らはわたしが苦しんでいる困難な問題に何ひとつ答えてくれたためしがなかったから。わたしには彼らは退屈でしかなかったし、本物のなんらかの力を伝えてくれたという気持ちになったことがない。それにまず定義をしないで抽象的な諸問題を考察することは無意味だと思えた。でもそれ以外のことができるだろうか? 新しい哲学のための唯一の希望、それは哲学を非個人的なものにすることだ。この偉大な一歩を踏み出すには、この世界の終わりまで待たなくてはならないだろう」(「ポーの『ユリイカ』について」より、152~153ページ)

 ポーの『ユリイカ』はヴァレリーによれば、ある種の宇宙創造論なのだそうだ。わざわざ「ヴァレリーによれば」などと書いたのは、まだ『ユリイカ』を読んだことがないので字義どおりの意味で捉えていいのか確信が持てないからである。とはいえ、スヴァンテ・アーレニウスの名前まで挙がっているので、こればかりは字義どおり意味で捉えてもよさそうだ。

「『ユリイカ』の読者は、エドガー・ポーがラプラスの仮説にたいしても重力の法則についても、いかに拡大解釈をしているかを見ることになるだろう。彼はこうした数学上の説を基盤にして一編の抽象的な詩を書きあげたわけで、これは物質的で精神的な自然を総合的に説明する現代のたぐいまれな傑作のひとつ、つまり宇宙創造論なのである」(「ポーの『ユリイカ』について」より、164ページ)

 おもしろいな、と思ったのは、以下の箇所。言われてみると、フランス人は詩のかたちで哲学や宇宙創造論を語ってはいない。

ルクレティウスもダンテもフランス人ではない。わたしたちの文学には認識をうたう詩人がまったくいないのである。おそらくわたしたちはジャンルを区別することにたいする、つまりは精神の多様な働きの個別性にたいする特別なセンスをもっているあまり、それらを混在させる作品にがまんができないのだろう。わたしたちは歌わなくてもすむことがらを歌わせるすべを知らない」(「ポーの『ユリイカ』について」より、153~154ページ)

 ルクレティウスといえば、アナトール・フランス『神々は渇く』にも、『物の本質について』を常に携帯している愛すべき登場人物がいたことを思い出そう。ところで、「わたしたちは歌わなくてもすむことがらを歌わせるすべを知らない」という鮮烈な一文がわたしに思い起こさせるのは日本の短歌のことで、最近穂村弘『ぼくの短歌ノート』について書いたときにも述べたが、たとえば松木秀のような「社会性の強い」(じつに曖昧な形容。ヴァレリーだったらぜったいにこんな言い方はしないだろう)短歌を読んだとき、「これを短歌で告げる必要があるのだろうか」と考えずにはいられなかった。ここで言われているのは逆のことで、詩の形式を踏襲する必要がない事柄を語るときに、フランスの作家たちはそれを詩として書くすべを持たないというのだ。ルクレティウスやダンテの成し遂げたことを考えると、現代短歌の例はいかにも場違いではあるが、ちょっと考えずにはいられない指摘である。

「ポーのシステムにおいて一貫性は、発見の手段であるとともに発見そのものでもある」(「ポーの『ユリイカ』について」より、156~157ページ)

「成果がでなくても自己の力を消費することができるのが人間の栄光というものであって、しかも栄光だけに終わらないものだ。常軌を逸した探求は思いがけない発見と隣り合わせである。存在しないものにだって役割は存在するし、想像力を働かせることは現実的なことであり、純然たる論理学は偽はまた真なりとわたしたちに教える。だからこそ精神の歴史は次の言葉に要約できるように思われる。人間の精神はその追求するものを見ればばかげているが、その発見するものを見ると偉大である」(「ポーの『ユリイカ』について」より、165ページ)

 ポーに対する興味はあるのだが、これを読むかぎり『ユリイカ』はずいぶんややこしそうで、ちょっと腰が引けてしまう。だが、また先回りではあるが、ヴァレリーは「言わないでおいたこと」のなかで、こんなことも書いているのだ。

「書物。
 わたしが評価するほとんどのすべての本、そして何らかの意味でわたしの役に立った本は、例外なく、読むのが相当むずかしい本だった。
 注意力がこれらの本から離れてしまうことはあっても、読み流すことは不可能だ。
 ある本はむずかしかったけれど役に立った。別の本は、むずかしかったからこそ役に立った」(「言わないでおいたこと」より、229~230ページ)

 だからじゃないけれど、とびきり難しい本を読みたいな、と、いま強く思っている。もちろん、上に挙げた「哲学者」の例のように、期待に応えてはくれない可能性もかぎりなく高いのだけれど。これまでにわたしが読んだなかでいちばん難しかった本(内容の観念的な意味で)は、たぶんベンヤミン『複製技術時代の芸術』なのだが、もうあんな苦行は嫌だな、と、どうしても思ってしまう。どっちだよ。

 さて、マラルメの話をしよう。マラルメは、ものすごく正直に言うと、わたしにとってはいまだに縁遠い作家だ。ヴァレリーがこれほど尊敬の念を隠そうともしないのだから、いつか将来、きっと好きな作家になって、こんなことを書いたことを後悔することになるに決まっているのだけれど、なんというか、日本での受容のかたちがぜんぜん気に入らなかったのだ。最近『マラルメ詩集』が岩波文庫に入ったおかげで、ようやく一冊、読みたいと思ったときに貯金を切り崩すことなく購入できる本が刊行されたわけだけれど、それまでのマラルメというのはさも「文学者のための詩人」といった雰囲気をまとっていて、文学者という肩書きに(たぶん必要以上に)懐疑的なわたしとしては、その閉塞的このうえない「ありがたがられ方」が、とても気に入らなかったのだ。そんなに重要な詩人だとだれもが認めるのであれば、もっと早く、手に取りやすいかたちで訳書が刊行されても良さそうなものではないか。野崎歓『赤と黒』を翻訳したときの、いわゆる「スタンダール研究者」たちの総叩きなどは虫唾が走る顕著な例で、悪訳であれなんであれ、文句があるのなら自分で現代的な翻訳を刊行する努力をすればよかったのだ。訳書が増えることは読者に選択肢を増やすことなのだから、ほんとうに読まれるべき作家であれば、より納得のいく訳書をどんどん刊行すればいい。『赤と黒』を全文翻訳するというのは大変骨の折れる作業にちがいないのに(どう見たって長い)、その結晶を同じフランス文学研究者であるはずの人たちが叩く、というのは、とても悪趣味なことのように思えてならなかった。

 話が逸れた。もちろん、日本での受容のあり方など、マラルメ本人とはなんの関係もないので、さっさと切り上げてマラルメに戻ろう。と、その前に、「ブレアルの『意味論』について」に見られる一節を挙げておく。

代数学、音楽の記譜法、ある種の装飾法、暗号通信術などは、意味論的な分析をほどこすことができるだろう。意味という観点からすると、わたしに言わせれば、こうしたすべての体系や言語は、様式の上では大きく区別されるものの、その意識のレベルでは結びついているにちがいない」(「ブレアルの『意味論』について」より、65ページ)

 なぜこれを先に引いたのかというと、代数学という言葉をもって、ヴァレリーはマラルメの詩を形容しているのだ。

「通常の文学は、わたしには算術に、つまり個別の結果の探求に喩えられるように思われた。そのなかでは、規則と範例とが区別しづらい。それにひきかえ、彼が構想を立てていた文学は、わたしには代数学に似ているように思われた。というのも、それは、言語の形を明らかにし、それを思考を通じて保存し、形自身のために発展させようとする意志を前提にしていたからである」(「最後のマラルメ訪問」より、176ページ)

マラルメは、例年より早めに到来した夏が黄金色に染め始めていた平原を、わたしに指さした。《見てごらん、あれは、秋のシンバルが大地に打ち下ろす最初の一撃なんだよ》、と彼は言った」(「最後のマラルメ訪問」より、179ページ)

 ヴァレリーの描くマラルメはこのうえなく魅力的で、上に挙げた「秋のシンバル」というのは、この本のなかで伝えられている唯一のマラルメの肉声である。こんなことを言う詩人を、もう無視することなんてできない。上に書いたようなくだらない話をすべて忘却の底へ追いやって、いますぐにでも読まねば、と思っている。

「わたしはマラルメの最後の作品が、長い時間をかけて正確に考え抜かれた実験につきもののあらゆる性格を有していることだけを示そうと思ったのです。この作品を無視したり、あざ笑ったり、さらには、精神病理学を引き合いに出すことさえ可能でしょう。そうしたことは、すべて予見されていましたし、知られていました……。そうした反応の方がむしろ社会通念にかなったといってもいいくらいです」(「マラルメ『骰子一擲』」より、102ページ)

 ところで、ヴァレリーは「ポーの『ユリイカ』について」で語っていたのとほとんど同じことを、「最後のマラルメ訪問」でも繰り返している。

「わたしがマラルメ本人と頻繁につきあい始めた頃、わたしにとって文学は、もはやほとんど価値のないものになっていた。読んだり書いたりすることは、わたしの気持ちに重くのしかかっていた。告白すると、その当時の倦怠感のなにがしかが、今でもわたしには残っている。自意識のための自意識、こうした注意力の解明、それに、自分自身にたいして自分の存在を鮮明に描き出したいという気遣い、こうしたものが、わたしのもとを離れることはほとんどなかった。この密かな痛みは「文学」に由来するにもかかわらず、それは「文学」から遠ざけるのだ」(「最後のマラルメ訪問」より、174ページ)

「わたしは彼を愛していたし、彼をだれよりも上位に位置づけていた。だが、わたしは、彼が生涯崇拝していたもの、生涯のすべてを捧げたものにたいして崇拝の念を持てなくなっていたので、こうした問題を彼の耳に入れる勇気が起こらなかったのだ」(「最後のマラルメ訪問」より、175ページ)

 マラルメが「生涯崇拝していたもの」とは、もちろん詩そのものであるわけだが、ひょっとしたらこれはもっと狭義の「純粋詩」のことを指しているのかもしれない。これについては後述する。若き日のヴァレリーが本を読みすぎたためにある種の失書症に陥ったのは、ほぼまちがいない。「言わないでおいたこと」にもこんな文章があるのだ。

「別の世界。
 疲労が行きつくはてに見させてくれる新しい世界。劇場にいて襲ってくる睡魔によって、物のかたちはゆがみ、光線はどぎつくなり、まわりのものが揺れはじめ、声が人間離れして調子はずれになる。
 言ってみれば、人は目では見つづけている世界を離れてしまい、いまでは自分の絶対的な動きしか知覚しなくなる、まるで別の船に乗っているようだ。もはや旅を追いつづけることはしなくなり、それまで自分が乗っていた事物の全体が一塊りとなって通りすぎるように見え、もう何も理解できなくなる。
 ……同じようなことが文学でも、若くして短期間に本を読みすぎたり感じすぎたりして疲れた頭のなかで起こるのである。そういう頭は、性急な表現や極端な表現を産み出し、気の短い支離滅裂なものにしかがまんできなくなる……。これが新しいということだ。疲労のしるしである」(「言わないでおいたこと」より、233~234ページ)

 この「劇場」という語彙は、ただちに『ムッシュー・テスト』を想起させるものであることも、忘れずに指摘しておきたい。そういえば「テスト氏」の友人である「わたし」は、もともとポーにあやかって「デュパン」という名だったそうだ。それにしても、「新しさ」が「疲労のしるし」だなんて。ロラン・バルトが喜びそうな一文である。文学において新しさを追いかけつづけるひと、たとえば現代の日本だったら高橋源一郎などに意見を聞きたいところだ。ヴァレリーはこうも述べている。

「もっぱら新しさを好むことは、批評精神の一種の退化を示す、というのも作品の新しさを判断することぐらい簡単なことはないからだ」(「言わないでおいたこと」より、222ページ)

「独創性を狙ってはならない、特に現代のような時代にあっては。というのも、独創的なものはすべて、現代において、自分を他と区別して際立たせるものならどんな手段でも利用しようとしている人間が虎視眈々とつけ狙っているものであるし、また貪欲なまでの注意を差し向けているものでもあるからだ。その結果、朝に独創的であったものが、もう夕方には模倣されているということが起こる。朝に、それが人目を引いて、新しいということがあればあるほど、夕方、創造された効果の繰り返しは人目を引いて、耐えがたいものとなる。
 ――古いものと新しいものとを軽蔑せよ」(「一詩人の手帖」より、196ページ)

 マラルメに戻ろう。友人マラルメの最後の作品について語った「マラルメ『骰子一擲』」は、この作品の評論というより、これを舞台化しようとする企てに対するヴァレリーからの精一杯の拒絶である。現代の状況を見ても明らかだが、すこしでも人気を獲得した芸術作品というのは、ただちに商品として翻案され、商業主義的な観点からずたずたに引き裂かれてしまう。サラマーゴの『白の闇』などは顕著な例だが、いまやぜったいに映画化や舞台化のできないような作品を書こうという企てさえもが、映画製作者側にはある種の挑戦のように受け取られてしまいかねない時代になった。これほど早く鳴らされていたヴァレリーの警鐘に、耳は傾けられなかったのだ。

「興奮した人間は論理など受け入れるものではありません。わたしの友人は落ち着き払ったわたしを、あたかも粉々に砕きたい欲望をかきたてる美しい壺のように見ていました」(「マラルメ『骰子一擲』」より、92ページ)

「変身が一種の法則になってしまいました。精神が作り上げたものは、現代では限りのない受肉化と再受肉化を義務づけられているかのようです。しかし、最初の思考がそれでたいした利益を得ているとは思えません」(「マラルメ『骰子一擲』」より、105ページ)

 さあ、もうすでに十分長いと思うが、じつはまだ書きたいことは始まってすらいない。まずは「方法的制覇」である。これは普仏戦争以降のドイツがヨーロッパ内で急に頭角を現した理由を解明しようとした、社会学的と呼ぶことすら可能な評論で、もう十年も前に読んだ谷川稔の『国民国家とナショナリズム』のような歴史書さえ思い出さずにはいられなかった。この谷川稔のごく薄い本のなかでは、ちょうど普仏戦争当時のドイツ領内に住む人びとが、いかに「ドイツ人」という呼称を国威発揚のために利用したかが鮮明に述べられているのだが、どうもヴァレリーの文章を読むかぎり、国威発揚に貢献したのは呼称以前に、それを用いることを可能にしたシステム、ヴァレリーの言葉では「方法」そのものであったようなのだ。

「なんらかの結果を確信しているということのなかには、なにか陶然とさせるものがある――その確信が熟慮された活動の結果と見えるようなときの話だが」(「方法的制覇」より、31ページ)

「ドイツの成功のなかに、わたしはなによりもまず一方法の成功を見る。わたしの称讃の念をかきたてるのは方法である」(「方法的制覇」より、31ページ)

 ただ、読んでいてすぐに気がつくことであるが、社会学的や歴史学的といった形容は、この圧倒的な評論に対してはなんの意味も持たない言葉である。ここで語られているのはもっとずっと本質的なことで、それを社会学歴史学に限定した見方をしてしまうのは矮小化以外のなにものでもない。普仏戦争におけるドイツ側の功績者、モルトケ元帥の名前が何度も挙がっているが、この人物における最大の功績は、英雄を必要としない方法を編み出したことだというのだ。

モルトケ元帥はこの方法を体現している。彼はこの方式の主導者であり手本である。心の奥深くに秘められた彼の意図は、かけがえのない人物としては死なないということだったように思われる。彼と彼以前の偉大な将軍とを区別するのは、この点である。それこそ、彼が発明した唯一のものである」(「方法的制覇」より、38〜39ページ)

「彼は情熱もなく、天才もなく、書類の山に囲まれている」(「方法的制覇」より、40ページ)

 ブレヒト『ガリレオの生涯』、終盤の掛け合いが思い出される。「英雄のいない国は不幸だ!」「違うぞ。英雄を必要とする国が不幸なのだよ」。これを書いたのがドイツ人ブレヒトであるというのも、いまになってみれば象徴的だ。モルトケ元帥はある種の英雄として映るが、その彼が英雄的である理由というのは、まさしく自身を英雄として必要としないですむ、自分さえも代替可能な一構成要員と見なす方法を構築したことにある。方法論の寡黙な遂行者、という意味では、サン=テグジュペリの小説『夜間飛行』に登場するリヴィエールなども思い出さずにはいられない。ちなみにヴァレリーがこの論文を発表したのは1897年のこと、第一次大戦の兆しさえほとんどのひとは感じていなかったであろう時機であったことも忘れずに書いておきたい。

「この無感動な英雄にとって、真の敵は偶然である」(「方法的制覇」より、40ページ)

「方法は個人の文字通りの凡庸さを要求するのである。あるいはむしろ、すべてのものに無差別に、熱狂することなく振り分けられた我慢強さとか注意力などといった、もっとも基本的な天賦の才の偉大さだけを要求するのである。つまりは、仕事の能力である。ひとたびこれが与えられたなら、相手がどんなに優れた人間であっても、つねに必ずそれをうち負かす個人を獲得できるのである」(「方法的制覇」より、40〜41ページ)

 ここで語られているのは資本主義社会の企業のことなどではないはずなのだが、あまりにも似通いすぎていて、ちょっと絶句してしまわないだろうか。突出した才能のようなものは、ここではすべて想定外のものなのだ。そんなものは偶然性、すなわち彼らの方法を揺るがす、いわば毒素、敵でしかない。だれにも模倣不可能なものなど、ここではなんの役にも立たないのだ。方法とはすなわち、優秀な「人材」の節約なのである。

「彼は死なない。彼の後にも別の二流の人間たちが確実に存在して、彼らにもっとも適した、そして彼らをもっとも高めてくれる彼の生涯を模倣することになる。彼が消え去っても、すべてがもとのままなのだ。それは、国家にとって大きな力である」(「方法的制覇」より、41ページ)

「個々の人員の質は凡庸で、安定しているように思われる。とはいえ、その方が全体の成長には完璧なのだ。そこでは、英雄の時代は過ぎ去ってしまった。そうした時代に意図的に幕を引いたのだ」(「方法的制覇」より、42ページ)

「優秀な個人たちの発見したすべてのもののうちで、人々は模倣可能なものだけを忘れまいと引き留める――それらは、模倣されることによって、凡庸な後継者たちの手段を倍増させるのである」(「方法的制覇」より、42ページ)

 天才を必要としない方法論を築きあげたことで、いくらでも代替可能な凡人たちが、天才を必要としないままに全体の成長を連続的に推進することが可能になった。同じことがイギリスやフランスで起こらなかった理由の分析も、ちょっとわかりやすすぎて笑えてくる。ここでの方法とは、つまり規律のことなのだ。

「規律は、あらゆる特殊ケースにたいして、単純で確実な答えを与えてくれる。規律は見つかるものをすべて見つけるようにと絶対に強制する。それは服従だけを要求し、決して並はずれたものは要求しない。それは偶然の役割を減少させる」(「方法的制覇」より、49ページ)

「イギリス精神は、自分に悪いと思われるものを修正することにかけては決して躊躇しないが、これまで良かったもので、今もなお自分を満足させてくれるものを変更することにかけては、ずっと反対し続けている。こうしたイギリス人気質の原因は、おそらくは、海という濠に周囲を囲まれ、それを艦隊が監視しているおかげで、たとえ危険が迫ったにしても、それに対処し、万全の策を講じるだけの十分な時間があるはずだといういつもの確信にあるのだ。しかも、こうした確信はこれまでの歴史によってつねに正しいものと裏付けられてきたのである」(「方法的制覇」より、23〜24ページ)

「ドイツは一切を、あるひとつのことに負っている。そのひとつのこととは、ある気質の人たち――とりわけイギリス人やフランス人にとっては、この世でもっとも嫌いなものなのだ。それは規律である。それを軽蔑してはならない。それに、規律には別の名前がある。知的分野では、それは方法と呼ばれる」(「方法的制覇」より、44〜45ページ)

「イギリス人やフランス人は方法を発明することができる。彼らはそれを証明して見せた。彼らは規律に服従することもできる。それもまた証明済みである。だが、彼らはいつでも別のものの方を好きというだろう。彼らにとって、それはやむを得ない手段、一時的な手段、犠牲である。ところが、ドイツ人にとって、それは生そのものなのだ」(「方法的制覇」より、45ページ)

「規律は、あらゆる特殊ケースにたいして、単純で確実な答えを与えてくれる。規律は見つかるものをすべて見つけるようにと絶対に強制する。それは服従だけを要求し、決して並はずれたものは要求しない。それは偶然の役割を減少させる」(「方法的制覇」より、49ページ)

 しかし、この規律すなわち方法を国家レベルで援用したのはドイツの独創性ではあるが、それ自体が新しいものであるかというと、答えは否である。個人の「人格」と、これまで大雑把に呼ばれてきたものは、個々人の習慣や概念、すなわち内的方法の外見を誤って命名したものだというのだ。

「着想は、認識されていない道や支配されていない出来事を通ってやって来る。これまで多くの現象の理論が作られたが、理論の理論はまだない。文学も、芸術も、自発的で、起源が不明確で、一般的な手続きが不在という同じ外見をしている。選択、置き換え、組合わせのための現象が細心綿密に無視されている」(「方法的制覇」より、50ページ)

「しかしながら、なにかをして、それを追究していくすべての人たちのなかには、なんらかの方法が創造され、成長していくものだとわたしは確信している。観念や形式の偉大な発明者たちは、みな個人的な方法を利用したように思われる。わたしが言いたいのは、彼らの力そのものも、彼らの技量も、ある習慣なり、彼らの思考全体を支配するある概念の使用に基づいているということである。奇妙なことに、こうした内的方法の外見そのものを、わたしたちは彼らの人格と呼んでいるのだ」(「方法的制覇」より、50ページ)

 つまり、たとえば芸術においても、方法というものは目に見えないというだけで、個々人が抱えているものなのである。もしも個人的なそれを一般化して、だれにも明確に伝えることを果たした書物があったなら、それを紐解くことで、ひとはだれでも天才になれるだろう、とヴァレリーは言う。すなわち、天才を作り出すための方法が書かれた書物のことである。ここでの天才がその本質といってもよさそうなもの、偶然性から脱け出してきていることを忘れてはならない。

「天才を……他人のために生み出させるこの奇妙な法則は、このような著述によって、極限的な的確さにまで高められることだろう。人が美しかったり、天才なのは、ひとえに他人にとってのことなのだ」(「方法的制覇」より、51ページ)

 偶然性としてドイツに排除されたような突出した才能は、言ってしまえば、全体にとってのみ突出しているというだけで、個々人にとっては明晰な方法論の成長の結果であるはずなのだ。「方法的制覇」を読むと、特定のだれかに対する呼称としての「天才」という言葉が、なんの意味もないものであることが圧倒的な論理をもって証明される。もう二度とだれかを安易に「天才」と呼ぶことなどできないだろう。

 さて、「精神の危機」は1919年の発表、「方法的制覇」からは20年も後に書かれた、第一次大戦後の文章なのだが、語られている内容には「方法的制覇」との繋がりも色濃く見られる。

「ひとたび生まれて、その具体的な応用の数々によって試され、報われもしたわれらが幾何学は、権力手段、実際的な支配手段、富の刺激剤、地球上の富の開発装置となってしまい、――「自己目的」、芸術活動であることを止めてしまいます。消費価値であった知識が、交換価値になります。知識の有用性が、知識をもはや少数のきわめて卓越した愛好者によってではなく、「万人」によって望まれる一商品にしてしまいます」(「精神の危機」より、87ページ)

「思弁的な精神の持ち主にとって、この問題の魅力は、まず第一に、それが拡散という物理的事実に類似しているという点に由来します。――次に、思考する人間が、分子ではなく人間というその最初の対象に戻るやいなや、この類似が深刻な差異に突然変化するという点に由来します」(「精神の危機」より、88〜89ページ)

「水のなかに落ちた一滴のワインは、ほとんど水を染めることなく、バラ色の煙のようなものを立てた後、消えてしまいます。それは物理的事実です。しかし、今度は、そのように消えて透明に戻ったしばらくの後に、再び純粋な水になったとばかり思われた杯のなかのあちこちで、暗い色の純粋なワインの滴が形成されるのが見られると仮定してみてください。――なんという驚きでしょう……。
 こうしたカナの現象は、知的で社会的な物理学のなかではあり得ないことではありません。こんなときにこそ、人々は天才という言葉を使い、それを拡散に対立させるのです」(「精神の危機」より、89ページ)

 天才が、いまやはっきり拡散と対立される概念となっているのが興味深い。偶然性の拒絶が、1919年にはすでに明白な事態となっているのだ。それに伴い、知識の商品化が進んでいる。もっとも知識の商品化それ自体は、『読書について』ショーペンハウアーでさえ嘆いていたものであるので、なにも新しい問題というわけではない。この文章が新しいのは、それが「模倣可能な」知識という意味で語られているからにほかならない。つまり模倣不可能な知識は、拡散の対象にはならないのだ。

「わたしたちは今、歴史の深淵が、わたしたち全員を呑み込むのに十分なほど大きいのを知っています。わたしたちは、一文明が一個の生命と同じく脆弱なのを感じています。キーツやボードレールの作品が、メナンドロスの作品がたどったのと同じ運命をたどるかもしれないといった状況は、もはや考えられないものではないのです。そうした状況は実際に新聞に載っているのです」(「精神の危機」より、69ページ)

「戦時中ほど、読書がさかんに、また熱狂的に行われたことはありませんでした。本屋に聞いてみれば分かります。祈りがこれほど、また心の底からなされたことはありませんでした。司祭に聞いてみれば分かります。ありとあらゆる救済者、創始者、庇護者、殉教者、英雄、建国の父、英雄的聖女、国民的詩人らが呼び起こされました……」(「精神の危機」より、71ページ)

「希望とは、存在が自らの精神の正確な予想にたいして差し向ける不信感に他なりません。存在にとって都合の悪い結論はすべて精神の誤謬でなければならない、と希望は暗示するのです」(「精神の危機」より、73ページ)

「ある程度のレベルに達した頭脳はどれも、あらゆる種類の意見が行き交う交差点でした。あらゆる思想家は、思想の万国博覧会でした。精神の作品のなかには、対比や矛盾する衝動に富んだものがあって、それは当時の国々の首都で見られた常軌を逸した照明効果を思わせるのでした。目は疲れ、退屈します……。このようなカーニヴァルが可能となり、それが最高の知性の形として、そして人間性の勝利として確立されるためには、いったいどれほどの資材や、労働や、計算や、略奪された世紀や、付加された異質な生が必要だったことでしょう」(「精神の危機」より、76ページ)

 アナトール・フランス『シルヴェストル・ボナールの罪』の一節を思い出す。「たくさんのご本でございますね。ボナール先生、先生はこれをみんなお読みになったのでございますか」。「悲しいことにみんな読みました。だからこそ何にも知らないのです。何しろどの本もほかの本と矛盾しないものは一冊もない、したがってみんなを知ればどう考えてよいかわからなくなる。私はそんな状態にいるのです」。未曽有の戦争を経たあとの精神状態というのは、どんなものなのだろう。穏やかな日常を取り戻すことの難しさは、戦争中よりもそれが終わったあとに突きつけられるのだ、という気がしてくる。

「彼は知的なハムレットです。彼は諸々の真理の生と死について瞑想しています。わたしたちの議論の対象のすべてを、彼は亡霊として持ち、わたしたちの名誉の称号のすべてを後悔として持っているのです。彼はさまざまな発見や知識の重みに押しつぶされて、以前のような際限のない活動を再開することができません。彼は過去を再開する厄介さや、たえず革新せずには気がすまない狂気のことを考えています。彼は二つの深淵のあいだでよろめいています、というのも、秩序と無秩序という二つの危険が世界を脅し続けているからです」(「精神の危機」より、77〜78ページ)

「恐ろしいまでに明晰な彼の精神は、戦争から平和への移行を見つめています。この移行は、平和から戦争への移行以上にはっきりとせず、危険なものです。すべての国民が、そのために動揺しています」(「精神の危機」より、78ページ)

「平和とはなんだろう。平和とは、おそらく、人間どうしの自然な敵意が、戦争のような破壊行為で表現されるかわりに、想像行為によって表明される事態のことなのだ」(「精神の危機」より、79ページ)

 これら「方法的制覇」と「精神の危機」で語られていることは互いに似通っていて、岩波文庫版のヴァレリー評論集『精神の危機』も読まずにはいられなくなった。こちらの評論集は精神そのものを題材にした文章を集めているそうなので、もちろん「方法的制覇」も「精神の危機」も収録されているのだ。ヴァレリーの訳書が豊富にあるというのは、このうえなく喜ばしい。

 さて、ここからは詩についての話である。「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」には、何度も驚かされた。これほどまでに自分の関心に適った、しかもその期待を遥かに超える文章が目の前に突如として現れるというのはもはや奇跡めいていて、恐ろしくさえなったほどだ。

「詩人には、陶工のようなところがある。彼はありふれた材料を取りあげ、ふるいにかけ、小石を取り除き、それに自分の観念の形を押しつける。一瞬ごとに、彼は作られつつあるものと彼が作ろうと意志したものとのあいだで、いわば宙吊り状態になっている自分を感じる。期待と思いがけないものとが、彼を通して互いに作用、反作用をする。それこそが崇高なのだ。神自身も、少しの赤土と、それよりやや少なめの息吹でわたしたち人間を作った。確実に創造することもできたはずのこの本質的な詩人は、危険を冒して作品を作ることの方を自分にふさわしいと考えたのだ。彼は作れると信じていたものを作ったわけではない。その意味で、わたしたちは彼に似ている」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、108ページ)

「存在しないものほど美しいものはない」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、120ページ)

「仕事の本質をなしているのはなにかというと、定義不可能な状況であり、謎めいた出会いであり、たったひとりの人間にだけ見える事実であり、またそのひとりの人間にとっては、あまりにも馴染みで容易すぎるためにかえって知ることのできない、それ以外の事実である」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、126ページ)

「わたし自身は、わたしがこれからなにを作るのか知らない。しかしながら、わたしの精神は自分のことを知っていると思っている。そして、わたしは、こうした認識を基礎として樹立する。こうした認識をわたしは頼りにするのであり、それに「自我」と名づける。だが、わたしは自分を驚かせるものを自分に作るだろう。もし、その点に疑いを持ったなら、わたしは無となるだろう」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、126ページ)

 詩人、いや、芸術家というのは、まずもって「自分を驚かせるものを自分に作る」のだということ。これほどまでに見事な定義は想像を絶していて、天才になる方法を書いた書物を著わすひとがほんとうにいるのだとしたら、それはヴァレリー以外にはありえない、とさえ思ってしまう。

「自分の夢を書きたいと思う人間は、かえって限りなく目覚めていなければならない。つい今し方まで君がそうだった弱々しい睡眠者の奇矯な言動や自分自身への不実をかなり正確に模倣しようと望むのなら、そして、記憶の茫漠とした無限の広がりを、物思いに耽った魂が枯葉のように落下していくさまを君の心の奥で追究しようと望むのなら、注意力を極限まで推し進めもせずにそれに成功しようなどと期待してはならない。極度の注意力が生み出す傑作とは、そうした注意力の犠牲があって初めて存在するものを、不意打ちして捉えるということにあるだろう」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、112~113ページ)

 定型詩についての記述が豊富なのも、この「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」の大きな魅力だ。ヴァレリーが「定型詩」というときに想定しているのはソネット(フランス語ではソネ)のような脚韻詩のことなのだろうが、最近のわたしはどうしても日本の短歌が頭にちらついて離れない。定型という「制約」をわざわざ設けること、すなわち無限の可能性をみずから捨てることで、詩人は初めて、有限の世界の向こう側を覗くことが可能になる、と言ってもよさそうだ。

「わたしは、解釈の誤りがどんなときでもわたしたちの害になるとか、奇妙な湾曲を持った鏡がわたしたちを実際以上に美しく見せることなどないというつもりはない。だが、著者と読者とのあいだで行われる交換の不確実さを恐れる人たちは、昔ながらの詩句における固定した音綴数や、多少なりとも人為的なシンメトリーのおかげで、きわめて単純に、――お望みならば、大雑把にといってもいいが、――こうした危険が制限されるという利点を見出すことだろう」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、117ページ)

定型詩を書くということは、おそらく、外的で、かなり常軌を逸した、つねに困難で、ときに残虐な法則に身を任せることなのだ。この法則は、無限数の見事な可能性を詩から遠ざける一方で、抱かれるとは予想もしていなかった多数の思考を、とても遠いところから詩に呼び寄せる」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、117~118ページ)

「技巧を凝らした詩とは、深遠な懐疑主義者の芸術である。その詩は、わたしたちの観念や感覚全体にたいする比類のない自由を前提としている。神々は、気前よく、わたしたちにただで最初の句を与えてくれる。だが、この与えられた句と韻を踏み、超自然的な兄ともいうべき第一句にふさわしい第二句を作り上げるのは、わたしたちの責任なのだ。第二句を天からの贈り物である第一句に匹敵するように仕上げるには、経験や精神のあらゆる手段を尽くしても十分ということはない」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、123~124ページ)

 ラ・フォンテーヌその人についても、興味深い記述が尽きない。ちなみに訳注を省いてしまったのだが、フランス語の名詞では、フォンテーヌは「泉」や「噴水」を意味する(「ラ」の部分は女性名詞にかかる定冠詞)。

「おそらく、このラ・フォンテーヌという名前自体が、わたしたちの子どもの頃から、一詩人の想像上の姿と、得も言えず清々しく深いという茫漠とした意味とを、つまり泉の持つ魅力とを、永遠に結びつけてしまったのだろう。同音は、ときに神話を作るものである。偉大な神々にも語呂合わせから生まれた例がいくつか見られるが、語呂合わせとは、一種の不義密通なのだ」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、109ページ)

「無邪気さは、ここでは、凝りに凝ったものだということ、軟弱さは周到に仕組まれたもので、安直さは芸の極みだということに気づかなければならない。純朴さにいたっては、当然ながら問題外である。これほどまでに持続された芸や純粋さは、一切の怠惰や人の良さといったものを排除するようにわたしには思われる」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、112ページ)

文学史は、聖史と同様にさまざまな黄金伝説で織られている。もっとも人を欺くような伝説は、必ずもっとも忠実な証人によって作られる。自分たちの見たものを、あたかもわたしたち自身が見たかのようにわたしたちに伝えることに徹した誠実な人たちほど、人を騙すものだ。いったい、目に見えるものが、わたしにとってなんの価値があるというのだろう」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、124ページ)

 とくにおもしろいのが、伝記や文学史に描かれたような事柄が、その詩の起源を読み解こうとするうえではなんの役にも立たないという指摘である。これについては、ヴァレリーの伝記を書いた清水徹も断り書きとして述べていた記憶がある。

「いわゆる文学史のもたらす情報などは、したがって、詩の発生の奥義にはほとんど触れていないということなのだ。あたかも芸術家の存在の観察可能な出来事など、彼の作品に表面的な影響しか与えていないかのように、すべては彼の内面深くで行われる。もっとも重要なこと――ミューズたちの行為そのもの――は、作家の遭遇した波乱万丈の事件や、生活ぶりや、偶発事や、伝記のなかに登場するような一切とは独立している。歴史に観察できるもののすべては、無意味である」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、125ページ)

 それにしても「歴史に観察できるもののすべては、無意味である」だなんて、なかなか書けることではない。たとえばヴェルレーヌなどは、私生活にかなり密着した詩を書き残しているが、ヴァレリーにとって重要なのはゴシップめいた経緯ではなく、作品がいかに書かれたかという点だけなのだ。いかに、といっても、それは作品の内容についての楽屋話などではない。そうではなく、ここで問題になっているのは文字どおりの「発生の奥義」、おそらく書いた詩人本人にも明確ではない精神の動きのことなのだろう。

「アドニスは、あたかも落下の最中に重さを失って停止した石のようである。もし石がなにかを感じるとしたなら、まずは、突然消滅した運動の引き起こすあらゆる激しい効果を強く感じるに違いない。その後で、いわば失ってしまった自らの全重量を感じるに違いない、それに服従するのも自由なので。このように、恋愛感情は所有すると弱まり、喪失したり剝奪されると発展する。所有するとは、もうそのことを考えないこと。反対に、喪失するとは、心のなかで無限に所有することである」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、136ページ)

「怪物がどんなに恐ろしいものであっても、それを描く仕事の方が怪物よりもつねに少しばかり恐ろしい。よく知られていることだが、芸術のなかに登場する怪物は、気の毒なことに、いつも滑稽な姿をしている。描かれたり、歌われたり、彫られた動物のうちで、わたしたちに少しでも怖い思いをさせた動物がいないばかりではなく、最後までわたしたちが真面目な態度で接することのできる動物もいないのである」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、139~140ページ)

 また、ロラン・バルトが読まなかったわけがないと思われるような記述も見つけた。以下の一連の文章は、バルトがエクリチュールという言葉で説明しようとしてきたもの、そのままだと思う。

「このラ・フォンテーヌの『アドニス』は、およそ二百六十年前に書かれた。これほどの時間のうちに、フランス語も変化しないではいられなかった。それに、現代の読者も1660年の読者とはだいぶ違っている。現代の読者には別の思い出があり、まったく別の《感受性》がある。その教養も違っている、教養を一種類持っていると仮定しての話だが(現代の読者は複数の教養を持っているときもあれば、全然持っていないときもある)。現代の読者が喪失したものもあれば、獲得したものもある。現代の読者とかつての読者とは、もう同じ種族に属していないと言ってもいいほどである」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、148ページ)

「著者の精神は、それを望もうが望むまいが、知っていようが知っていまいが、彼が必然的に自分の読者について抱く考えに、いわば調律させられている。したがって、時代の変化とは読者の変化であり、それはテクストそのものの変化にもたとえられるのであって、つねに予見不能で計算不能な変化なのである」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、148ページ)

「わたしたちの読んでいるものが、作者の同時代人たちの読んでいたものと同じだとは考えないようにしよう。彼らがもっとも高く評価していたものが、わたしたちに気づかれないということも、ひょっとしたらあるのであり、また、彼らがほとんど目もくれなかったものが、異常なほどにわたしたちの心を揺り動かすということがあるからである」(「ラ・フォンテーヌの『アドニス』について」より、148~149ページ)

 さて、このなかでさりげなく使われている言葉、「調律」に注目しよう。じつはこれは、「一詩人の手帖」のなかで大きな役割を果たしている語なのである。口調が「である調」だったり「ですます調」だったりするのは、これは前半部が「言わないでおいたこと」のような断章形式で書かれていて、後半部が講演記録だからである。

「詩人が音楽家のように、楽音というすでにして純粋な所与の一揃いから出発するのではないということを忘れてはならない。詩人の音階はそのつど構築される」(「一詩人の手帖」より、193ページ)

「楽音の世界は雑音の世界から明確に分離されているので、それに、わたしたちの耳はそれらを明確に区別することに慣れているので、もしひとつの純粋な楽音が、すなわち、比較的異例の楽音が聞こえてくると、たちまち、ひとつの特別な雰囲気が創造され、特別な期待の状態がわたしたちの感覚のなかに生起します。そして、この期待は、いわば、生起した感覚と同じ種類で、同じ純粋さを持った感覚を生み出す傾向があります。もしもコンサート会場で純粋な楽音がひとつ発せられたとすると、わたしたち自身のなかのなにもかもが変わってしまいます。わたしたちが音楽が生起するのを期待します」(「一詩人の手帖」より、207ページ)

「では、それとは逆の条件で検証をしたらどうなるでしょう。もしコンサート会場で、ある曲の演奏中、雑音がひとつ聞こえてきたとすると(椅子の倒れる音とか、響きのよくない声とか、一聴衆の咳とか)、わたしたちは、わたしたちのなかでなにかが壊れ、得も言えぬ実質あるいは連合の法則に対する侵犯が行われていると感じます。ひとつの宇宙が粉々になり、魅惑が雲散霧消するのです」(「一詩人の手帖」より、207ページ)

 音楽家が調律された楽音を用いることで即座に聴衆の期待を生起させるのに対して、詩人が使う道具というのは言葉、実用的観点から編み出された、芸術のためのものではすこしもない不実なものなのだ。先のラ・フォンテーヌの例を挙げるまでもなく、この言葉のほうの「調律」は日常的に変化に迫られていて、確たるものなどなにひとつありはしない。

「言語は万人に共通の実用的な要素です。だれもが言語を自分の必要に合わせて取り扱ったり、適合させたり、自分の人柄に合わせて変形させる傾向があるので、それは必然的に粗雑な道具なのです。言語がたとえどんなにわたしたちのなかで親密なものであれ、言葉という形の下で思考するという事実がたとえどんなにわたしたちの魂に近いものであれ、言語が統計的な起源を持ち、純粋に実用的な用途を旨とすることに変わりはないのです」(「一詩人の手帖」より、205ページ)

「詩人の問題は、この実用的な道具から、本質的に非実用的な作品を実現するための手段を引き出してくることでなければなりません。すでに申し上げましたように、詩人にとって問題になってくるのは、実用的な秩序とはなんの関係もない世界や事物の秩序、関係の体系を創造することなのです」(「一詩人の手帖」より、205~206ページ)

「彼の前には、通常言語が広がっています。それは、彼の意図には適さず、彼のために作られたわけではない手段の集まりです。これらの手段どうしの関係を彼のために決定してくれるような物理学者はいませんでした。音階の構築者もいませんでした。音叉にしてもメトロノームにしても、この方面で確実なものは、なにもなかったのです。彼には、辞書と文法という粗雑きわまる道具しかないのです」(「一詩人の手帖」より、208ページ)

「詩人は、最初に与えられる特性があまりにも豊かな、豊かすぎて結局のところ困惑しないではいられないほど多様な全体と格闘しているのです。詩人は、まさにここから、自らの芸術品、詩的感動産出機械を引き出してこなければならないのです」(「一詩人の手帖」より、209ページ)

「詩人は実用的な道具、だれに作られたのか分からない粗雑な道具、差し迫った必要性のために利用され、生きた人間によって一瞬ごとに変更を加えられた刹那刹那の道具を、彼の注意力が詩に向けられているあいだは、通常の感性的ないし心的生活を構成している偶発的で前もって予見された持続のないあらゆる状態とはすっかり異なった、選ばれた感動的状態の実質になるように強制しなければならないのです」(「一詩人の手帖」より、209ページ)

 何度繰り返しても言い足りない、という感じが、この執拗な反復からは伝わってくる。なぜヴァレリーがこれほどまでに道具としての言葉の性格を説明しているのかというと、彼はこの文章において、「純粋詩」という概念について語っているのだ。

「一篇の詩には、そこに含まれる純粋詩の分だけの価値がある。つまり、比類のない真理、完璧に無益な領域における完璧な適応、蓋然性のないものの生産における明白かつ不可欠な蓋然性の分だけの価値がある」(「一詩人の手帖」より、192ページ)

「わたしは、物理学者が純粋な水と言うときの意味で、純粋という言葉を使っています。わたしが言いたいのは、詩的ではない要素が一切混じっていない作品を、人はひとつでも作れるようになるのだろうかという問いが提起されるという意味です。わたしは、それこそ到達不可能な目標で、詩とは、つねにこうした純粋に観念的な状態に近づいていくための努力であると、いつでも考えてきましたし、今でもそう考えています」(「一詩人の手帖」より、200ページ)

「結局のところ、一般に詩と呼ばれているものは、言説の素材のなかにはめ込まれた純粋詩の諸断片で実質上構成されているのです。とても美しい一詩句は、詩のとても純粋な一要素なのです。美しい一詩句を一個のダイヤモンドに喩えるのは月並みですが、この喩えはこうした純粋な質に対する感情が、あらゆる精神のなかにあるということを示しているのです」(「一詩人の手帖」より、200ページ)

 この「純粋詩」は、言葉としては新しいものだが、わたしには既知の概念であった。穂村弘と山田航の『世界中が夕焼け』、なかでもその刊行記念座談会で、彼らははっきりとこの「純粋詩」について語り合っていたのだ。そこでは純粋詩は、いかにも穂村弘らしく「カルピスの原液」と呼ばれていたのだが。ヴァレリーにとっても穂村弘にとっても、詩的要素は散文要素と対比される点で共通している。散文というのはいわば詩的要素を希釈したもので、その度合いはもちろん作家によって異なり、その希釈液は水にもワインにも喩えられることが可能なものだが、完全に純度100パーセント、詩以外のなにものでもないという概念、それが「純粋詩」なのだ。これこそマラルメが「生涯崇拝していたもの」の正体だと思う。

「もしも君が詩を作ろうとして、思想から開始したなら、君は散文から開始したことになる。
 散文を書く場合、最初に計画を立てて、そのあとをついていくことが可能なのだ」(「一詩人の手帖」より、185~186ページ)

「散文から詩への、言葉から歌への、そして歩行から舞踏への移行。――この瞬間は行為であると同時に夢なのだ。
 舞踏は、わたしをここからあそこまで移動させることを目的とはしていない。純粋な詩句や歌も同様である」(「一詩人の手帖」より、184ページ)

「もし散文的なものなどもはや一切現れない作品を詩人が構築できるようになるならば、音楽的な連続性が決して中断されず、意味の関係自身が調和的な関係に永遠に類似していて、思考の一方から他方への変換があらゆる思考よりも重要に思われるような、文飾の戯れが主題の現実を含んでいるような、そんな詩を詩人が構築できるようになるならば、――そんなときこそ、人々は、あたかも実際に存在するものであるかのように、純粋詩の話をすることができるでしょう」(「一詩人の手帖」より、210ページ)

 ちょっと思ったのだが、小説には地の文と会話文以外に、埋め草などと呼ばれる、読書を円滑にするための工夫のような部分がある。地の文については詩の領分で、会話文は戯曲からきたものだろう。詩と戯曲というふたつの最古の文学形式を小説というかたちに融合させようとしたとき、初めて目に見えるかたちで、希釈液が必要となったのかもしれない。まじめに読んだことなど一度もないけれど、たとえば「だれでも小説が書けるようになる」などと豪語する現代のいわゆる「作家講座」がどれもじつにくだらなく見え、そこからは作家など絶対に誕生してこなさそうに思えるのは、彼らが語っているのが希釈液の部分に終止していて、詩も戯曲も無視してしまっているからなのかもしれない。

「取り決めよりも重要なものを知っていると思い込んでいる気の毒な人たちを脚韻が激怒させること、それは脚韻のもつ小さからぬ魅力である。彼らは、一思考がなんらかの取り決めよりも深遠で、有機的で……あり得ると素朴にも信じている」(「一詩人の手帖」より、191ページ)

「リズムを帯び、熟考された書き物はすべて人工的なものである。すなわち、リズムに由来する表向きの自然さは、それが生まれるあいだは、それとは両立不可能な素材の上に事後的に構築されたものなのだ。言葉と音楽とは同じ作者によるものではない、つまり、同じ瞬間に作られたものではないということだ」(「一詩人の手帖」より、191ページ)

 さっきも書いたとおり、「一詩人の手帖」の前半部は断章形式で書かれていて、これは、という文章がほかにもたくさんあった。これまでに挙げたものと共通する内容のものもあるが、以下に記しておく。

「詩の萌芽がほんの一語、あるいは句の断片、一詩句にすぎないということもあるのであり、それらは自らを創造するための正当な理由を探しては発見し、そうすることで、ひとつの文脈、ひとつの主題、ひとりの人間などを生み出すのである」(「一詩人の手帖」より、181ページ)

「ある人間が負けるところで、別の人間が勝つのである。ラシーヌの精神を訪れて、彼からは負けだと見なされ捨てられたある観念なり表現が、勝ちとしてユゴーによって利用されたということがあったかもしれない」(「一詩人の手帖」より、182ページ)

「理解とは作動中の記憶のことである。理解には、ある最大値が存在すると考えられるが、それは記憶の最大値以外のものではあり得ない。――理解とは、閉じられた回路である。Aを理解するとは、Aを復元できるということである」(「一詩人の手帖」より、183ページ)

「一作品は、必ず完成したものだなどということは絶対にない、というのも、その作品を作った人間が決して完成した人間ではないからであり、彼がその作品から引き出した力の鋭敏さとは、彼にまさしく作品を改良する才能を賦与するからであり、以下同様のことが続くからだ。彼は、作品から、作品を抹消したり、作り直すのに必要なものを引き出す。自由な芸術家は、少なくとも、このようにものごとを見なければならない。そして、彼は、プラスアルファのことをなにか教えてくれる作品だけを満足のいく作品と見なすようになる」(「一詩人の手帖」より、187~188ページ)

「わたしはつねに、詩を作っている自分を観察しながら詩を作ってきた。おそらく、そうした点において、わたしは決して単なる詩人ではなかったのだと思う」(「一詩人の手帖」より、195ページ)

 堀口大學訳の『ヴァレリー文学論』で出会ったのだと思うが、ヴァレリーは出版物としての作品を「諦め」と読んでいた。これ以上推敲の余地がないと作家が諦めたからこそ、作品は出版されたのだと。マラルメが生前ほとんどその著作を刊行せずにいたことを思い出さずにはいられない。それから、こんな文章もあって、どきっとした。

「感動は、事物によって引き起こされることも可能です。感動は、建築や音楽などの言語とはまったく異なった手段によって引き起こされることも同様に可能なのです。しかし、本来の意味での詩は、言語手段の使用をその本質とします。独立した詩的感動はどうかというと、それが、ある特異な性格、ある称讃すべき特性によって、その他の人間的感動から区別されるということを観察しましょう。つまり、独立した詩的感動は、わたしたちに、ある幻想の感じ、あるいは、ある世界の幻想を与える傾向があるのです」(「一詩人の手帖」より、203ページ)

 どういうことかというと、「幻想」と訳された言葉がなんなのか、気になって仕方がないのだ。これは巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』で詳述していることだが、日本語の「幻想」という形容は悪い意味で包容力がありすぎ、フランス語ではぜんぜんちがった響きの言葉が、なにもかも「幻想」と訳されてしまう傾向がある。だからじゃないが、ヴァレリーの『カイエ』と『ヴァリエテ』については、ぜんぶフランス語で読むまでは死ねないな、なんて思っている。

 さあ、ようやく最後の「言わないでおいたこと」に辿り着いた。これは『テル・ケル』に収められた「Choses tues」の翻訳で(tuesはtaire「黙秘する」「沈黙する」の過去分詞形)、先にも書いたとおり『ヴァレリー文学論』にも大部分(あるいはぜんぶ)収められているので、わたしにとっては再読である。再読なんだからもういいじゃん、と自分でも思わずにはいられないのだが、この断章集ほどわたしを喜ばせてくれるものはそうそうなく、今回も見覚えのある言葉のなかに、まったく新しい金塊をたくさん見出したのだ。

「絵画。
 絵画の目的は決まっていない。
 もし目的がはっきりしていたら、――たとえば現実に見えているものと錯覚させるような幻覚を産み出すことだとか、色彩と形を一種音楽的に配列して、眼と精神をたのしませることだといった――問題ははるかにもっと簡単だろうし、おそらくもっとたくさんの美しい(つまりこの一定の要請にかなった)作品が存在するだろうが、説明できないような美しさをもった作品はまったく生まれないだろう。
 汲みつくせないような作品は存在しないだろう」(「言わないでおいたこと」より、212ページ)

「わたしが思うに、完璧さというのは、効果のかさ上げを可能にする手段をすべて軽蔑することによってのみ得られるのだ」(「言わないでおいたこと」より、213ページ)

「絵画というのは、おそらく芸術のなかで、芸術家によってわたしたちが自分の無力さを一番簡単に感じさせられる形式だ。
 ――この脚をご覧なさい。こんな脚で歩くことができるんですか? とわたしが彼に言う。
 ――ぼくのねらいはそんなことじゃない、と彼は答える。でもそのねらいが君には見つけられなかったんだ」(「言わないでおいたこと」より、216ページ)

「音楽を聴いていると短時間でわたしは退屈するし、その時間が短ければ短いほど音楽はわたしに作用する。それは音楽がわたしのなかに産み出したばかりの思念とかひらめきとか、規範、前提といったようなものを、音楽自身が邪魔しにくるからだ」(「言わないでおいたこと」より、217ページ)

 思えば以前、堀口大學訳の『ヴァレリー文学論』について書いたときは、模倣と独創の関係性にばかり関心が向かってしまっていて、それ以外のことが語られている箇所をほとんど無視してしまったのだった。以下の部分などは、以前にも引いたような気がしている。

「もっとも美しい作品とは、その形式が産み出す娘たちであって、形式の方が彼女たちより先に生まれている」(「言わないでおいたこと」より、219ページ)

「人間がつくる作品の価値は、作品そのものにあるのではなく、その作品が後になってほかの作品や状況をどう進展させたかということにあるのだ」(「言わないでおいたこと」より、219ページ)

「ほかの作品を養分にすること以上に、独創的で、自分自身であることはない。ただそれらを消化する必要がある。ライオンは同化された羊からできている」(「言わないでおいたこと」より、220ページ)

「とても偉大な芸術とは、模倣されることが公認され、それに値し、それに耐えられる芸術だ。そして模倣によってこわされることなく、価値が下がることもなく、また逆に模倣したものがその芸術によってこわされることも価値が下がることもない」(「言わないでおいたこと」より、220ページ)

「わたしたちの弟子や後継者たちは、わたしたちの師匠より何千倍ものことを教えてくれるだろう、もしわたしたちが長生きできて、彼らの仕事を見ることができるなら」(「言わないでおいたこと」より、222ページ)

 だが、次の一節が、この模倣をめぐる問題に対する回答と映ったのは、今回が初めてのことだった。

「讃えられる記憶。
 この世界に五、六人の人間だけが、ちょうど超現実的な幻視とか異常知覚をもつ人がいるように、記憶力の才能にめぐまれていたとすると、彼らについて人はこう言うだろう。ほらあのすばらしい人たちのなかには、むかしあったことが全部はいっているんだよ。彼らはわたしたちの過去を、だから当然現在についても教えてくれる……。こうした見者たちは予言者より上位におかれ、純然たる記憶がどんな偉大な才能より上と見なされる。健忘症が拡がれば知的世界の価値観を変えてしまうだろう。
 再生することの方が生み出すことよりすばらしい、ということがあたりまえになるだろう」(「言わないでおいたこと」より、267ページ)

 これがヴァレリーの本心なのだ、と考えずにはいられない。「新しいものを軽蔑せよ」と言い続けている詩人は、すでに再生の価値を視野に入れていたのではないか。わたしが思うに、現代に必要なのはフロベールが書かなかったものなどではなくって、フロベールそのものなのだ。だからアナトール・フランスやE・M・フォースターのものを読むとき、彼らの「新しくなさ」は、このうえなくわたしを喜ばせてくれる。新たなルネサンスが必要だ、と強く思う。そうでなければ、もう文学史のページが増える日など、二度とやってこないような気がしてしまっている。

「困難さ自体がいわば著者の前-作品とでもいうべきものであって、それは彼の「理想」の作品だ。この心のなかにある作品が、眼に見え実際に書かれる作品に先行し、それを邪魔し中断させ、挑発する。まさにここにおいて、著者の個性と知性がときに自然と自然の諸力を飼い慣らす、ちょうど調教師が馬を扱うように」(「言わないでおいたこと」より、224ページ)

「わたしたちにはじつに明瞭に見えているのに、表現するのがとてもむずかしいものは、いつだってそれを表現する努力を自分に課す値打ちがある」(「言わないでおいたこと」より、256ページ)

「明晰に思考する精神は、自分で理解していないことも理解させるものだ」(「言わないでおいたこと」より、256ページ)

「世界はつづく。人生も精神も――そのわけは、理解するのがむずかしい事物がわたしたちに課する抵抗のせいだ。すべてが解読されると一切は消えてしまうだろう、そして秘密のなくなった宇宙など、暴かれた詐欺やネタのばれた手品師の芸と同様存在しえない」(「言わないでおいたこと」より、275ページ)

 ヴァレリーを語るとき「明晰」という言葉は欠かせない。「明晰」という日本語の語感のすばらしさも寄与してか、わたしはもうヴァレリーに対する形容以外に、この言葉を使うことはできないような気さえしている。精神生活の圧倒的軌跡ばかりが目立つ詩人ではあるが、以下のように対人関係について語った箇所もあった。これはちょっとおもしろい。

「もっとも激しくもっとも抑えがたい憎しみは、わたしたちが自らなりたいと望むような人たちに向かう。そしてこの状態が当の相手に密着していればいるほど、憎しみは鋭くなる。他人がほしがって財産とか名誉を手にいれようというのだから、これは一種の窃盗である。だれかが自分の理想と思う肉体とか頭脳とか才能を所有しようとするのは一種の暗殺だ。その人は自分の理想が幻想ではなく、自分の場所が占拠されていると一目で悟らされるのだ」(「言わないでおいたこと」より、238ページ)

「しかしこのやきもちやきは、望むものをもたないという大きな本当の利点のことを忘れているのであって、それは、望むものを手にしている人には許されない視点からそれを考察し、生きるためにはそれを過小評価することも必要だ(!)といやでも学ぶことができるという利点だ。ところが所有している人の方は、所有しているからこそ過小評価するのである……」(「言わないでおいたこと」より、238~239ページ)

「繊細な人たちのあいだでつくられる親密な関係のなかに、理解されないのではないかという不安と、理解されてしまうことへの怖れとの、奇妙な混じりあいがみられる。
 「わたしを理解するには、あなたのまなざしが、君は解明済みの人間だよと思わせることのないようにしてほしい。忘れないでほしいが、わたしは自分の姿をあなたの態度のなかに見てとるということで、そこにがまんできないようなものは見たくないのです。」「あなたの沈黙がくもりのない鏡であってほしい」などなど」(「言わないでおいたこと」より、249~250ページ)

「他人をあるがままの姿で愛することのできる人はいない。人は変わることを要求する、なぜなら人は幻影しか絶対に愛さないから。現実にあるものを望むことはできない、それが現実のものだからだ。ぼくは君が好きだ……でも君のその鼻、その服装はねえ……。
 おそらく相思相愛のきわみは、互いに変貌しあい互いに美化しあう熱狂のなかにあり、芸術家の創造行為にも較べるべき行為のなかに、――何というか、一人ひとりの無限の源泉を刺激するような行為のなかにある」(「言わないでおいたこと」より、252ページ)

「嫌悪とか反発(先験的な)がしばしば表すことは、自分のために役立てたり、利用したり、消費したり等々できるからだの器官とか能力とかエネルギーが本人に欠けているということで、人が嫌悪するのはそういう対象物だ。
 わたしは君をうち負かし、隷属させ、無視する自信がない、だから君を嫌悪し心のなかで抹殺する。
 ――わたしは君を愛することができない」(「言わないでおいたこと」より、269ページ)

 それから、犯罪についてもヴァレリーは饒舌を極めていた。大丈夫か、ヴァレリー。

「すべての犯罪はその犯罪の夢と似ている。
 犯罪を犯したくなると、そのために必要なものを犯罪が全部つくりだしてしまう――犠牲者、環境、口実、機会」(「言わないでおいたこと」より、277ページ)

「犯罪は犯罪の瞬間にあるのではなく、その直前でさえない。あるのはむしろそのはるか以前の気持ちのなか、それが行為から離れて、結果を生まない空想とか、いっときの衝動(あるいは倦怠)への癒しとして、気ままにふくれあがったときだ。しばしばその気持ちは、いろいろな可能性を考え、それらに漠然と形を与える知的習慣によって生まれる」(「言わないでおいたこと」より、277~278ページ)

「犯した愚行、犯さなかった愚行、それぞれがその人間の後悔を分け合う。
 獲得し損なったことの方が喪失よりも人間にはしばしば苦い」(「言わないでおいたこと」より、279ページ)

「人に犯罪を思いとどまらせる《理由》は、その犯罪よりももっと恥ずかしい、もっと口に出せないものだ」(「言わないでおいたこと」より、281ページ)

「理屈の上で否定することの方が、実際の場で無かったことにするよりも勇気がいる場合がたくさんある。道徳に反して考え語る方が、道徳を実際の行為で軽蔑し踏みにじるより、しばしば勇気が必要だ」(「言わないでおいたこと」より、283ページ)

 以下は、訳者による解題で「とりわけすばらしい」と評されていた、「ロンドン橋」より。

「わたしにはこの群衆が、それぞれ自分の歴史を、独自の神を、財産を、傷あとを、独り言を、運命をもつにもかかわらず、個々人の集まりとは少しも思えなかった。わたしはこの群衆のことを、無意識のうちに、自分の身体の背後に、自分の眼の触れないところで、どれもみな同じかたちの粒の流れが、何か分からぬ真空にむかって同じように吸いこまれてゆくさまを思い描き、そしてそのもの言わぬ、せかせかした流れが、橋の上を単調に渡ってゆく音を聞いていた。わたしはかつてこれほど孤独を、矜持と苦悩がまじった孤独を感じたことがなかった。また、群衆と水の流れのあいだで夢想するという危険の、奇妙で隠微な感触も」(「言わないでおいたこと」より、289ページ)

 訳者は特段指摘していなかったが、「ロンドン橋」といえば、ヴェルレーヌにも同名の詩がある。内容に明確な関連性があるわけではないし、これを書いたときのヴァレリーの意識にヴェルレーヌの詩があったとも思えないのだが、個人的に好きな詩なので、堀口大學訳を引いてみる。

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  ロンドン・ブリッジ


  あの黒い水を見てごらん
  「人市(シティ)」の汚物を押し流す泥の大河をごらん。
  おまえはそこに見るだろう、時に
  日光を受けて金いろに光る藁屑が流れて行くのを。

  出来るならつぎに、僕の心の中をごらん!
  お前はそこに仄かな光を見るかも知れない
  これは僕の心が、むかし美しかったころの、思い出のようなものだ
  これがあるために、心はせめて、いくぶんかなぐさめられる。

  どうやら希望は日光に似ている
  言わばどちらも明るさだ
  一つは荒んだ心の聖(きよ)い夢となり
  一つは泥水に金の光を浮べてくれる。


ヴェルレーヌ堀口大學訳)「ロンドン・ブリッジ」『ヴェルレーヌ詩集』新潮文庫、161〜162ページ)
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 それから、すでに見た「方法的制覇」で語られていた規律とも関連の強い文章があったので、これも忘れずに挙げておきたい。機械文明のことで、ちょっと上に挙げた「讃えられる記憶」の文脈とも無関係とは思えない箇所だ。

「幸いなる安易さ。もし人類が、間違えることのない記憶力、つねに緊迫感をともなう行動力、二十四時間保たれる正気、いつも武装した批評的警戒心などをもたされていたら、なんていやな連中ということになるだろう」(「言わないでおいたこと」より、292ページ)

「機械と機械が要求するものは、どんなに軽薄で、どんなにぼんやりした人たちでさえ、その規律に従わせてしまうだろう。機械は記録し予見する。精密化し、厳格化する。機械は生きた人間にそなわった自己保存と、先を予測する能力を拡張する。――そして人間たちのきまぐれな持続、不確実な記憶、見とおせない将来、しっかりしない明日の日々を変えようとし、一種の不断の現在をめざすのである、ちょうどモーターが規格正常速度に達したときの安定状態のような……」(「言わないでおいたこと」より、292ページ)

 わたしは読書の最中、気に入った一文を見つけるとページの角を折り、気に入った一文が同じページに何度もあった場合には付箋を持ち出すのだが、この「言わないでおいたこと」を含む『ヴァレリー文学論』を初めて読んだときは、付箋が貼られない断章のほうが少ないほどで、付箋が森のようになって一冊の本の背丈と厚みが変わってしまったのだった。まだヴァレリーのことをほとんどなにも知らないころのことだったので、衝撃が大きすぎたというのもあるだろう。だが、ヴァレリーとある程度親しんだと思えるいまになっても、これらの文章が放つ魅力は圧倒的だ。魅力は減じるどころか増えているようにさえ思える。

「もし鳥が自分は何を歌い、なぜそれを歌い、自分のなかで何が歌っているのかを明確に言うことができたら、鳥は歌わないだろう」(「言わないでおいたこと」より、232ページ)

「この世で一番卑しいもの、それは「精神」ではないか? からだの方は、汚物や犯罪を目にすると後ずさりするというのに。まるで蠅のように精神は何にでもとまる。嘔吐感、嫌悪感、後悔心、罪責感、それらは精神が感じるものではなく、精神にとって好奇の対象にすぎない。危険なものが精神の興味をひくのであり、もし肉体があまり強くなければ、精神は火のなかへ引きずりこむだろう、一種の愚かしさと、認識への不合理でやむにやまれぬ渇仰につき動かされて」(「言わないでおいたこと」より、265ページ)

「大騒ぎをして悪魔を追い払うより、悪魔に座らせ、彼が提供するという王国の詳細を語らせ、じっくりと駆け引きをし、生まれてくる欲望の物理学に興味をもち(彼がさえずり甘言を弄しているあいだ)、彼を質問責めで疲れさせることだってできるのだ。どんな未来の約束や現実でさえ、賢い澄んだ眼差しに抵抗できることはまれだ」(「言わないでおいたこと」より、286ページ)

「どんな存在でも、離れてゆく者には、責められるべきところがある。ものを考える人には、人間が住むことのできる社会につねに抗して考える。彼は世界にたいして自分の役割を拒否する。彼は隣人を無限のかなたへ遠ざける」(「言わないでおいたこと」より、290ページ)

 終わった。じつにたくさんの文章を引いて、思いついたことを書きまくってしまったが、すべてを書けたとは到底思えないし、これからじっさいにこの選集を読む人は、その人なりの関心を頼りに、まったくべつの種類の金塊を見つけ出すことだろう。この本で語られていないことなど、なにひとつないという気さえする。読み終えたという気がまるでしないし、これはたぶん一生かけても読み尽くすことはできない類の本で、そのくせ人生を変える一冊だ。読んでいる最中からすでに、自分の人生がぎしぎしと音を立てて変わっていくのが、聞こえてくるような気がする。ヴァレリーを読む楽しさは、ちょっと比類ない。

ヴァレリー・セレクション (上) (平凡社ライブラリー (528))

ヴァレリー・セレクション (上) (平凡社ライブラリー (528))

 


〈読みたくなった本〉
マルセル・シュウォブの著作
「仮借ない意識というものは、たった一行のなかに、ナポレオンのワグラムの戦いの重要さや月の理論のむずかしさを見るものだが、ふつう人はそんなことは夢にも考えずに、無数の文章を書きつづっている。作家だってそんなことを考えない方がいい。それでもわたしはマルセル・シュウォブとの長い会話を思い出す。あの文字をめぐる対話以上に、わたしが驚き面白がったことはないのだ――そのとき彼はどんな脈絡でだったかひとつの語か言い回しから糸を引き出して、そこにあるいくつかの文字を想像できる限り微妙な可能性をたよりに、はるか遠いところ、思いもしない場所、どこかの一角、どこかの時代へと結びつけてみせたのだ。一気に納得させられてわたしがうっとりすることもしばしばあった。どんな悪党どもの隠語でさえ、暖炉のかたわらで彼の手によって選ばれ呼びだされると、わたしの心を子どもっぽいよろこび、文学的な愉しみ、完璧な分析がもたらす至福の感情でみたすのだった。黄金の時間とも言うべきで、わたしがどんなにせわしなく質問攻めにしても、どれひとつとして答えられないものはなかったのだ」(「ブレアルの『意味論』について」、より、67ページ)

マルセル・シュオッブ全集

マルセル・シュオッブ全集